かへる 東の国探訪記

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ウィーン軍事史博物館(49)

2016-01-13 22:04:21 | 旅行
次の展示物を見て、少し驚く。

これは明らかにヨーロッパのものではなく、東アジアの衣類だからだ。
日本の祭半纏なのかとも思うが、裾の形などが中国の衣類にも似ている。
背中には大きく『正兵』と縦書きされている。
無知なわたしは『しょうへい』と読んだが、これは正しくは『せいへい』と読む。
これの反対語が、あの『奇兵』である。

もし、帝国の艦船が日本に立ち寄るか、日本の船と交流があるなど、
何らかの形で日本と関わっているならば、チラシにその旨の記載があるはずである。
一緒に展示されているヘルメットの形や、下方の写真に写っている人たちの服装から考えると、
これは1900年に清で起こった北清事変(義和団の乱)に関する展示だとわかった。
このとき、オーストリア・ハンガリー帝国は、日本やアメリカなどとともに八ヶ国連合軍として、
鎮圧に当たったのである。
右側に写っている戦艦の模型は、清へと派遣された艦船のひとつだろう。


この展示ケースに収められているものは、
潜水艦、海軍航空部隊、海軍の小部隊に関する品々だとチラシには書いてある。
これらの戦艦の模型は、第一次世界大戦の頃のモデルと思われる。
下にある金色の物体は、魚雷に見えるが、何であるかは不明。
後ろにあるポスターには、『旗』『銀行』などという文言が書いてあるが、
辞書によると大きく書いてあるこれらの文言は、オランダ語由来の単語である。


この物体だけ、展示ケースとは異なる場所に展示してある。
何であるかはわからないが、チラシに書いてある内容から察するに、潜水艦の残骸の一部のようだ。

1918年にイタリアのタリアメント川の河口付近で撃沈された潜水艦U20は、
44年後の1962年に引きあげられ、軍事史博物館に引き渡されたとチラシに書いてある。
まさにこの時が、帝国海軍(というか、墺国海軍)の終焉であったのだ。