昨日のブログに、いまさら、お弁当作りなんて、何てことないさ、と、書きこみました。
そう、長女が幼稚園になってから始めたお弁当作り、いや、その前から主人のお弁当も作っていましたから、かれこれ20年以上。
この間、毎日毎日、私は自分の手でやってきたんだ・・・と、思うとちょっと胸を張りたくなります。
同時に、あんなにみんなが給食を望んでも、結局この町は給食の設備も整備もしなかったんだと、しらけた気分にもなります。
これからも給食は必要だと、町も何かの折にはチャンスを見つけて何とか実現にこぎつけようとするでしょうが、
その昔(と言って大げさではないぐらいその昔。)、国が給食制度をおし進めている、比較的実現可能な時期に乗り遅れたツケはあまりにも大きく、可能性はいまだに見えないばかりか
今は食の多様化と安全の面から、必ずしも給食を必要としない意見もあり、
子どもの数も減っていては
進めたい話も障害になる条件が増えるばかりで
いまさら何?
と、背を向けたくなります。
子どもが成長するにしたがってお弁当の数は減り、楽になったなぁ、と思っていたところへ、もうひと踏ん張り、の時期がやってきました。
そう。
20年以上、毎日のように作ってきたんだもの。
この事実は、私の人生でのささやかな勲章です。
これからだって大丈夫。お弁当ぐらいなんでもない。
でも、このような思いをあとに続く人たちに言って、だからあなたもがんばって、なんていうのは、それは違う気がします。
私にとっては20年、そしてこのまちに住んできたたくさんの母親の何十年と言う給食に対する願いへの行政の無策に対するため息とともに、せめてがんばってきた自分を認めることでおさめる勲章でもあるのです。
<夕べの献立>
とり手羽の甘辛揚げ
サラダ
味噌汁
そう、長女が幼稚園になってから始めたお弁当作り、いや、その前から主人のお弁当も作っていましたから、かれこれ20年以上。
この間、毎日毎日、私は自分の手でやってきたんだ・・・と、思うとちょっと胸を張りたくなります。
同時に、あんなにみんなが給食を望んでも、結局この町は給食の設備も整備もしなかったんだと、しらけた気分にもなります。
これからも給食は必要だと、町も何かの折にはチャンスを見つけて何とか実現にこぎつけようとするでしょうが、
その昔(と言って大げさではないぐらいその昔。)、国が給食制度をおし進めている、比較的実現可能な時期に乗り遅れたツケはあまりにも大きく、可能性はいまだに見えないばかりか
今は食の多様化と安全の面から、必ずしも給食を必要としない意見もあり、
子どもの数も減っていては
進めたい話も障害になる条件が増えるばかりで
いまさら何?
と、背を向けたくなります。
子どもが成長するにしたがってお弁当の数は減り、楽になったなぁ、と思っていたところへ、もうひと踏ん張り、の時期がやってきました。
そう。
20年以上、毎日のように作ってきたんだもの。
この事実は、私の人生でのささやかな勲章です。
これからだって大丈夫。お弁当ぐらいなんでもない。
でも、このような思いをあとに続く人たちに言って、だからあなたもがんばって、なんていうのは、それは違う気がします。
私にとっては20年、そしてこのまちに住んできたたくさんの母親の何十年と言う給食に対する願いへの行政の無策に対するため息とともに、せめてがんばってきた自分を認めることでおさめる勲章でもあるのです。
<夕べの献立>
とり手羽の甘辛揚げ
サラダ
味噌汁