2024.02.11
ロック大陸漫遊記
TOKYO FM
2月第2週!
「運転中の方、お仕事中の方、暇こいてる方、いろんなシチュエーションの方がいらっしゃると思いますが、ちょっとした息抜きにしていただけたら幸いです」
そして今日は、【Japanで漫遊記】。
「これ、バンド名です」。
イギリスのバンドで、70年代後半から80年代にかけて、主に日本で人気が高かった。
ニューロマンティック、ビジュアル系のルーツとも言われている重要なバンド。
草野くんも「ロック大陸に上陸した当時、よく聴いていました」。
セットリスト
01 未来未来(スピッツ)
02 The Unconventional(Japan)
03 Adolescent Sex(Japan)
04 Sometimes I Feel So Low(Japan)
05 Quiet Life(Japan)
06 Taking Islands in Africa(Japan)
07 Visions of China(Japan)
08 もっとリアルに(一風堂)
漫遊前の1曲は、スピッツで「未来未来」(2023年、17thアルバム『ひみつスタジオ』)。
この前のライブに朝倉さやさんが来られたそうで、「どうせならライブに生で参加してほしかったな」と。
(妙にハマって何度もリピートしてしまう。気持ちいいし、朝倉さんの限りない高音とラップ調での草野くんの低音のコラボがクセになります。またライブで聴きたいな)
最初の曲は、Japanの「The Unconventional 奇(あや)しい絆」(1978年、デビューアルバム『Adolescent Sex 果てしなき反抗』)。
草野くんが洋楽を聴き始めたときに、Cheap Trip、ABBA、Blondieなどと並んで「ベストテンに入っていた曲」。
そのころは情報源がラジオだけだったので、「『奇しい絆』がバンド名なの?」などと思いながら聴いていた。
草野「今の感覚では、『奇しい絆』がバンド名、というのもなかなかカッコいい感じもしますが」
ZO-3でリフを弾きつつ、「このリフ、シンプルなんだけどカッコよくてクセになります」。
Japanについて。
1970年代初頭に、ロンドンの南のブラウンヒル・ロードで、男子校に通う、デヴィッド・シルヴィアンとスティーヴ・ジャンセンの兄弟が、兄の同級生ミックを誘ってバンドを結成。それがJapanの始まり。
最初はバンド名もなく、家族や知り合いのパーティーなどで演奏するアマチュア志向のバンドだった。
その後、キーボードとリードギターが加入してからは、プロを目指して本格的に活動を開始。
1976年、もともとヤードバーズ、マーク・ボランのマネージャー、またワムなどを手掛けていたプロデューサーのサイモン・ベルとマネージメント契約をして、78年、ドイツのレーベル、Hansaからデビュー。
バンド名に特に意味はなく、「なんとなく響きでつけた」。邦楽で言うと、「グッドモーニングアメリカとか、Czecho No Republicの感じなのかなあ」と。
『ミュージック・ライフ』などがプッシュして、日本で最初に火がついたバンド。「そのへんは、チープ・トリックとかもそうだけど、見た目がカッコよくてアイドル性があったからなのかな。とくに、デヴィッドとスティーヴの兄弟がカッコよかった(名字が異なるのは、芸名だからだそうです)。
そして、男性がフェミニンな化粧をするミュージシャンは、彼ら以前だと、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボランなどの存在があるが、「オレにとってリアルタイムで最初に知ったバンドが、このJapanでした」。
当時はこういうタイプのバンドを毛嫌いする人も多かったが、草野くんは「毛嫌いされるのもまたロックらしくてカッコいいな」と思っていた。
その後は、ガール、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブなどが現れ、「Japanのフォロワー的な存在として見ていた」。
次は、「Adolescent Sex 果てしなき反抗」(1978年、デビューアルバム『Adolescent Sex 果てしなき反抗』)。
このデビューアルバムは、草野くんが持っていた唯一のJapanのアルバムなので、「結構聴いていた」。
こうやって初期のアルバムを聴いていると、「デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックの影響を感じます。特にロキシーかな。ファンキーなんだけど、デカダンというか、退廃的なロックサウンド」。
この路線は2ndアルバムまでで、「オレが聴いていたのも、ここまで」。
でもサブスクなどですべてのアルバムを聴けるようになったので、このバンドを「俯瞰で見れるようになった」ということで、「今日の特集につながった」そうだ。
次は、「まだロックっぽかった2ndアルバムから」、「Sometimes I Feel So Low 孤独な安らぎ」(1978年、2ndアルバム『Obscure Alternatives 苦悩の旋律』)。
次は、「Quiet Life」(1979年、7thシングルとして日本で先行リリース/1979年、3rdアルバム『Quiet Life』)。
この曲は、「より売れ線を狙ったのか、ディスコ・ミュージックな曲になってきています」。本国での初ヒットにつながる。
最初は日本での人気が高まったが、「より世界的に認知されたのは、ディスコ・ミュージックのプロデューサー、ジョルジオ・モルダーさんが絡んだりして、よりダンサブルになってから、なのかな」。
ただし、ダンサブルになっても、憂鬱というか退廃的な雰囲気は変わらない。これは「ボーカルのデヴィッドさんの歌の持ち味もある」。
また草野くんが好きだった、それまでのギターのロブ・ディーンさんの出番がだんだん減ってきて、「普通のロックサウンドから離れていった」。そして、「バンドの後期にはロブ・ディーンさんは脱退してしまう」。
Japan - Quiet Life
メッセージコーナー。
「洋服の毛玉は、どのようにメンテしていますか?」
(ホントに、音楽とは全く関係ない(笑))
「毛玉ねっ! ウールの靴下とか冬に履きますけど、結構すごいことになってます」
で、「毛玉はね、基本、放置です。オレの中では毛玉は白髪と同じで(おおっ)、抜くと毛量自体も減っていくものだと思う」。
毛玉を取っていくと、そのうちスカスカになって、「本体がなくなっちゃう気がしちゃって。だから気になっちゃったら、毛玉を本体にねじ込んでいく、クチャクチャクチャって」。
どうしても気になったときには、「目立ったやつだけ取る」、そんな感じらしい。
ほかの人が着ているセーターの毛玉がすごくても「気にしないようにしてる」。
(毛玉をとるシェーバーもあるんですね。へ~。草野くんは、資源として大事にしていく派みたい)。
Japanはそのバンド名から、日本と縁が強いバンドだった。
まず、日本から人気に火がついた。本国ではまだ無名だったのに、来日して、いきなり武道館公演。
「バンド名が、KoreanとかIndiaとかThailandだったら、全然違う歴史をたどったのかな」と。
日本のミュージシャンとも共演も多く、「特にYMO界隈の人たち?」。
スピッツが以前、坂本美雨さんのラジオ番組『Dear Friend』に出演したときにきいたエピソード(ココ。このエピソードはないけど)。
坂本龍一さんがJapanとコラボしていたとき、「まだ小さかった美雨さんはJapanのメンバーにかわいがってもらって、スティーヴ・ジャンセンさんの膝にのっていたという話を聞いて、オレの中では、スター!という存在だから、え、それ現実の話?ってメチャ驚きました」。
そして次は、「Taking Islands in Africa」(1980年、4thアルバム『Gentlemen Take Polaroids 孤独の影』)。
この曲は、坂本龍一さんがシンセと曲作りに参加している。
そして最後は、「彼らの最高傑作とも言われるラストアルバムから」、「Visions of China」(1981年、12thシングル/1981年、5thアルバム『Tin Drum 錻力の太鼓』)。
このアルバムでは、「もうロックの枠にはとらわれない音楽になっちゃってます」。
全体的に「ヨーロッパの人が考える東洋フレーバーというかアジア趣味の雰囲気が全開で、アレンジがとってもおもしろいです」。
「Japanという名前のバンドが中国のことを歌っているというのも、興味深いものがありますけどね」と。
(ジャケットもその路線! 毛沢東?)
草野くんは、「個人的には、ファンキーなギターロックのころが好きだったから、リアルタイムでこれを聴いたときは、まったく良さがわからなかった。今改めて聴くと、これはこれでおもしろいなと思いますけどね」。
特集の終わりに。
Japanのベーシスト、ミック・カーンさんは、アートの世界でも才能を発揮し、絵画や彫刻で独創的な作品を残している。
またフレットレスベースという楽器があることを、彼の写真で初めて知ったそうだ。
キーボードのリチャード・バルビエリは、Japanのあと、ポーキュパイン・ツリーというモダン・プログレッシブロックのバンドで活躍していたが、「このバンドもすごいカッコいいんで、興味を持たれた方は聴いてみてください」。
Porcupine Tree - Of the New Day (Official Lyric Video)
(ちょっと聴いてみたくなりませんか?)
今日の「ちょっぴりタイムマシン」は、一風堂の「もっとリアルに」(1979年、デビューシングル/)。
(イントロは、「今」。好きです! 好きです! 短いけどカッコよさが際立つ。あのアルバムのオープニングにぴったり! 歌詞も意味深ですてき)
一風堂の土屋昌巳さんは、「うちのテツヤもお世話になっている、日本を代表するギタリスト」。
土屋さんはJapanのツアーに参加したこともある。
(草野くんは、東京で豚骨ラーメンを食べたくなったら、一風堂を訪れるとか)
一風堂の曲では、「すみれ September Love」が有名だが、今日は「もっとさかのぼってデビューシングルから」。
(気持ちいいし、懐かしい)
そして来週は、「シタールで漫遊記」。
リスナーさんからのリクエストもあったそうです。
シタールはインドの民族楽器で、「実はロックやポップスではすごく使われている。意外にインドっぽくない使われ方だったりもする」。
そんな興味深いシタールという楽器が使われている曲で漫遊です。
(ジョージ・ハリソンとシタール・・・は知ってるけど)
「草野さん、街中探しても、マリトッツォが見つかりません!」
(え、そうなの??)
というわけで、この回もまだ聴いてないけど、たまらずコメしてしまいました。なんか、マサムネとJapanって結びつかないけど、さすが守備範囲が広い人だなあ。紹介された曲の中では、「Taking Islands In Africa」がお気に。あの南海を漂うような、ゆったりとうねるイントロが大好物で。他には、「Night Porter」や「Ghosts」など、暗めの曲も秀逸です。
最初に知ったのは、確かtvkの音楽番組。それから、あれよあれよと人気が出て。ネットなんかない時代だったから、洋楽雑誌とかテレビ・ラジオで、必死こいて情報を漁りました。懐かし~い!
おはようございます。
こういうの、うれしいですよね。
好きな音楽とか夢中だったバンドの曲とかひさびさに聴くと、いろんなことが蘇る。
私はこの世代ではないから(-_-;)、むしろ新鮮に聴けました。この頃って、なんだかバタバタしていて、余裕なかったのです。
だからこその貴重な1時間弱でした。
ホント、ネットなんてなかったから、雑誌やラジオって貴重でしたよね。
ゆっくり番組を聴いてください!