2011.6.6
■どこを見ているのだろう?
今ほど、政治家がくだらなく見えたときがあっただろうか。
崖っぷちの瀬戸際の・・・そんなあやういところで必死に進もうとしている人たちの現状は、こんな私にだって十分伝わっている。
なのに、あの人たちは見て見ぬフリをしているのか、気づいていないのか(んなわけないね)。
菅ではダメで、ほかの人がトップに就いたら「協力しますよ」っていうのはどういうことなんだ?
そこんところを、こんな私にもわかるように説明してほしいもんだ。
空白の時なんか作っている暇はないんだから、とりあえず今の体制で協力するってことは不可能だったのか。
民主党の中でさえ1つにまとまらないんだから。
結局、政治闘争にすべてが利用されていたってことなのか。
そのニュースを見ている被災地の皆さんの怒りとも失望とも言えない、なんとも複雑な目だけが記憶に残る。
小沢氏はこんなところで画策している場合じゃなくて、もう議員をやめて地元岩手の復興のために最大限の力を発揮すれば(力はある人らしいから)、没後、「晩年は地元のために・・・」と讃えられたかもしれないのにね。
■お父さんの作った夕飯が見事
今日も何もコメントできませんが、みなさんに読んでほしくて。
http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/archives/2011-06.html
■メルトスルー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110607-00000646-yom-sci
震災の直後、仕事から戻って深夜のテレビでさまざまな専門家の原子炉フリップをもとにした解説に聞き入っていたことを思い出す。
語られていたすべてのことを軽く越える状況があのときすでに進行していたんだということを、思い知らされるばかりの日々だ。
「風評被害なんてとんでもない。一年間食べ続けても害はないわけでしょ」
あのとき単純にそう理解したつもりだったけど、そういう問題ではなさそうだ。
福島の学校の給食の食材に地元のものを使う危険性、放射線量を個別に計測して脅える若いママたち・・・、ホットスポットの問題。
メジャーなメディアでは知りえない情報をTwitterなどで仕入れつつ、判断は当然個人に課せられる。
そういうことばかり繰り返して、日々が過ぎていく。