goo自由日記

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ひろしま歴史街道散策くらぶ(雲石街道・西国街道)に参加する~!  2

2017-02-18 11:40:11 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
 西国街道散策、続きます。
 
 ◎ 天満橋
  天満川にかかる橋。

 


 

 


 


 


 西国街筋の古くからある「内藤畳店」、茶碗や?

 


 


 ◎ 天満宮 → 天満町の要
  江戸時代初期に東の広瀬村の出作地で新開組に属し、普請小屋が所在したため小屋新町ト呼ばれていました。
  その後、西国街道に沿う広島城下の西の宿場となり、火災が頻発し水害も被り当地の有力者により、広島城下の東の尾長天満宮より分霊し、天明8年に当地に天満宮が勧請されました。

 
  


 


 旧山陽道に面しています。(西国街道)

  


 トイレ休憩を兼ねて天満宮を散策しました。

 


 


 


 菅原道真1200年記念碑、
 小さい「つばき」?のつぼみが珍しかった。

 


 年末には必ず、テレビで紹介される「林餅店」
 人気で皆さん、土産に買われていました、私もご同様にゲット。

 


 福島川が昔あった所、少し低くなっています。
 太田川放水路改修工事で福島川は無くなり、「都町」が新しく町ができました。


 


 


 


 ◎ 己斐橋 
  己斐橋は現太田川放水路に架かる、西国街道の橋。
  明治から国道筋の橋となり、昭和初期以前に有った山手川に架かる橋であった、
  1960年太田川放水路に整備された。
  幅 150m。

 


 


 太田川放水路は、現太田川、
 北から流れてきた太田川奔流が左岸東区牛田、右岸安佐南区長束で旧太田川で分流し、西区を流れて広島湾にそそぐ。
 延長9km。

 己斐西国街道。

 


 ◎ 滝の観音への道標
  西広島駅北と茶臼山山麓には、北方大塚村に至る里道があり、渓流に沿う谷間に昔から
  観音菩薩が祀られ、名水の湧水点に佇んで瀧の観音様と呼ばれていました。

 


 旧己斐鉄道の電車専用橋があり、ここに駅があり、原爆投下の翌日から電車が走ったと
 伝えられる。

 


 


 今は新己斐橋に移設されています。

 ◎ JR西広島駅 (己斐駅)
  己斐の地名は、福岡県=筑前国宗像郡許斐(こい)村から神社を勧請したとか、神功皇后
  が長門の熊襲征伐のおりに当地の県主がコイを献上し後に鯉村となったとか。
  広島城下と間宿の草津の中間地点として、古くから栄えました。

 今では、「ズッコケ3人組」=那須正幹:作  で有名になった。


 


 


 


 ※ 午後4時40分。
 本日の雲石街道、西国街道の散策も終了です。
 このコースは2度目の再訪でしたが、わすれている部分の多いのに驚き最確認の散策でした。
 9520歩、5,5kmの今日のスマホの歩数計です。
 己斐辺りから、すっかり足がだるくなりました。
 広電の電車でこ帰宅しました。

 お土産の「林の餅」も忘れずに・・・


 


 案内の佐々木先生、お疲れ様、皆さんお疲れ様でした。   END