2022.04.05(火)
久々の青空は、ちょっと遠慮深げだ。
でも薄いジャケットでも汗がじわり。暖かい。
幼子たちへの進級祝いを送ったあと、帰宅して、一休み。
ウクライナのニュースを聴きながら、数年前に読んだ本を思い出し本棚を探す。
★アントニオ・G・イトゥルベ作
『アウシュビッツの図書係』
(小原京子 訳) 集英社
本が禁止されていたはずのアウシュビッツの収容所で秘密裏に管理されていた小さな図書館があったこと、そしてそこの管理を10代の少女ディタがまかされていたこと、その少女がホロコーストを生き延びていたこと。
その奇跡とも思える事実をつなぎ合わせて、事実をもとにしたフィクションを書き上げたのが、スペインの作家イトゥルベ。
彼は、イスラエルに住み1年に一度プラハに戻る習慣を欠かさないディタに出会い、彼女から聞き出した事実と彼自身が調べたことをもとに、この本を書き上げた。
アウシュビッツ第二収容所にあった家族収容所を舞台に、ナチス側、ユダヤ人側の実在の人物も数多く登場し、過酷な残酷な(こんな言葉をいくつ重ねれば、事実まで行きつくのだろう)暮らしの中で、人はそれぞれに、情けなかったり、ずるかったり、弱かったり、だけど粘り強く優しくおおらかでもある。
幼いころに『アンネの日記』を読んで、無知ゆえの愚かさから、隠れ家での暮らしにかすかな憧れを抱いた私は、もう同じ過ちは繰り返さない。
人は限られた自由の中でこそ自由のすばらしさを知ることもあるかもしれない。
でも、それはあくまでも「限られた自由の中で」だ。アウシュビッツをはじめとする当時のナチの収容所には、「生きる」ことを選択する自由はない。その中で前向きに人生を考えるなんて、これ以上悲惨なことはない。
私たちがこういう過去から学べるのは、戦争の中で、人はいくらでも残酷になれるということ、そして、矛盾しているかもしれないがそのなかでも生きることを諦めない強さをもてるということ、その両方だと思う。
そして同時に、戦争なんて人間には無用の「経験」だ。たとえ生き延びても、その間に失われたものを数えたら、限りない。味わうことのできたはずの優しい人の営みは、永久に戻らない。
この本は、重い現実を淡々と描きつつ、少女の目を通して見た収容所の日常を映像作品のように私たちに届け、ドキュメンタリーの匂いも感じさせる群像劇としてのおもしろさも伝えてくれる作品だ。
ウクライナで現実に行われた卑劣な虐殺があったのなら、歴史を偽らずに追求しなければならない。
21世紀の地球上で、このようなことが繰り返されていることへの憤りと失望を、毎日感じている。
どういう外交手段を使えば、侵攻を終結させることができるのだろう。それはもう不可能なのか??
今日、近くのJRの駅のみどりの窓口に行列ができていた。
この時期になぜ?と思ったが、ひょっとしたら、新学期を前に定期券を購入する人たちだったのか。
もしそうなら、オンラインではなく、友人たちと出会って語り合える学園生活が続きますように。