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ハンドルネーム :Kaigowearと申します。

8月12日に・・・

2020-08-13 17:15:09 | 日記

昨日、8月12日がJAL123便、御巣鷹山墜落事故の命日でした。

五百人以上の犠牲になられた方々、恐怖の中亡くなられた方々・・・合掌

 

私は、この日になると思い出すことがあります。

私の母は早く亡くなりましたが、母の八人兄弟姉妹はとても仲がよく、

お盆になるとみんな実家に集まる慣わしでした。

35年前の8月12日も、母とすぐ上の伯母を除いた兄弟姉妹が

ご先祖のお参りのために実家に集まって、食事をしながら思い出話に華が咲いていたらしいです。

すると、テレビの画面のテロップ

JALの墜落情報 

みんな、びっくり・・・当時、私の妹はJALのスチワーデス

(今は、キャビンアテンダントというらしいですが・・・)をしていました。

「Nちゃん大丈夫かね~~」

当然思います。私も一瞬ドキッとしましたから・・・

すぐ、妹に電話しました。

  妹すぐ電話口で・・・

「私は、オフだったから・・・でも、お姉ちゃん、私は国際線だって忘れた?

でも、大変なことになって・・・同期とか心配 」って言っていました。

 

その頃、亡き母の実家では

皆さんそれぞれ心配されていたら、突然電話のベルの音

伯母は、恐る恐る電話に出たそうです。

実は、数少ない生存者の、K上K子さんのことで、叔父に電話でした。

当時、叔父はK上K子さんの学校の校長だったのです。

K子さんご家族一緒で、確かおばあ様がお留守番だった様です。

それで、即叔父は自宅に帰り、救助されたk子さんをお迎えに行きました。

その様子がテレビに報道された時、

「あっ、お母さんがなんでテレビ画面に・・・ 」と、びっくりしました。

お盆のせいだか、何だか、夢のようでした・・・一瞬ですが母が還ってきたって・・・

 

それは、叔父がk子さんと一緒の映像だったのですが、

それくらい亡母とよく似ていたのです。

そのことを、8月12日になると、思い出します。

それ以来、動いている、亡母を見ていませんが・・・

昨日は、お墓参りしてきました。

 

家についたら、ものすごいゲリラ豪雨

もう少し遅かったら、多分豪雨を避けられなかったと思います。

きっと、ご先祖様、亡母、養母が見守ってくれたのだと思う一日でした。

 

ちょっと、古いけれども、出来た当時は

オシャレでステキだったろうな~~と思えるレストランの画像

余計な ”おまけ”