『グッバイ、レーニン』 (2002年制作 ドイツ映画)
監督 ヴォルフガング・ベッカー
出演 ダニエル・ブリュール/カトリーン・サーズ/チュルバン・ハマートヴァ/マリア・シモン
●あらいあらい「すじ」● ベルリンの壁崩壊の直前、アレックスの母親クリスティアーネは心臓マヒで意識不明となる。夫が西ドイツに亡命したのち、その反動からか熱烈な社会主義活動家として東ドイツのために活動してきたクリスティアーネは、8カ月間眠り続け、ベルリンの壁崩壊もその後の暮らしのめまぐるしい変化も経験しないまま、突然眠りから目覚める。今度ショックを受けたら命の保証はないと医者に言われたアレックスは、母親にウソをつくことを決心する。母の眠りの間、国は何も変化なく存続していたこと。友人とウソのニュースビデオを制作し、それをベッドで静養する母親に見せ、訪れる人々にも、もちろん同居する姉夫婦にも口裏を合わせさせる。そして…。
■運ばれていくレーニン像
何より母親のクリスティアーネ(カトリーン・サーズ)がチャーミング。映画の紹介の記事を以前に読んだとき、社会主義者の頑固なおばさんを想像してしまったんだけど、実際は柔らかくて健気で、魅力的な女性。息子の言動にときどき戸惑いや疑問を感じながら、それを冷静に受けとめ抗うことをしない賢さがある。
死を前にして、実は夫(アレックスと姉マリアネの父親)は女性と西側に亡命したのではなく、あとから自分たちも亡命する約束であったこと、その勇気をもてなかったこと、そして夫からの手紙を受け取りながら一度も返事を書かなかったことを打ち明ける。できれば死ぬ前に一度だけ会いたい、と。
アレックスが父親を捜し出して病院につれてくるが、病室で二人きりになったかつての夫と妻の間にどんな会話が交わされたか、そこは描かれていない。私たちが想像するだけだけれど、妻は夫にどんなふうに謝罪したのだろうか。
また、病状が安定しているときに、ひとりで部屋を抜け出して外に出るシーンがある。見たことのないような活気にあふれた通り、西側の企業のポスター。圧巻は不要になった?レーニン像が吊るされて彼女の目の前を運ばれていくシーン。彼女の戸惑いの表情。レーニン像が彼女のほうに手を差し伸べて、まるで救いを求めているような滑稽さ。まさしく、「グッバイ、レーニン」ってことなんだろう。
■息子が作った新しい理想郷
アレックスは母親へのウソを積み重ねていくうちに、どんどんたくましくなる。うーん、たくましく、ちょっと語弊があるけど、大人になっていくってことかな。
最初は母の命を長らえるため、母にショックを与えないためにウソをつきはじめたということなんだけど。友人と「うそニュース」を作っていくうちに、その中にはアレックス自身が自分の頭で考え作り出した「理想の社会」「理想のドイツ像」が生まれ、育っていく。二分されていた国家は国家の体制やイデオロギーで隔たることなく、双方の国民が協力し合って新たな国家を築いていく…。
すでにアレックスの恋人から事実を知らされていた母親は、その最後の「うそニュース」を見ながら、「すばらしい」と感動するのだけれど、それはきっと、息子の「作った」新しい社会への賛美であり、息子が示してくれた優しさと愛への感謝だったのだろう。ベルリンの壁崩壊後の旧東ドイツの現実はそれほど甘くはなかったわけだし。
アレックスが東ドイツ時代のピクルスを探したり、友人と二人でニュースビデオを作ったりするようすが軽くてコミカルで、そう「軽い」というところがいい! 映画全体がそんな感じだからこそ、息子の母親への思いが素直に伝わってくる。これでもか、これでもかと涙を要求されちゃうと、気持ちがさ~っと冷めていく人なので。
映画全体に流れる息子の言葉で語られるナレーションがいい。エスプリがきいてて、抑制された言葉。
最後の言葉もいいなあ。「母は僕のうそを信じたまま旅立ったと思う」。そして自分の作ったうその世界に行けば、いつでも母に会える、って。
そこで、心地よい涙が私の頬を伝いました。
監督 ヴォルフガング・ベッカー
出演 ダニエル・ブリュール/カトリーン・サーズ/チュルバン・ハマートヴァ/マリア・シモン
●あらいあらい「すじ」● ベルリンの壁崩壊の直前、アレックスの母親クリスティアーネは心臓マヒで意識不明となる。夫が西ドイツに亡命したのち、その反動からか熱烈な社会主義活動家として東ドイツのために活動してきたクリスティアーネは、8カ月間眠り続け、ベルリンの壁崩壊もその後の暮らしのめまぐるしい変化も経験しないまま、突然眠りから目覚める。今度ショックを受けたら命の保証はないと医者に言われたアレックスは、母親にウソをつくことを決心する。母の眠りの間、国は何も変化なく存続していたこと。友人とウソのニュースビデオを制作し、それをベッドで静養する母親に見せ、訪れる人々にも、もちろん同居する姉夫婦にも口裏を合わせさせる。そして…。
■運ばれていくレーニン像
何より母親のクリスティアーネ(カトリーン・サーズ)がチャーミング。映画の紹介の記事を以前に読んだとき、社会主義者の頑固なおばさんを想像してしまったんだけど、実際は柔らかくて健気で、魅力的な女性。息子の言動にときどき戸惑いや疑問を感じながら、それを冷静に受けとめ抗うことをしない賢さがある。
死を前にして、実は夫(アレックスと姉マリアネの父親)は女性と西側に亡命したのではなく、あとから自分たちも亡命する約束であったこと、その勇気をもてなかったこと、そして夫からの手紙を受け取りながら一度も返事を書かなかったことを打ち明ける。できれば死ぬ前に一度だけ会いたい、と。
アレックスが父親を捜し出して病院につれてくるが、病室で二人きりになったかつての夫と妻の間にどんな会話が交わされたか、そこは描かれていない。私たちが想像するだけだけれど、妻は夫にどんなふうに謝罪したのだろうか。
また、病状が安定しているときに、ひとりで部屋を抜け出して外に出るシーンがある。見たことのないような活気にあふれた通り、西側の企業のポスター。圧巻は不要になった?レーニン像が吊るされて彼女の目の前を運ばれていくシーン。彼女の戸惑いの表情。レーニン像が彼女のほうに手を差し伸べて、まるで救いを求めているような滑稽さ。まさしく、「グッバイ、レーニン」ってことなんだろう。
■息子が作った新しい理想郷
アレックスは母親へのウソを積み重ねていくうちに、どんどんたくましくなる。うーん、たくましく、ちょっと語弊があるけど、大人になっていくってことかな。
最初は母の命を長らえるため、母にショックを与えないためにウソをつきはじめたということなんだけど。友人と「うそニュース」を作っていくうちに、その中にはアレックス自身が自分の頭で考え作り出した「理想の社会」「理想のドイツ像」が生まれ、育っていく。二分されていた国家は国家の体制やイデオロギーで隔たることなく、双方の国民が協力し合って新たな国家を築いていく…。
すでにアレックスの恋人から事実を知らされていた母親は、その最後の「うそニュース」を見ながら、「すばらしい」と感動するのだけれど、それはきっと、息子の「作った」新しい社会への賛美であり、息子が示してくれた優しさと愛への感謝だったのだろう。ベルリンの壁崩壊後の旧東ドイツの現実はそれほど甘くはなかったわけだし。
アレックスが東ドイツ時代のピクルスを探したり、友人と二人でニュースビデオを作ったりするようすが軽くてコミカルで、そう「軽い」というところがいい! 映画全体がそんな感じだからこそ、息子の母親への思いが素直に伝わってくる。これでもか、これでもかと涙を要求されちゃうと、気持ちがさ~っと冷めていく人なので。
映画全体に流れる息子の言葉で語られるナレーションがいい。エスプリがきいてて、抑制された言葉。
最後の言葉もいいなあ。「母は僕のうそを信じたまま旅立ったと思う」。そして自分の作ったうその世界に行けば、いつでも母に会える、って。
そこで、心地よい涙が私の頬を伝いました。