隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

夏空~大型冷蔵庫と母と娘

2014年08月07日 21時57分16秒 | 日記

2014.8.7(木)


 昨日の広島の日。
 
 実家の母のところに大型冷蔵庫が届く。
 製氷室が機能しなくなり、修理もたび重なったので、母もあきらめたようだ。
 「もう何年も使わないと思うともったいないけど・・・」
 と言ってはいるが、母は私の相方に「ワタシ、死ぬ気がしないのよ」と言い放った人だ。この大型冷蔵庫とも長い付き合いになるだろう。
 そうは言っても、娘の家のものよりもデカイ冷蔵庫を購入してしまったことを、あの母は少し気にしているのかも。
 別に娘に買ってもらったわけでもないし、堂々としていればいい。

 夏の日に冷蔵庫を購入するのは考え物だと、つくづく思う。
 搬入前に古い冷蔵庫から食品などを取り出しておく。新しい冷蔵庫が届いてすぐに電源を入れても、内部が冷えるのに最大24時間かかることもあるとか。
 母の冷蔵庫にはびっくりするくらい種種雑多のものが保存されていて、その中のアイスクリームやアイスキャンデーは残念なことになった。
 食べることが好き、といっても、あの「飽食」の象徴のような光景はどうなんだろう。
 母は自分でも感じるところがあったのか、「しばらくの間は物は買わずに、冷蔵庫にあるものですませるわ」と言っていた。

 母は食欲旺盛な時期に戦争を経験している。
 そういう経験をしても、そのあとにどんな人生を生きるかは、人それぞれだと、つくづく思う。
 母は、まずいものはすぐに捨てる・・・。以前はどうだったか忘れたが、今はそういう母だ。
 「まずいから捨てようと思うけど、あなた、持っていく?」ときかれて、何とも言えない気持ちを味わうことがある。
 私は捨てられない人だ。でも、捨てようと思ったものを「持っていく?」と尋ねられるのは、けっこうな屈辱だ。
 それでも私はひねくれ者だから、あえて「もらっていくよ」と言う。それは、母へのささやかな抵抗だ。

 冷蔵庫を相手に大奮闘したあとで、母は「小田急デパートで見つけてきたシベリアケーキが美味しいのよ、食べる?」と。
 私はとくにシベリアケーキが好きというわけでもないし、暑いときに食べたいものではないけれど、せっかくそう言うので一切れいただく。
 「○○のシベリアケーキはまずかったけど、これは美味しいでしょ」と何度も「○○」を繰り返してけなす。
 私は「○○」というメーカーにはなんの義理もないけれど、でもデパートのシベリアケーキを褒めるために何かをけなさなくてもいいじゃないか、と思う。いつもこうやって、何かをけなすことが好きなわが母だ。
 そういうことが重なると、たとえ「小田急デパート」で購入したシベリアケーキがうまくても、なんとなく私は素直に「うん、美味しいね」とは言いたくなくなる。だから黙って食べて、感想はもらさない。

 母よ、気づいてください。あなたの娘はそういうあなたの言動が苦手な人なのです。

 もう何十年も抵抗してきたけれど、同じことが繰り返されて、きっと最後の時までそうなんだろう。
 もうあきらめているけれど、娘にあきめられてしまった母も哀れだ。

 「ありがとう、忙しいところ、本当に助かったわ、一人ではとうてい無理だった。助かったわ」
 門まで見送ってくれて、何度も繰り返す。
 苦手なところや許せないところは数限りなくあるけれど、娘はこういう母の感謝の言葉で、帳尻を合わせる。
 相方はそういう私の心理を見通して、文句を言う私をどこかで笑っている。

 でも、結局は親孝行な娘なんでしょ、とは思わないでください。それは絶対に違うのです。


                              

 
 帰りの明大前のホームで、スヌーピーのTシャツを着てiPhoneをいじっている男性に遭遇。
 年の頃は40代半ば? 30代ではないだろう。
 「40代でスヌーピーのYシャツが許されるのは草野マサムネだけ」と言っていた、新しいスピッツファンのサトさんの言葉を思い出す。
 そのメールを読んだときは、「そう?」を笑って流したけれど、う~ん、そうかも・・・しれない・・・。
 あの男性、なにもスヌーピーじゃなくてもよかったのに(笑)。



 「あの原爆投下で戦争が早く終結し、大勢の米国民の命が救われた」
 そういう人は、原爆の悲惨さ、それが何十年も続く悲劇だということを知らないの、としか思えない。
 それを伝え続ける国であり国民でなければいけないのだろう、私たちは。
 核の抑止力が言われている限り・・・。


                            


 駅前の広い夏空はどこまでも美しい。熱気のようなものが足元からあがってきても、頭の上はどこまでも爽やかだ。

 まぶしい光と熱につつまれて、あの日の夏空を思い出す。
 「あの日」は、思い出す時によって、それぞれに異なる。
 初恋の頃だったり、友と旅をしているときだったり、幼子らとテントの脇で夜空を見上げたときだったり・・・。
 夏はいつも、胸に何かを残す。
 若くても、そうでなくなってからでも。
 今年の夏は少し・・・だけど、でも私の夏であることにかわりはないだろう。

 みなさんの夏にも!!

 そちらの雨はどうですか? 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日常を一瞬だけ忘れて・・・... | トップ | 「戦争が終わった」のではな... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。