素直なきもちで・・・ありがとう!

思うまま、日々感じたこと、写真の画像加工をupしています。
ハンドルネーム :Kaigowearと申します。

今後の兆し❓

2023-11-06 13:31:14 | 日記

今年だけなのか❓

気候変動の、今後の 兆しなのか❓❔

11月だというのに・・・夏日です  (私の住んでいる山口も、ニュースで放送されている各地も)

         

         ※ ちょっと休憩・・・冷たいものが美味しい~~

最近出来たオシャレな、Café ・・・

山口にも、あったのです・・・

       

       

         

狭い横長の店内ですが、壁一面にメニューをイラストで表示してあって・・・

マットな真っ白い壁に、黒の線で描いてあります

 

地方都市のCaféって、古民家カフェが定番で・・・

そんな中、とても新鮮です。

メニューは、多くないけれども、美味しいです

 

 

    前回の

 こういう服を、作りかかった・・・

服のイメージは、年齢ではなくて、

着る人の、生き方そのもの・・・

そう考えていた私は、そういう服を作りたくて、

いろいろ会社を変わりました・・・

 

私が、アパレル業界に入ってしばらくすると、

デザイナーは、年俸制がほとんどでした・・・今は、どうだか、わかりませんが

プロ野球の選手みたいに、一年に一度、契約更新がありました。

       

前年度の業績 (売れ筋のデザインを何型作れたか❓) 

自己申告と、ブランドの責任者の見解とで、

双方の話し合いで、次年度の年俸が決まります。

年俸を12か月で割っても良いし、14カ月 (2が決分は、夏冬のボーナスとして) でも

良いのですが、ボーナスの期待度はありません・・・

 

最悪の場合は、『再契約しません』 も、あり得るわけで ・・・

   札束がたった  時代は、私より先に業界に入った先輩方のことでして、、、、

 

パターンが出来たら、職種をパタンナーに変更して

会社に残留しますが、

同じ会社だと、少し回りに気を使います。

     私の見解ですが・・・

     既製服のデザイナーより、パタンナーの方が、より高い “スキル” が要求されます。

     でも、当時はパタンナーのお給料の方が、低かったです。

 

     ただし、一年で 『もう要りません』は、なかったけれども・・・

     経験が多ければ多い程、 “スキルup” 出来て、会社に貢献できる訳です。

 

     

若い頃は、使い捨てされるのは、何となくプライドが・・・

だから、いつも心のどこかに

不安とか、負けず嫌いな性格がいつも同居してましたね・・・

     

         

全く、イヤな性格ですが    

  いつも、中心にいたい・・・

  会社にとって、必要人材でいたい・・・

当然ながら、心を許せる友人もできませんでした

        

そんな歪んだ性格 : (当時は、そんなふうには思ってなく、当たり前だと思っていました。)

そのかわり、(人一倍) 努力した❓と、思います。

 

毎週、土日の休日には、午前中に、掃除・洗濯し (かたずけていないと、落ち着かない性格なのです)

午後からは東京、横浜のあちこちを市場調査してました。

 

みんな、お花を習ったり、語学を習ったり、ゴルフをしたり・・・

私は、そんな時間と、お金があったら、

新しくできたブティックを回りたかったし、新しい服や靴とか買いたかった・・・

        

   じつは・・・

もともと【あなたって・・・天然ね~~】と、言われる程、どこかネジが外れている❔ 私

そんなにギスギスはしてなかったとは、思いますが・・・

 

だから、余計に

自分自身、勝手にガードしていたように今は思います・・・

今 思うと、かなり無理していたのかも・・・

      

そんな訳で・・・

三十才後半の頃には、疲れてね・・・

 

とりあえず、デザイナーを休止して

自分を見つめ直したい・・・と、思いました。

     でも、

生活しなくてはいけないし・・・

帰る家もないし・・・

お店で販売員をしたり、チェーン店のバイヤーもしました。

 

とは言え、やっぱり、洋服を離れていない 

 

  そんな、ある日

  三十代後半に、チャンスが訪れました。

 

 

           ※ 最近の私  古稀もこえました

            年金生活者で、新しい洋服もあまり買えない現状

            あるものを、いろいろコーディネイトして、お出かけ用にしています・・・

            でも、今のファッションは決まりがあるわけでもなく、

            その人らしいコーディネイトで、十分!

            いかに、カジュアルダウン出来るかが、決め手のように思いす。

            私は、ボトムやクツから、コーディネイトを決めることが大切だと思います。

          

           

 

   

     

   

 

 

      

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


すごい衝撃でした・・・

2023-10-27 11:29:27 | 日記

   やっと、秋らしい雰囲気になってきました・・・ここ山口も 

 今年は、マツバギクもずいぶんと長く咲いていましたが・・・・

      

     前回の続きですが・・・

 (株) 34 は、ある意味、性善説が基本の社員教育の企業でして・・・

 私達社員にとっては、ありがたい会社でした。

 

 当時のアパレル(既製服業界)は、デパートなどの平場で服を展開している大手企業と、

    会社それぞれの個性を打ち出して

 専門店とか、デパートの箱売り場に商品を展開している中堅アパレルなどありました。

    

    ※ 服は、似ているのですが、営業形態が企業によって違っていたみたいです。

      もちろん、今現在もそれぞれ形態の違う企業で成り立っているアパレル業界ですが、

      海外ブランド、ファストファッションなどない時代でした。

      ファストファッションが市場を制覇してから、服に対する価値観が大きく変化したような気がします。

 私が在籍していたのは、  中堅アパレル (株) 34でした。

 

 中堅アパレル とは、・・・

 当時、東京ブラウス・一珠・コマンド・関東ドレス・ローマ岩島・山貴・ (株) 34等のアパレルです。

 

 フランスのパリコレクションの主催団体 【サンディカ】から

 ネーミングをまねて、【東京サンディカグループ】というアパレルのグループを作り

 展示会とかの情報交換をしていました・・・

 

     

 前置きが長くなりました・・・

 お世話になった、ありがたい会社・人を大切にする会社 (株) 34での、エピソードです。

 (株) 34 は、中堅クラスの企業とは言っても、課が34ありまして、

 それぞれの課は、独立採算制でした。

 会社のビルも、青山・六本木・小伝馬町・小岩(他にもあったかも・・・)にあって、

 ビルの中に、それぞれの課 (ブランド) が存在して、営業していて、

 ビルは本社管理。

 つまり、各ブランドは本社に家賃を支払う形態でしたが、

 他の事は、ブランド事好きなように営業形態出来ました。

 

    

 私が在籍していた М・М課 は、(株) 34 の中でも、重衣料中心で単価の高い服を展開して

 かなりの結果を出していたようです。

 どんな服を作っていたか❔❓

 こんな服

      

    ※ シャネルツィードを使い、お出かけ用のスーツが多かった

      なぜか?? 私はモデル・・・

      ターゲットの人の一般的な体型だったからでしょう・・・

      

     ※ 皮コート・毛皮コートも作りました。

       背景は当時の私のデスクの回りです。

      

     ※ シンプルで、上質素材が多かったです。

       社員価格でないと、薄給の私には買えない・・・

       でも、この頃20代後半・・・ふけてるよね❔❓

 

М・М課は、責任者の下に・・・

営業・企画МD・デザイナー・パタンナー・生産・縫製とスタッフがいて、

30人くらいだったかな・・・

企画室には大きなステレオが置いてあり、好きなレコードを持って行って

仕事中、ずっとレコードなりっぱなし・・・

お蔭で、いろんな新しい音楽を吸収出来出来ました

ほとんど洋楽ですが・・・

      

      

 でも、独立する人達も大勢いましたね・・・    

 “トラ”で有名な、(もう古いかな❔❓) あの会社もそうだし

後に、就職してブランドを持たせて頂いた、

人生で一番輝かせて頂いた、会社の社長も・・・(株) 34の独立者❕

 

     

 

 

     

そんな20代を、デザイナーとして

明けても暮れても、洋服の事ばかり考えて過ごしました

でも、求めている服の世界とは、どこか違う

いつも、そう感じながら仕事してましたね・・・

 

そんなある日、妹が海外で買ってきた、イタリアの、本家本元 の “マックスマーラ” のコート”

     すごい衝撃 ❣❣❣

妹は、キャビンアテンダント (当時は、スチュワーデスと言っていましたが・・・) をしていました。

その、“マックスマーラ” のコート” が、これです。

 

        

    『これだ❕❣』こういう服を、作りかかった・・・

シンプルで、機能的・・・しかもオシャレ・・・素材がとても生きているし、

長く着ても、着こなし方で雰囲気が変わる

しかも、年齢にも、社会的な立場にも関係ない服・・・

 

 

日本のアパレルでは、まだまだこんなに洗練された服はあまり見かけなかったのです。

服のイメージは、年齢で縦割りしていました。

 

その後、DCブランド が、ファッション界を風靡し始めたのです。

      

 

どの会社に行けば、作りたい服を作れるのかしら❔❓

どこにそんな会社あるのかしら❔❓

       

あろうはずはないのです・・・

だから、DCブランドを立ち上げた人達は

みんな手弁当で作りたい服を作り始めたのに・・・(当時はそんな事すら、分からない無知な私)

 

世間を知らない私は、

そんな会社を求めて、30代はいろんな会社を渡り歩きました。

       

     ※ いろんな茶碗があります・・・これは、飯茶碗用・湯呑用など決まっているかもしれませんが、

      どんなシチュエーションに使っても、いいのでは❔❓

         

        ※ クロスオーバー・・・音楽だけでなく、普段使っているものを上手くカッコよく使う

          日本人は、あまり良く言わないし、上手でもないですね❔❓

 

        

 

光 (作りたい服)を 求めて、東京の街を市場調査していた20代後半~30代前半です。

履歴書の欄には、会社の経歴を書ききれない位でした

職歴は、デザイナーで変わりませんでしたが・・・

 

 

        最近の私・・・当時必死に考えていたことを思い出しながら

               まんざら間違っていなかったかもね❔と・・・

               もう少し遅く産まれていたら❓とも・・・

              服は年齢でも、性別でも、社会的立場でもなく、着る人の

              雰囲気にあったものでいいのだと、つくずく思います。

              流行に関係なく、取り入れていいのです❣❕

 

          

 

       


日の出の勢い❣❣❣

2023-10-09 12:24:02 | 日記

毎日、いろんな場面で

   「暑いですね~~ 」を連発していた日々も

いつの間にか、落ち着いてきました。

       

        ※ 10月10日(体育の日)・・・頭の中にインプットされていたのに・・・

         1964年(昭和34年) の東京オリンピックの開催日を記念して、この日が

         体育の日となったのですね・・・

         一年の中で、この日前後が天候的にも晴れの日が多く、気温も運動するのに適しているとか・・・

         今年に比べて、この頃はもっと肌寒かったように記憶しています・・・

         そして、平和だったし、空を見上げていた・・・そんな記憶があります。 

爽やかな秋晴れの日々がしばらく続いて欲しいものです

 

      

    前回の続き・・・です!

病気の母に励まされて、東京に帰ってきた私です。

   結局、母は、手術して癌を摘出も出来ず、自宅療養になりました。

   そして、妹も大学のために上京。

実家では、父と、病気の母の二人の生活になりました。

二人が、どんな思いで日々を過ごしていたのか・・・・・

知るよしもないけれども・・・

二人とも、毎日、辛かったのでは   

   今思い出すと、本当に心から、申し訳ない気持ちでいっぱいです・・・

        

     

       ※ うっすらと、明るい光が見える  

       そうではなく、退院後は自然に任せるまま (病院の治療は全く受けずに)

       食事療法とかで、微かな希望をもっていた母です。

                            しかしながら・・・

       少年 占い師が言っていたように、秋風がふく、中秋の名月の頃、早すぎる生涯を終えました。

       痛み止めがあれば、あんなに苦しむこともなかったでしょうに・・・

 

        

       駆けつけた私に、「お父さんを、たのむね・・・」といいながら・・・

       

       ※ 老いも経験することなく、母は旅立ちました。

         「お父さんをたのむね・・・」と、私に言い残したことば が、最後でした。

         不平不満も言わず、娘二人の成長を楽しみに生きていた、シックな色合いが好きで、オシャレな母でした。

 

母の病気が発覚し、入院し、手遅れで手術も出来ず、退院し自宅療養の頃は・・・

  (株) 3 4に、入社したばかりの私でした。

 

既製服業界のことは何も知らず、知り合いもいないし、

ただただ、服が好き❕❕というだけで、

いつかは❓を夢にみながら、日々を送っていたように思います。

 

その頃の、(株) 34では・・・

デザイナーの仕事は、МDから生地を渡されて、その生地にあったデザインをおこし、

MDに見てもらい、OKのサインを貰って、そのデザインのパターンを、各自自分でおこすシステムです。

 

生地を渡してもらわない事には、先に進めないのです・・・

       

          (株)34の、М・М課には、МDの下に数人のデザイナーとパタンナーがいて、

            МDのお気に入りの人たちが、仕事らしい仕事ができました。

            私は無愛想だったせいか、同郷のよしみで入社させて頂いたのに、現物化が決定されている

            生地は、ほとんど渡されませんでしたね

           

生地も、契約済みの生地と、とりあえずサンプルを作ってから、良かったら発注しよう

MDが思う生地の2種でした。

でも、年間の売り上げ予算が決まっているわけですから・・・

良かったら発注しようの生地の枠はわずか ・・・・・

新米デザイナーには、良かったら発注しようの、生地がたまに渡されるだけ

  おめでたいのか❓

  のんびりしているのか❓

全く気にしてなかった・・・私です。

    それでも、都内のいろんなお店を見ながら、『なるほど・・・』『こういうデザインもいな~~

いつも、デザインイメージはいつも膨らませていました・・・

お店も服だけではなく、いろんなステキなお店をリサーチするのが、とても楽しかったなあ~~

      

でも、人を大切にする会社 の (株) 3 4 です。

時間はかかりましたが、(株) 3 4 に在職中、パターンメイキング は、かなりマスターできました。

       

ちなみに、パターンメイキングは、大きく分けて二通りあります。

   

ありがたい事に、お給料を頂きながら、

会社に対して貢献することもなく、二通りのパターンメイキングを修得出来ました。

     

     ※ 同じ場所・・・二通りのイメージで表現しました。

     

前回書いた、大野順之助先生はどちらかというと、“ドレーピング法”

人を大切にする、(株) 34の社長は“ドラフティング法” で、指導いただきました。

  パターンメイキングは、最初はあっても、終わりはないのです

 

そして、デザイナーとして認められるようになるには、

自力で頑張るしかありません。

  それでも、たまには・・・

МDから、生地を渡され、「kちゃん!この素材 (生地のことで、業界ではこう呼んでいました) で、

カッコいいデザインをしてみてよ・・・」

  ◆テレビも持ってないし、趣味はお店を見て歩くこと◆

頭の中の引き出しからいろんなイメージを引っ張り出して、デザインします

    

     ※ この頃は、パリ・シャネル風・・・そんな時代でした。

       私はシヤープなサンローランが好きで・・・

       食費を削っても、サンローランの、スーツは無理でも、単品アイテムを買いたかった

 

よく出来て、現物化されて、売れた時は、本当に嬉しかった・・・

新幹線の中とか、街で私のデザインした服を着ている人に会うと (ごくごく、たまですが・・・)

お礼を言いたくなりました

 

(株) 34をはじめ、当時のアパレル業界は日の出の勢い

  サンデカグループ という既製服業界でグループを作り

  情報交換とかしていたみたいです・・・

  新米の私は全く知りませんが・・・

サンデカグループが結束された頃は、婦人服はよく売れたそうです。

  ――女性が、家庭でミシンを踏んで、服を作る ――

そんな時代から、少しずつ、服作りが変化していた時代だと思います。

 

       💛 💛 💛

先輩たちは、年一回、決算時期には、決算賞与が頂けて、なんと金額は・・・

   札束が立つ 金額だったそうです。

残念ながら・・・私が入社した頃は、少し遅かった

  でも、

いろんな経験が出来た、正に人を大切にする会社 (株) 34なくしては、仕事人生を

語ることはできません

次回は、(株) 34 での、いろんなエピソードを書きたいと思います。

当時に、アパレル業界のひとコマになるかと思います

 

       ※ 最近見つけた、山口のパン屋さん

         内装も外観もオシャレでした。

         地方は、ポッ と、そんなステキなお店があります。

        

     

     

    ※ いつもオシャレなお店を覘いていた東京生活ですが・・・

      山口もポッと、数件あります。

      詳しくは知りませんが、建築、内装を手掛けている方は、県内の数か所を手掛けている方で

      他にも数個所あるらしい・・・行ってみたいと思っていますが・・・

    

 


母のことば

2023-09-25 09:20:52 | 日記

2023年9月25日になりました・・・

前回から、約二週間位過ぎてしまったので、もう一度前回を読み直して 

      

       ※ 私の部屋ではなくて・・・いつも行く ”美容院” の風景です。

        ステキな写真集とか、デザインに関する本が並べてあります。

        無造作に置いてあるようで、計算されて置いてあります

私は、運がよくて・・・念願の既製服業界に、入社しました。

 

(株)34の、М・М課には、企画室・営業部・生産課がありましたが、

私は、企画室のデザイナー (名前ばかりで、何も出来ませんでした・・・)の一員になった訳ですが、

生地をあてがわれるわけでもなく、

先輩の、アッシー的な存在 (当時はそんな言葉なんてなく、使い走りのような❔❓)

  生地をあてがわれるという事は・・・

  量産する生地はMDが手配し、それぞれのデザイナーに

  「この生地に会うデザイン画を描いて、自分に提出するように・・・いついつまでに・・」と、

  生地を渡すシステムです。

  多く採用されて、多く売れるデザインを起こすことが、デザイナーとして評価されます。

 

たまに、デザイン画が採用されても、パターンは各自自分で起こす決まりです

デザイナーでも、サンプル商品 (量産化される前の商品のこと) のパターンは

自分で作らなければいけないのです・・・

立体裁断なんて経験ないので、かと言って先輩たちに時間をさいて教えてもらう訳にもいきません

       

       ※ “ソウル ・ライター” というカメラマン・・・美容室に写真集で知りました。

        印象的なカメラマンですね・・・

 

朝早く出社して、先輩の組んでいったボディを眺めて

「ああ~~こういう風に、すれば出来るのかな

あとは、それを平面化してパターンにすればいいのか・・・

    全くいい加減なパターンでしたが、一応被服科卒業なので、

    パターンを作り、サンプル工場にだしていました・・・

でも、見よう見まねで・・・会社に行って、仕事らしき事、していましたね

今では、恥ずかしくて、机の下に隠れたいくらい

    

      ※ 机の下のオブジェ❓ 枝ものがさり気なく置いてありますが、良い雰囲気

 

そんなある日、父からだったか❔ 母からだったか ❓ 電話が入りました・・・

母の体が良くないから、大きな病院で検査をして、手術するかもしれないと・・・

       

そして、手術後に、

逸る気持ちで、病院に向かいました・・・   

結局、母は入院して手術室に入ったもの、

手遅れで、切開後閉じてしまったと 連絡を受けました。(2月でした・・・)

    そして・・・

    余命半年・・・

  手術には、父と伯母 (後に養母になります。) 大学生だった妹が立ち会ったそうです。

  母の手術した病院は、自宅から離れた場所にあるため、妹は

  母のベットの下に布団を敷いて看病していました・・・

そういう連絡を受けて、私は即、母の入院先へ・・・

          

母には病状を伝えてないから、くれぐれも涙を見せないようにと言われていました。

待合室のテレビで、『赤軍派の浅間山荘事件』が放映されていた日でした。

  私:「お母さん手術に立ち会えなくて、ごめんね 」(必死でも、涙声だったと思います)

  母:「ええよ あんたの念願だった会社を、大切にしたらええよ~~・・・」

  母:「お母さんは、大丈夫じゃけ~~ 退院するまで、N江に付き添ってもらうけ~ね。」

そう言われて、私は病院から再び東京へ・・・

 

     

        

私を応援してくれる母・・・

(当時はそんなに深く感謝していなかったけれども・・・)

頑張らなきゃ と、山口を後にしました。

     

       ※ 現在の新山口駅

        当時とは全く違います・・・なにせ、50年も過ぎていますから・・・

 

 

パターンの出来ない私でしたが、

(株)34 は、素晴らしい会社でした。

会社の社長は二代目の方でしたが、パターン技術に重点を置く方で

当時としては、珍しいくらい、人を大切にする会社でした。

 

デザイナーと、パタンナーは

1年に二回、ニューヨークから帰国する【大野順之助】さんの講習を受けさせてもらえるのです。

しかも、就業時間に・・・・

          

当時の大野先生・・・まだ若くて、シーチングをボディに当ててハサミで形にする姿

すごくてね

自分でも人並みに努力はしましたが、(株)34に入社出来たことが

この後の仕事人生を大きく変えてくれました・・・

そして、(株)34に、感謝しています。

      

       ※ 母と一緒の写真・・・二人とも幸せそうな雰囲気です。

         妹が撮ったのだと思うけれども、ピンボケ

         今日は、母の51回目の命日です。

        

         


売れてなんぼ の世界

2023-09-12 11:46:46 | 日記

何か・が、きっかけになり、新しい道が始まる・・・

       

       ※ 新山口駅近の地下道の出口

          地下道を上がり出口をでると、左右に”ウエディングホール”と、“ホテル”があります。

          後に新幹線の線路が見えます。

          右に行くか❓ 左に行くか❔ 

    こういうのを、【ターニングポイント】というのですね

 

私は、その時は、〇工房 〇〇 〇アトリエ を、退社することを選択しました。

   そして、

当時は、オーダーメードが普通で、いっぽう 朝陽の勢いだった、既製服産業  がありました。

  私は、『既製服』の道をえらんだのですが、

  選んでも、雇ってくれる会社がなくては

 

その頃は、ファッションデザイナーを目指す人は、パリへ   

 

既製服企業の有名メーカーは、パリを目指して、退社したデザイナーを見送り

改に、企業デザイナーを探していた頃だったと思います。

 

      

         

        ※ 新山口駅の地下道を出た場所 ウエディングホールのチャペル

          ここの風景が好きで、よく写真を撮りにいきます。

          上の写真・・・ミニトルソーがすてき!

私は、先輩のつてを辿って、(今は、無くなってしまいましたが・・・) 当時では

わりと有名だった『既製服』の会社・(株)34へ入社出来ました

デザイン画も上手ではないし、立体裁断なんて見たこともないのに・・・

       

        ※ こういうヌードボディに 、シーチングという、布をのせて立体裁断して

           デザイン画の形をパターン化します。

           短大の被服科ではもちろん、〇工房 〇〇 〇アトリエでも見たことなかった

       

    ※ これは、最近の私の作品です。テーラードジャケットのドレーピングです。

      形が決まったら、布を外して、平面パターンにします。

      ちなみに、出来上がった作品は・・・

           

 

そんな、私を採用してくれた (株)34の、М・М課のMDのTさん・・・

同郷のよしみで、採用してくださったとか

本当に   縁は異なもの味なもの ですね・・・

Tさんと、私が同郷でなかったら、違った人生だったかも

                 

      ※ 何に焦点が当たっているのか❔  でも、それなりにまとまっているような❓❔

      誰が主役でもない・・・そんな構図が好きです。

   ところが・・・

〇工房 〇〇 〇アトリエ を退社して、(株)34М・М課に採用されるまでの

一年間あまりの間、自分を見つめ直す出会いがありました・・・

  〇工房 〇〇 〇アトリエ を辞めたはいいけれども、

生活していかなくてはなりません

そのために、老舗のファッションブティックの、バイヤーだった人が立ち上げた会社に行きました。

       

      ※ 同じウエディングホールを撮ったのですが、

        主役のガス灯は同じ位置にいますが、回りの風景で主役が変わって見える・・・

        写真の切り取りで変化して見える・・・

        人間社会みたいです!!

       

老舗のファッションブティックの、バイヤーの中では、優秀な人材だったのでしょう・・・

大きな会社が投資して、アパレル会社を立ち上げた程の人物だから・・・

    でも、

バイヤーとしてはよくても、社長としては❓❔の人でした。

 

      そんなある日

❓❔の社長が、本社ビルに私と、他のデザイナー2名を連れて挨拶に行きました。

 

 そこには、本社の社長と、占い師を兼ねているというデザイナーがいました。

 占い師を兼ねているというのは、

 そのデザイナーのデザイン作業ぶりが

 まるで、占い師の様だし、必ずヒット(売れる)というところから、

 きているみたいでした。

 既製服のデザイナーは、売れてなんぼの世界です。

 売れなくては、評価されないし、そのうち契約破棄されます・・・

     

       

彼は、私を含んだ三人のデザイナーを紹介しました。

 (私が一番年下で、そのうちの一人はかなりのキャリアの持ち主でした・・・

 だから、その方はひるむことなく本社の社長とも、

 顧問のデザイナーとも会話されていました。)

 

❓❔の社長・・・おとなしい私をかばってくれたのか・・

「まだ若いから、あまりしゃべらないけれども・・・おとなしくていい娘ですよ

       ※一つの写真を、イメージを変化させるために・・・

         色彩を変えてみました。

       

        ※優しいイメージが色彩を変えると、冷たくなったり、少し怖くなります・・・

       

 

すると、

本社顧問のデザイナー:「何を言ってるの  この娘が一番手に負えないんだよ

         (ひとを見る目がないんだね~~とは言わなかったけれども・・・)」

     

❓❔の社長 :「そうですか~❔どこがですか❔」   

 

本社顧問のデザイナー:「人をみて判断できないのはダメだね・・・

            私なんか、生地をみて生地と会話するんだよ」

❓❔の社長 : 「なんてするのですか

本社顧問のデザイナー :「生地に向かってね・・・あなたはどうしたら嬉しい❔」

   すると、生地が答えてくれるらしいです・・・こうして欲しいと

   生地の言う事をちゃんと聞いてあげると、売れる服が出来るらしいです。

       「この娘は生地と同じでね・・・きちんと聞いて理解させる人のことは聞くけれども、

        ほかの理解できない人には絶対いう事をきかない頑固者だよ

        あんたも社長業をするのなら、そのくらいのことはね・・・」

      ※ 何故か・・・3に縁のある私 私のk川3本川・・・

      

 

さすが・・・占い師も出来る顧問デザイナー

一目私を見て、性格を当てられた

   でも、その方 (占い師も出来る顧問デザイナー) と出会ってから、

   素材を見ながら、会話しながら服のデザインする私が誕生しました

そして、良い人かもしれないけれども、❓❔の社長の会社を去って

   (株)34М・М課の面接を受けて、同郷のよしみで

   採用されたのです。

 

この会社で、デザイナーとしての知識を学ぶことが出来ました。

短大の被服科や、〇工房 〇〇 〇アトリエ で得た知識とは全く別世界の服作り

とまどいの、『既製服』の会社での仕事が始まりました。

       ※ 主人が、運転を止めれれる様になり、最近はもっぱら“バス”利用

          地方は、バスの走っている本数が少なくて・・・

          でも、一時間に一本でもありがたいです

          乗客数も少ないのに・・・・

          よく、廃車路線のことが報道されているのは納得できます。

          もちろん、利用者としてはあって欲しいけれども、人件費とかガソリン代、

          メンテナンス料金、保険料どこから捻出しているのだろう❓

          と、考えながら、乗っています。

          山口県庁前のバス停

          日中でも、ベンチに腰掛けて待っている人は、ほとんどいません・・・