隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

またまたワイドショー(笑)

2006年06月08日 19時17分38秒 | テレビにプチコメント
■願いをこめて…なんて。

 こちらこちらこちら(笑)を見てくださった方はきっと、「またかよ!」「ファンなんじゃん?」と思われるかもしれませんが、あえて言わせていただくと、ファンではありません(笑)。
 でも、仕事の関係で出かけるのが遅かったり、出張時のホテルで見ちゃったりするんだから、何なんでしょうねぇ(って聞かれてもね、困りますよね)。
 でも、これを最後に、しばらくは書きません…、たぶん。


●コメンテーターの品性
 コメンテーターを誰に依頼するか、というのは、結構重要なことなんだろう。ほかの番組で人気が出てきた「勘違い弁護士」とか、「日本人以上に英語のうまいけど、たぶん母国では受け入れられないんだろうなあ」という某外国人とか。あと作家や元刑事や…、いろいろ。視聴者はさまざまだから、種々雑多な感じでいろんなタイプの人を招く必要があるんだろう、ってことはわかる。だから、私の好みで語っても意味ないんだけど。
 でも、ちょっといいなあ、と思っていた人がコメンテーターとして登場して、「ありゃりゃ」な発言をしてくれちゃって、百年の恋も×、というケースは案外多いなあ。誰、とは言わないけど(だって、具体的に名前をあげて、「ゲッ! 趣味悪!」とか思われるのも不本意だし)。
 でも、例えば最近も耳にしたのだが、プロの精神科医による容疑者の性格分析を聞いて、「さっきの先生の発言、ホントにそうだと思います」なんて声高に言ってしまう女性のタレントもいたなあ。なんでそんな専門的なことを簡単に「理解・納得」できちゃうんだろう、と不思議だった。ちなみに、仕事で知り合った精神科のドクターは、マスコミによく登場するお仲間のことについては、ちょっと批判的だったけど。
 メンタルな話題って今ちまたで流行?だから、一億総セラピストという傾向もあるのかもしれない。簡単に「分析」しちゃうよね。
 芸能ニュースなんかでいろいろおもしろおかしく感想を言うのはまだ許せるとして(あれも、なんだかなー、「あんたは聖人君子か?」っていう発言も気味悪いけど)、事件や社会現象で、専門家きどりで発言することまで、視聴者は望んでいるかなあ。むしろ、「どうして?」「それは何?」と私たちの代わりに疑問をぶつけてくれるくらいで十分なのにな、と思う。傲慢だよね、安易にわかったふりしたり、一方的に決めつけたりするのって。品性を疑います。私はひねくれているから、「あんたの息子がドラッグとかで捕まるとおもしろいんだけどなあ」なんて思っちゃう(あ、失言)。


●「なぜ?」を大事にしてください
 「信じられない」って、私もよく使ってしまうんだけど、でも公共の電波を使って、キャスターや何人ものコメンテーターがみんなして、「なんで~?」「信じられない」を連発すると、そんなこと言ってないで想像してみろよ、などと突っ込んでしまう。
 私は決して、殺人や児童虐待という行為を認めているわけでも軽くみているわけでもない。犯罪はたいてい弱者が犠牲になるし、怒る気持ちは普通以上にもっているつもりです。でもね、「親が子どもを! 信じられないことです。こういう人は親になる資格がもともとないんです」って、それで終わらせてしまったら何も解決にはならない。
 そうそう、最近もこんなことがありました。過去にいじめられた経験をもつ容疑者について、「でもね、いじめられたって貧しくたって、ちゃんと大人になって、立派に生きている人がいるじゃないですか」と怒っているコメンテーターがいたな。それは事実だ。どんな過酷な状況でも、それを乗り越えて生きていく人は大勢いるだろう。それを否定はしない。でも、人の人生は一辺倒ではない。「いじめ」に加えてさまざまな状況があって、それが人の人生を狂わせることは多いと思う。コメンテーターとしてギャラをもらっているなら、そういうことを常に頭におくくらいの深さはほしい。さっきの発言を、今まさにいじめを受けている人が聞いたら、どう思うだろう。間違っても、励ましてくれてるとは思わないだろう。だって、それって、ちょっと極端に裏返せば、「いじめられたって、ちゃんと生きていく人はいるんだから、いじめなんて大したことないのよ」という思いが底にあるように感じられてしまうもの。たぶんその人だって、「いじめ」がテーマのときは、もう少し気をつけた発言をするんだろうけど。
 要するに、「想像力」だと思うのだ。かわいいはずの子どもがなぜか憎たらしくなったり、親に凶器を向けたり…、そういうことの底には何があったのだろう、と一応思いを巡らせること、それがあってもいいと思う。
 もちろん、そういう番組作りをしているときもあるけど、往々にして犯罪者には冷たい。冷たくてもいいけど、でも「なぜ?」を語り合わなければ、何の解決にもならない。
 子どもへの愛情の表し方、日常生活の送り方…、何でもそうだけど、本当にさまざまだ。「信じられない」ことがたくさんあって、でもそれはすごく当たり前のことだったりする。少なくとも、そういう「さまざま」を受け入れようとする気持ちのあるコメンテーターであってほしいな、と思うのだ。

●優しい目
 犯罪を恨み、犠牲者の受けた理不尽な行為を嘆き哀れむことは大事なことだ。でも、誤解を恐れずにいうなら、犯罪者の過去や、そこに至る経緯、生育環境、暮らしぶりなどをリポートしたり語り合ったりするときに、もう少し「優しい目」があってもいいと、私は思う。同情ではなく、「深い」議論かな。
 離婚歴が何度もあったり、近所の人との交流がなかったり、暗い印象だったり、時々キレたり…、そういうことが取材で明らかになったりすると、もうそれだけで、「おかしなやつだったんだー」という空気が流れる。それが怖いし、悲しい。出演者全員で「批判・非難」するだけではなく、ちゃんと先につながる話を繰り広げてほしい。近所の人と明るく交われない人はおかしなやつですか?
 たぶん犯罪を犯してしまった人は、そんなに特別な人ではないんだと思ったりもする。私だって、歯車が狂って、そういう迷路に入り込むことがあるかもしれない。そう思うと、なんとなくいろいろな事件も見方が違ってきたりする。怖いけれど、人間って、そういうものだと思いませんか?


 小さな頭で(いろんな意味で、顔はでかいんですけど。笑)いろんなこと考えて、今日も疲れました。ふだん、ぼ~っとしてますから、たまにはいいかー。まだ仕事中です。戻ります。では!

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