すぐさま妹に電話をかける。妹もすぐに電話に出る。第一声。
「やっと電話をかけてきた。今まで何してたの、このばかちん!」
ごめん!きょうに限って携帯もって出るの、忘れてた!すごいヤキモキしてたんだけど、帰ってみたら、やっぱり、という感じで・・・・
あたふたと言い訳して、妹もひとこと言ったらあとはすぐに本題に入り、どちらにしてももう間に合わない話だからこちらで先にすすめておく、明日来てから話そう、と電話を切り、そのあとあちこちに連絡を入れてとりあえずその週の仕事をすべてキャンセルしました。
次の日、水曜日。
父はもうひつぎの中でした。
いつかは来る日だけど、このお正月まで、そんなことはまだまだ先のことだと思ってたのに。
おとうちゃん。
声をかけてみるけど、もう返事はない。
とうとう来ちゃったね。お別れが。寂しいよ。まだまだ生きてて欲しかったよ。
何度も何度も父の顔をさすりました。
通夜。
一番広い会場での告別式に、母は「こんなに広いところ使って、席が空いたりしたら申し訳ないけど」と、何度も言っていましたが、いざ始まってみると会場に入りきれない人のために臨時に会場の外に椅子が用意されるなど、たくさんの人にお参りしていただきました。
親族の席に座りながら「さすがお父ちゃん、付き合い広かったものねえ」と、感心していました。
お寺の総代もしていた父は、先代からのおつきあいで、若い住職さんが声を詰まらせながら父の思い出を話してくださったのも、心が温まる思いでした。
夜は会館に泊まり、一夜を過ごしました。
寝る前に何度も何度も父の顔をさすり、起きては何度も覗き込み、その度になんとはなしに顔がだんだんと整っていくようで、不思議な感覚でした。
しまいには、その顔をじっと見つめ、「なんていい男なんだろう」と、ほれぼれと見つめていました。
歳をとったとはいえ、均整のとれた顔立ち、鼻筋の通った、面長の、頬から顎にかけてのシャープな線は彫刻のようです。閉じられた両まぶたはスッキリと、目の輪郭はまるで上品なこけし人形のようです。思わずカメラを手に取り、彼のデスマスクを写真に収めたい衝動に駆られました。
お父ちゃんて、こんなにハンサムだったっけ?
いつも上機嫌でお酒を飲んでは冗談飛ばしている父しか記憶にないので、このようにおすましして鎮座?している顔を見たことがなかったものですからなおさら、この小さな発見に驚いてしまいました。
木曜日。告別式。
夕べにもましてたくさんの参列の方が集まって下さり、人が集まり、賑やかに過ごすことが大好きな生前の父の姿そのままのお葬式を無事に済ませることができました。
そして、夜が来て空を見上げると、真ん丸な月がこうこうと光を放っていました。
とつぜん、西行(平安時代末期から鎌倉時代の歌人)の有名な短歌が思い出されました。
願わくば 花の下(もと)にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
高校生の時、この短歌を教えてもらった時、私もこんな状況で最後を迎えたいものだと強く思い、今もその気持ちでいますが、なんと、父に先を越されるとは。(いやいや、順当だ・・・・)
桜はもうだいぶ散って葉桜の時期ではありましたが、じゅうぶん美しい風情を残していました。
私にとってどこまでも嬉しい、楽しい存在だった父。
あの日、携帯を忘れてしまったのも、今思えば勉強に集中したらええぞ、という父の計らいだったのかも・・・などと勝手な想像をしています。
平成26年4月16日(火)10時44分
野村郁夫
享年83歳
合掌
「やっと電話をかけてきた。今まで何してたの、このばかちん!」
ごめん!きょうに限って携帯もって出るの、忘れてた!すごいヤキモキしてたんだけど、帰ってみたら、やっぱり、という感じで・・・・
あたふたと言い訳して、妹もひとこと言ったらあとはすぐに本題に入り、どちらにしてももう間に合わない話だからこちらで先にすすめておく、明日来てから話そう、と電話を切り、そのあとあちこちに連絡を入れてとりあえずその週の仕事をすべてキャンセルしました。
次の日、水曜日。
父はもうひつぎの中でした。
いつかは来る日だけど、このお正月まで、そんなことはまだまだ先のことだと思ってたのに。
おとうちゃん。
声をかけてみるけど、もう返事はない。
とうとう来ちゃったね。お別れが。寂しいよ。まだまだ生きてて欲しかったよ。
何度も何度も父の顔をさすりました。
通夜。
一番広い会場での告別式に、母は「こんなに広いところ使って、席が空いたりしたら申し訳ないけど」と、何度も言っていましたが、いざ始まってみると会場に入りきれない人のために臨時に会場の外に椅子が用意されるなど、たくさんの人にお参りしていただきました。
親族の席に座りながら「さすがお父ちゃん、付き合い広かったものねえ」と、感心していました。
お寺の総代もしていた父は、先代からのおつきあいで、若い住職さんが声を詰まらせながら父の思い出を話してくださったのも、心が温まる思いでした。
夜は会館に泊まり、一夜を過ごしました。
寝る前に何度も何度も父の顔をさすり、起きては何度も覗き込み、その度になんとはなしに顔がだんだんと整っていくようで、不思議な感覚でした。
しまいには、その顔をじっと見つめ、「なんていい男なんだろう」と、ほれぼれと見つめていました。
歳をとったとはいえ、均整のとれた顔立ち、鼻筋の通った、面長の、頬から顎にかけてのシャープな線は彫刻のようです。閉じられた両まぶたはスッキリと、目の輪郭はまるで上品なこけし人形のようです。思わずカメラを手に取り、彼のデスマスクを写真に収めたい衝動に駆られました。
お父ちゃんて、こんなにハンサムだったっけ?
いつも上機嫌でお酒を飲んでは冗談飛ばしている父しか記憶にないので、このようにおすましして鎮座?している顔を見たことがなかったものですからなおさら、この小さな発見に驚いてしまいました。
木曜日。告別式。
夕べにもましてたくさんの参列の方が集まって下さり、人が集まり、賑やかに過ごすことが大好きな生前の父の姿そのままのお葬式を無事に済ませることができました。
そして、夜が来て空を見上げると、真ん丸な月がこうこうと光を放っていました。
とつぜん、西行(平安時代末期から鎌倉時代の歌人)の有名な短歌が思い出されました。
願わくば 花の下(もと)にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
高校生の時、この短歌を教えてもらった時、私もこんな状況で最後を迎えたいものだと強く思い、今もその気持ちでいますが、なんと、父に先を越されるとは。(いやいや、順当だ・・・・)
桜はもうだいぶ散って葉桜の時期ではありましたが、じゅうぶん美しい風情を残していました。
私にとってどこまでも嬉しい、楽しい存在だった父。
あの日、携帯を忘れてしまったのも、今思えば勉強に集中したらええぞ、という父の計らいだったのかも・・・などと勝手な想像をしています。
平成26年4月16日(火)10時44分
野村郁夫
享年83歳
合掌