2011.1.8(水)
年末には、「正月休みに5本くらいはDVD観られるだろう、本も3冊くらいは・・・」なんて軽く考えていたけれど、いざ終わってみたらとんでもない。
なんだかんだと忙しかったのか、ついついダラダラ、ウトウトしてしまったのか。
昨日はぎりぎり最後の1本を観て、深夜に返却してきました。
本はお楽しみに、これから少しずつ・・・です。
『探偵はBARにいる』『のぼうの城』はお正月気分の中で最高のチョイスだったと自画自賛しましたが、あとの2本はカタルシスを求めて(笑)、『はじまりのみち』と『わが母の記』。偶然ですが、母と息子の映画になりました。
『はじまりのみち』2013年
監督 原恵一
出演 加瀬亮/ユウスケ・サンタマリア/濱田岳/田中裕子
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/hajimarinomichi/
私がリアルタイムでは観てないくらい古い日本映画のような雰囲気。
登場人物の言葉数も少なく、どこかとぎれとぎれな流れ。母と息子たちの峠越えのシーンもこじんまりしていて、どんな風景のところを歩いたのかなともっと知りたくなるくらい。
それがまだるっこしいと感じる人と、懐かしいなと感じる人で、この映画への評価は分かれるだろうと思う。
映画の最初のシーンで、撮影所の城戸さん(大杉漣)と木下恵介(加瀬亮)が、好戦的な、士気向上の映画制作を強いられることへの思いを論争する。ここがはじまりで、木下は映画をあきらめて郷里の家族のものに帰り、母を疎開させるために兄と峠越えをすることになるのだけれど、そのきっかけになるともいえるこのシーンがあまりグッと迫ってこない。引き留める城戸も、いらだって席を立つ木下も、ちょっとつくりものめいていて。演技達者な二人のことだから、役者の責任ということではないと思うのだけれど。なんだろう? でも、全体を通じて、「え、ここで?」という間(マ)があったりするから、こういう演出方法で、あの時代というか、「現在」とは異なる時間の流れを表現していたのかな。
そういう違和感があっても、その流れは心地よい。短い言葉の端々に、優しさやぬくもりがこめられている。
兄弟を演じた二人の空気感が、もうステキに乾いていて、つかず離れずの関係が温かい。加瀬亮さんはもちろんだけれど、ユウスケさん、あなたはなんでいつもそうやって、四角い画面の中に自然に溶け込んでしまうのだろう。
脳溢血で倒れてことばをうまくしゃべれない母親の田中裕子。目と優しい笑顔と、そして時には優しく息子の頬をなで、時には感謝の気持ちを表す手の優雅な動きで、母のすべてを表す。
思いがけなくよかったのは、峠越えに付き合う便利屋の青年を演じた濱田岳。狂言回しのように、静かな画面に笑いやさざ波を立てて、そして核心をついたことをさらっと言ったりする。
誠実な父の斉木しげる、心がほっこりする宿屋の夫婦の光石研、濱田マリの巧みな掛け合い。それもよかったな。
ユウスケさん扮する兄が言う。
「息子の僕が言うのもなんだけど、うちの両親以上に正直な人間を知らないんです」
そのことばにグッときてしまった。そう言える、あるいはそう言ってもらえる・・・そんな親や子の、選ばれた幸福感じゃないだろうか。誠実に生きてきたことを息子がちゃんと見ていてくれたことは、親としての喜びではあるだろうけど、むしろそれより、そういうふうに感じられる息子に育ってくれたことのほうが、親としてはうれしいかもしれないなあ。
宿の前で、息子は井戸の水でぬらしたてぬぐいで母の顔についた泥を優しくぬぐい、櫛で髪を整える。
そこには、母への静かな愛や尊敬の念が漂い、母の表情が神々しく変わっていくのを、宿屋の夫婦や娘たち、そして便利屋の青年が息をのむように見つめている。
母と息子(あるいは娘)の関係はもちろん、百組あれば百通りの色合いや肌触りをもっているだろう。そこには、物語では取り上げられない小さな些細な出来事や諍いや慈しみもあるだろう。現実の世界では、どんなに幸せを感じても、どんなに不幸を嘆いても、実際には人の家族を見てうらやましいとか、あんな家族じゃなくてよかったなどと安堵したりする余裕はないことが多い(少なくとも私はそうでした)。
でも映画の場面となれば例外で、こんなふうに母を愛せる息子を、こんなふうに心を寄せられる母を、少しうらやましく思ったのだ。
老いた母のこれまでにいつまでもうじうじするのはやめよう、と素直に思ったりする。いとしい息子たちの現実をいつもより強く願ったりする。
そんなシーンだったかな。
濱田岳くんの便利屋はとても魅力的。その彼が木下恵介監督の『陸軍』を観ていて、問題となったラストシーンに感動した話を本人の前で(そうとは知らずに)話すシーンはなかなかいいんだけれど、そこに私の心が行ってしまって、母親や兄の言葉がちょっと薄れてしまったのは残念。これは私の感じ方が問題なのかも。
それから、この作品は木下恵介監督へのオマージュという一面もあるから・・・ということなんだろうけど、『陸軍』やラストの彼の作品を流すところ、私にはちょっと長すぎたかなあ。なんとなく冗長に感じてしまいました。
『わが母の記』2011年
監督 原田眞人
原作 井上靖
出演 役所広司/樹木希林/宮あおい/南果歩/
キムラ緑子/ミムラ/菊池亜希子/三浦貴大
赤間麻里子/三國連太郎
http://www.wagahaha.jp/
こちらは、井上靖の私小説を原作にした家族の長い長いドラマ。
主人公の作家の母親への複雑な思いと、その母の認知症が進んでいくさまを、家族の時間の流れとともに描いていく。
とくに大きな事件が起こるわけではないが、日々のなにげない家族のかかわりや会話が、役者たちの心地よい動きと、よく練られた自然な言葉のやりとりで、家族の絵巻物を映し出す。
『はじまりのみち』がおもしろい間(マ)を作り出していたのなら、こちらは正反対で、実際の家庭をようすを垣間見ているような自然な空気で物語は進んでいく。
こういうおもしろさは、ストーリーではないから、役者と脚本次第なんだろうな。
登場人物すべてがすばらしい。よき時代?の裕福で知的な家族たちは、実際には私のまわりには見当たらないけれど、でもこんな感じなんだろうな、と思わせる。
作家の娘たちも、妹たちも、生き生きとしたたかに暮らしている。
役所広司が、流行作家として、古い家の家長として、夫として、父親として、息子として・・・とさまざまな表情を巧みに見せてくれる。ステレオタイプ的に計算高く見せない感じがいいなあ。
かつて幼かった自分を一時期捨てたと思っていた母が、壊れかけた頭で今でも「幼かった息子」を探し続けていたという事実を確信するところ。物語のクライマックスだけれど、そこもおおげさに余韻を引きずらせないところもいい。
そして、なによりも母親を演じる樹木希林の「凄まじさ」。私の貧相なボキャブラリーでは「凄まじい」としか言えない。
優しさやぬくもりや、狡猾さやわがままを、時間の過ぎゆくなかで、少しずつ変化させていく。老いはひととおりではないことを、認知も単純ではなく行ったり来たりすることを、セリフではなく目や身体で表現する。
息子や娘たちのこともはっきりとはわからなくなった頃、母は作家の前で、ある詩をそらで発し始める。作家が少年の頃、母恋しさでかいた詩。本人さえ、どんな詩だったか覚えていないのに、認知症が進んでいる母親は古ぼけたメモ書きを見ずにそらで言う。
ここは泣けたなあ。
こだわりがあっても、こんなふうに解消されたらどんなに幸せだろうかと、想像するだけで胸が熱くなった。
セットもすばらしい、と思ったら、世田谷の作家宅は、実際の井上邸でロケをしたのだそうです。その後解体して、一部が井上靖記念館に移譲されたらしいけれど。
陳腐すぎるけれど(恥)、「日本の古きよき時代」っていうんでしょうか?
何日かかかってまとめました(笑)。ふ~。
それで最後に全然関係ないけれど、以下のニュース。
スピッツからのお年玉だそうです。
http://www.barks.jp/news/?id=1000098321
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