2018.11.25 21:00~
『草野マサムネのロック大陸漫遊記』
TOKYO FM
https://www.tfm.co.jp/manyuki/
導入はテストのお話。
小学生の頃の草野少年は、漢字のテストで「手偏」の下の部分をはねないで、すべての「手偏」の漢字をことごとくペケにされた苦い経験がおありだとか。
ところが最近では、文化庁が「漢字の止めはねはこだわらなくてもいい」という指針を出したそうで、
「小学校の頃に戻って、答案をもっていって『採点し直してくださいよっ!』と抗議したい気持ち」から、
「小さい頃の悔しい思いをいつまでも忘れないという器の小さい話」でスタートしました(笑)。
今日のテーマは恒例の「古い音楽雑誌を地図にして漫遊」。
「ロッキング・オン・ジャパン 1995年9月号で漫遊記」です。
(このくらいの時期の雑誌ならすぐに出せるので、今手元に置いています)
草野「初のスピッツ表紙・・・というか、ワタクシ草野マサムネのソロカットで、黄色い花なんか持って気取っていますが」
(赤いトップスでこの表情・・・。なんか乙女チックで、こっちも照れます)
オンエア曲
01 涙がキラリ☆ / スピッツ
02 ミサイルマン(ザ・ハイロウズ)
03 Garden(Spiral Life)
04 とまどいの時を越えて(FLYING KIDS)
05 Heavy Metal Thunder(Cornelius)
06 レミレミ(神森徹也)
07 ノーコメント(Transistor Glamour)
08 醒めない(スピッツ)
漫遊前の一曲は、スピッツで、「(この号が出るちょっと前にリリースされた)涙がキラリ☆」。
最近はライブでも結構演奏されるけれど、さすがにCDは声が若い?
最初の曲は、ザ・ハイロウズで「ミサイルマン」(1995年、デビューシングル)。
「ヒロトとマーシー 野音に現れる!」!のタイトルでカラーレポ。トップページは二人の攻撃的なフォト。
ブルーハーツ解散後、なんじゃ、これは? 二人でやるのか、この日だけのパフォーマンスか?なんて書いてあるし、 ↑THE HIGH-LOWS↓(ザ・ハイロウズ)というバンド名もまだなくて「ハイローズ」なんて書いてあるし。
草野「謎のバンド 野音に現れる・・・。ヒロトさん、上半身裸にG-ショックってかっこいいじゃないですか」って。
そののち、クロマニオンズまでいっちゃう二人のその後を思えば、このときの山崎洋一郎氏の文章、どうとらえていいのかわからないままに、自分なりにむりやり結論づけたような、つけられなかったような・・・そんなレポで笑ってしまう。
ここで雑誌の説明。
マサムネくんの言うとおり、解説不要のバリバリ現役の音楽雑誌ですけど。
1972年に刊行された洋楽専門誌『rockin'on』の兄弟誌として、1986年に刊行されたのが邦楽ロック ポップ専門誌『rockin'on JAPAN』。創刊号の表紙は佐野元春さんだそうです。
のちに、「雑誌編集にとどまらず、音楽フェス主催へ」と進んでいく。雑誌も音楽関係にとどまらない感じですね。
スピッツにとっては、「デビュー当時から突っ込んだ取材をしていただき」お世話になった雑誌だそうだ。
『JAPAN』の表紙になるというのは「1つの目標」でもあったそうで、この号は知り合いに頼んで10冊くらい自費で購入したとか。
次は、Spiral Lifeの「Garden」(1995年、7thシングル)
9月号では、ツアーの密着同行記の形で、軽い読み物風に構成されている。
言わずと知れた、石田ショーキチさん(当時は石田小吉)、車谷浩司さんの音楽ユニット。
当時、「ポスト フリッパーズギター」というふうにとらえていたマサムネくんは、とくに1stアルバムが気に入って、車の中でよく聴いていたとか。この記事の冒頭では、スピッツの「スパイラルが気になりだしている」という発言を例にあげて、スパイラルの認知度が高まり始めている、と書いてある。
石田氏とは、のちに『ハヤブサ』のプロデュースで、また黒沢健一さんや田村くんとはMOTORWORKSで、とスピッツとのつながりも強い。車谷氏は新木場サンセットにも参加したことあり。
2012年の新木場サンセット。私も車谷さんの世界に酔いました(ココ)。アルバム、聴いていますよ。
草野「スパイラルは、どのアルバムもポップでクオリティーが高い」
この楽曲は「事実上のラストシングル」だそうだ。
さて、1995年ってどんな年?
何と言っても、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が時をおかずに起こったのは忘れられない。
震災はスピッツが「ロビンソン」をレコーディングしているときだったそうだ。
映画は『マディソン郡の橋』『トイストーリー』などがヒット。
ウィンブルドンでは、伊達公子、松岡修造がベスト8! 野球では野茂選手がメジャーで大活躍。トルネード投法だな。
ゲーム機ではプレイステーション、セガサターンが登場して、ファッションでは「アムラー」たちが街にあふれる。
前年にリリースされた「DA.YO.NE.」が大ヒット。博多弁バージョンの「SO.TA.I (そうたい)」には、博多華丸、板谷由夏さんが関わっていたとか。へ~。
J-POPでは、ミスチル、B'Z、ドリカム、小室プロデュースが大流行。ま、スピッツが大ブレイクでしたね。
次は、FLYING KIDSの「とまどいの時を越えて」(1995年、12thシングル)。
前身バンドは、マサムネ+田村の大学の音楽サークルの先輩たちで、「すごくうまくて、雲の上の存在だった。オレのまわりにもファンが多い」。
初めてちゃんと話したのはMステでの共演のときだそうで、のちに「ロックロックこんにちは」(2008年)にも出てもらった、と。
「今でもステキな人たちです!」
「これはファンキーな彼らにしては、キャッチーな曲」と。
最近は浜崎さんのソロ活動しか追っていなかったけど、久々に聴いたら、なんだかすごくワクワクしてきたぞ。
記事は浜崎さんのインタビュー1ページで、「とまどいの時を越えて」について、「言いたい事と、皆が聴きたいであろう事がやっとぶつかり合った曲」と語る浜崎さんについて、鹿野淳氏は「『ロビンソン』ほどのブレイクにはならなかったが、フライング・キッズが誰よりも愛と勇気を誠実に奏でるポップ・バンドである事は図らずも証明されたと僕は思っている」と書いている。
そして、Corneliusで、「Heavy Metal Thunder」(1995年、2nd『69/96』)。
小山田圭吾ソロユニット。
記事では、「満を持して、セカンド・アルバム製作に突入!」という1ページ掲載。
1991年のフリッパーズ・ギター解散後、「お二人がどんな活動をされていくのか、一ファンとして注目していた」。
草野「小山田さんのほうが動き出しは早く、ソロの1stからはフリッパーズ・ギターの延長線上にあるのかな、と思った。けれどセカンドアルバムから野心的で独自な作品になっていきましたね。刺激的な・・・」
この曲は、「フリッパーズ・ギター時代には考えられなかったような、メタルやハードロックのアプローチ」。当時、小山田さんはフライイングVをもっていたという記憶があるそうだ。「ハードロックやヘビーメタルのファンもニヤリとする曲」。
そして、ニューカマーとして紹介されていた、神森徹也の「レミレミ」(1995年、デビューシングル)。
「小沢健二とたまが同居している18歳」などと紹介されていたとか。
草野「曲もルックスも不思議で、不思議ボーイ?」
スピッツ内では曲が話題になっていたそうで、勝手に「レミレミくん」と呼んでいたとか。
今でも、演奏家、作曲家として活動しているそうです。
曲終わりで、「これ、すごく耳に残るよね」。ホント・・・。
「外はレイン」では、不思議ボーイが少しだけ薄くなってる?
神森徹也「外はレイン」
この雑誌には、スチャダラパーやNO.1 TOKYO SOULSETなども載っていて(打ち込みだから流せない)、彼も刺激を受けて、「泣ける物語でラップ」を試みたこともあったけれど、「ヒップホップの素養がないので」作品には至らなかったとか。
草野「あれが実現」していたら、Def Techやケツメイシに先駆けて人気ラッパーになってたかも、という妄想を今も楽しんでいます」(笑)
メッセージコーナー。
「40代に突入するのがすごくいやだ」というリスナーに、「それって普通の感情だよね」と。
草野氏自身は30代になるのがすごくイヤだったと(インタビューでも語っていましたね)。
「ロックの文脈でよく語られる、Don't trust over thirty.」を例にして、「ついにオレもそっち側かよっ!」と憂うつな気分だったと。
草野「誕生日まではイヤだったけど、それを過ぎたら、別に何も変わらないし、みんな平等に年をとるんだしという感情になったんですけども」
草野氏が言うには、赤道付近は四季の移り変わりがはっきりしていないので、かつてそのあたりに住んでいた人たちは一年の概念があまりなく、年齢の意識も薄く、子ども・大人・老人という3つのカテゴリーを持っているだけだった、と。「ひとまず、気の持ちようでは?」
赤道付近の人の話、ちょっとおもしろい。日本って四季がはっきりしすぎてるしなあ。
そして最後は、「ちょっぴりタイムマシン」のコーナー。曲は、Transistor Glamourの「ノーコメント」(1996年、2nd『TRANS POP』)。
transistor glamour は現在、ミュージシャンとしてもフードコーディネーターとしても活躍している寺本りえ子さんが参加しているユニット名。
スピッツとは、「へちまの花」でのデュエット(寺本さんの声、いいですよね~)、「リコシェ号」のバックの「は~」で関わりがあり。
きっかけは、スピッツが初めてホーンやストリングスを使ったライブ「SPITZ JAMBOREE TOUR LIMITED ’96 “カゲロウの集い”」で女性コーラスで参加されたときだそうです。
(このライブは、東京・大阪・名古屋で開かれ、ブレーク後だったので、チケットをとるのに苦労した記憶)
「ヘチマの花」はアルバム『空の飛び方』、「リコシェ号」はアルバム『惑星のかけら』収録なので、「カゲロウの集い」がきっかけというのは??なんですけど。ま、いいか。
「ソロで歌ってるときはちょっとエロい感じになるんですけど、今日はそのあたりも楽しんで」と。
かわいくてちょっと妖しくて、聴き惚れてしまったぞ(笑)。
かつてブログで、「草野くんにたまにのぞいてるよって言われたけど全然更新してない・・・」と焦っていたのを思い出す。もう何年くらい前だろう。
さてさて、来週は、「オーストラリアのロックバンドで漫遊記」
「AC/DCをはじめ、オーストラリアにはかっこいいバンドが多いので、独断セレクトで」楽しませてくれるそうですよ。
余談ですけど、この雑誌では、マサムネくん以外のメンバーのインタビューで、ボーカルの新しい彼女の存在が暴かれたり(笑)。
そういうむき出しの部分や、先輩アーティストへの正直なコメントもあったりして、ああ、「彼らなりに」尖っていたのかな、なんて感じられて、少しだけ愛おしくなりますね。
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95年7月号の「JAPAN」なんて、なんて懐かしいのか...私が初めて買った「JAPAN」です。井上貴子姉さんが好きです。(スピッツやマサムネのインタビューで、個人的な仲の良さ?が垣間見えるっていうかさ。)
トランジスターグラマー寺本りえ子さんのエピソードとか、あれあれですけど、マサムネの記憶の件は許してやってください。彼(彼ら)、ブレイク時が怒濤すぎて、記憶が曖昧なんですよ。...っていうか、私が初めてライブに行ったのが神奈川のグリーンホールで、2015年の彼のそこでのライブで語ってたMCの時系列が違ってて、がっかりした私です。(2015年はネットでMC読んだ私です。)
かけらさんはわかっていらっしゃるかと思うんですが、「ロビンソン」でスーパー大ブレイクとか、「ロビンソン」の謎の高評価(マサムネ的に)とかとか、彼らにとって理不尽ともいえる月日を通過してきて、でも今、今は(ボーカルが)「あれも結局、俺達にとって良い出来事だった」と過去を総括できてるのだから、細かい記憶違いなんぞ、ねえ...どうでもいいですよね!
ああ私、多分、もう一回人生をやりなおしてもきっと、95年にマサムネに出会って恋に堕ちるんだろうと思う。(そしてそれからバカみたいなスピッツ人生を歩む。一ファンとして。)
すみません、個人的な長話をつらつらと書いて!
失礼しました (__)/
こんにちは。
熱いコメント、ありがとうございます。
ええ、ええ、もちろん、記憶の不確かさなんてどうでもいいことで、許しちゃいますよ(笑)。
というか、もうすでに自分自身の記憶が不確か極まりないので。
「本当にラッキーだった」と言う彼らが、それでもきっと私たちの想像の及ばないところで試行錯誤を繰り返して進んできたのであろうという、その部分に、やっぱりすごいものを感じてしまいます。
ただの、本当にただのロック好き少年だったところからの出発なんですものね。
しずこさんが「やっぱり恋に堕ちるんだと思う」という95年を、私も今夜思い出してみよう!
いつもありがとう!!
この記事のお話をね、担当の可愛い美容師さんにしたのです。
彼女が私のスピッツへの入り口だったのです。
最初の来店の会話で「私、スピッツが好きなんですよ。」
「へー。あ、私、水色の街が好きです。」って会話が8年くらい前。
それから少しずつスピッツに興味を持ち始めたのです。
そんな彼女にこの記事の話をしたら。
「あ!!私それ持ってます!」
やはりとてもインパクトのある出来事だったのですね。
「なんか当時の新しい彼女の話とか載ってるらしいですよ。」という私に
「…その辺り、私、多分読んでません。
ここからは読んではいけないと思って、そっと閉じました笑」
もう可愛くておかしくて。
乙女心ですよね。
そんな女性がきっとたくさんいたのでしょうね。
いろいろあって、そして年齢も重ねて、赤裸々な(笑)発言はしなくなったのかも?
あの雑誌のあとで、別のインタビュー(渋谷陽一さん?)で、そのテツヤくんの発言をちょっと蒸し返されたときも、彼は余裕だった気がします。充実してたんでしょうね~。
みゅーさんと美容師さんとのつながりも長いのですね。いいですね。
関係ないけれど、そういえば私ももう10年以上同じ美容師さんだなあ・・・。失礼。
寒いですね~。