kamacci映画日記 VB-III

広島の映画館で観た映画ブログです。傾向としてイジワル型。美術展も観ています。

ヒューゴの不思議な発明

2012年03月20日 | 洋画(良かった、面白かった、気に入った)
日時:3月18日
映画館:バルト11
パンフレット:A4版600円。インタビュー満載の充実した内容。特にスコセッシのインタビューは一読の価値がある。

この映画の予告編を初めて観た時、「またこの手のファンタジー映画かい。」とぼやき、さらにその監督がスコセッシと分かった時には「スコセッシも何がどうトチ狂ったんだ。この映画は観にいかんだろうな。」と思ったことをよく覚えている。

スコセッシと言えば、「タクシードライバー」であり、「カジノ」であり、「レイジング・ブル」であり、そして「グッドフェローズ」である。殴られて殺されてナンボの世界だ。

しかし、日本公開が近付くにつれ、耳にする評価は良いものばかりで、アカデミー賞にもノミネート。となれば、行った方が良いだろう。本来なら3Dなのだが、時間の都合上、2Dで観ることになった。

【以下、ネタばれあり】

1920年代のフランスで時計職人の父親が残した自動書記人形「オートマタン」とそれが描き出した一枚のイラストを巡る少年ヒューゴの冒険を描く。オープニングからスコセッシらしからぬ、CGによるパリが描かれるが、そこからヒューゴの日常を1シーン1ショットで見せるあたり、安心して観ることができる。

ヒューゴは駅に居候兼時計管理の強制労働まがいの生活を強いられているのだが、この駅のメカメカしたディテールが良い上に、駅構内にはオモチャ屋やカフェ、クリストファー・リーが経営する古本屋まであって、しかも機械いじりをして1日を過ごせるのである。なんと至福な空間だろうか。ヒューゴの悲惨さがいっそ実感できない。(笑)

ヒューゴはオートマタンの修理に自分と父親のつながりを見出そうとする・・・って、この辺の展開は、偶然だろうが先日観た「ものすごくうるさくて ありえないほど近い」に似ている。

彼は吸血鬼でキリングマシーンの少女・・・もといクロエ・グレース・モレッツの協力を得て、オートマタンの描いた絵からいまや生きる希望を失い隠居生活をしていた伝説の映像作家メリエスにたどり着く。(まあ、予告編ですでに半分わかっているのだが。)

ただ、この前後のストーリーのつながりが、原作があるといえ、いささかいびつでしっくりと腹の底に落ちてこないのは残念。

さて、後半は映画研究者の協力を得て、メリエスの復活へとつながっていく。メリエスだけでなく、黎明期の映画への愛情があらゆる形で表現され、映画好きはこの辺で涙せずにはいられない。以前、USJに「映画の歴史」みたいな上映があったが、二日酔いで観たときには感動のあまり涙がボロボロこぼれてしまったことがあるが、ちょうど、その感覚がリフレインされたって感じだ。

スコセッシの伝記や評論本を読むと、映画監督としてだけでなく、映画史の研究者としての彼の熱意が語られることが多い。それであるだけに、映画研究者が処分されたと思われていたメリエスのフィルムを発見し、レストアして、本人をゲストにした上映会を開催するというエンディングは、スコセッシの願望や執念がよく伝わってくる。

ホント、パリで本屋とか映画関係のショップをなんか行くと、「ここ地下室に何があるんだろう?何が残されているんだろう?」と秘かに興奮せずにはいられない。

最後の最後は、またスコセッシらしい1シーン1ショットで幕となる。映画ファンにとっては至福のようなひととき。(なのだが、The EndとかFinって出てほしかったのは贅沢か?)

子供向けのファンタジーとかアドベンチャーかと言えば、それはNO。やはり映画好きの大人のおとぎ話なのだ。邦題も「ヒューゴの映画的奇跡」なんて方がしっくりくる。スコセッシは自分のこども向けにこの映画を撮ったそうなので、やはり映才教育が行き届いているのでしょう。(笑)






題名:ヒューゴの不思議な発明
原題:HUGO
監督:マーティン・スコセッシ
出演:エイサ・バターフィールド、クロエ・グレース・モレッツ、ベン・キングズレー

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