かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

夕方帰宅

2018-04-21 23:09:00 | ブログ記事


亡母の名前の出た花展を見た後、実家に寄り、その後、帰途につきました。

実家は、大工さんが入って、見違えるようになっていました。

母の部屋だった部屋は空っぽになり、甥のドラムが置かれてありました。

母の遺品は、まだ残っていますが、だいぶん処分されたようです。

帰途、高知駅の土産物センターで、冷凍の鰹タタキを買って、
それを神戸の次男のお嫁さんの家に届けて、
孫としばらく遊んでから帰宅しました。

また孫の写真を写してアップしたいと思いましたが、
赤ちゃんの顔といっても、だんだん個性が出てきたので、
やめておいたほうがいいと思い、自粛しました。

神戸からは下道を走ったのですが、いつも通り渋滞で
帰宅したのは午後7時過ぎ。

疲れました。

*

・母のゐぬ母の家から帰りたり母ゐなければ長居は無用

・亡き母の残ししものは無くなりて甥のドラムはおかれてゐたり

・壁紙も床も張替えされたれば更になりたる亡母の居室

・実家ではあれど実母のをらざればわがをる場所もあらず後にす

・持ち物は遺品となりて亡き人の持ち物までが死にてゆくなり

・亡き人の子供のわれも忘れられゆくらむ実の家といへども

・死にしひと日々存在を忘れられその娘なるわれも忘らる

亡母の最後の花展

2018-04-21 11:08:32 | ブログ記事
これが母の名前の出る最後の作品

本部の先生がわざわざ来られて生けてくださったよし。


母の一番弟子の作品



家元の作品


さまざまな作品



母のお弟子さん達が挨拶に来てくださる



母が生きていたら、と思いながら



花風も変わってきた


花展を見に帰省するのも、おそらくこれが最後。



お茶券をいただいたので、お茶をいただきに行きます。


安芸市まで車を走らせてお墓参りをしてからホテルに戻り朝食

2018-04-21 07:13:37 | ブログ記事
(お墓の向こうに太平洋が望めます)

2月に納骨した母の新墓のお墓参りを済ませたのち、高知市のホテルにもどり朝食。



このホテルのバイキングはおいしいです。

高知弘化台市場

2018-04-21 05:31:00 | ブログ記事

朝早く目などが覚めたから、
安芸市のお墓に行く前に高知市の卸売り市場である弘化台市場に行ってみました。

本当は8時にならないと入れていただけないみたいですが、
特別に入れていただけました。

鰹です。


せりの始まる前の時間を黙々と作業される市場の方々。


鯛です。


サメ?

かまぼこの材料になるのでしょうか?

こちらは大物ですね。


・早朝の弘化台とふ卸売り市場に来たり早く目覚めて

・まだ暗き中を働く人あまたゐる高知県弘化台には

・高知には公立高知工科大ありてまちがふ弘化台と

・九反田といふ市場跡カルポートといふ施設になりて久しき

・カルポート文化施設でありければ魚の臭ひ消え失せにけり

・九反田にありし市場は移りたり浦戸湾辺の弘化台へと

・弘化台弘化台とぞ聞きしかど行きしは今日が初めてなりき

・冷凍はおいていないと言はれけり卸売り市場弘化台には

・鮪また鰹を買ひたく思へども川西までは無理とあきらむ


高知サウズブリーズホテル晩酌セット

2018-04-20 19:52:21 | ブログ記事
昨年12月に母と泊まったこのホテルの、
この晩酌セットがよかったので、
今回は夫と泊まった。



このメニューは割安感がある。

夫は、このあと、高知の飲み屋でも飲みたいと一人で出かけた。

私は、このあと、すぐに寝た。

というより、テレビを見ているつもりが、いつのまにやら眠ってしまっていた。

*

・四か月前に亡母と泊まりたるホテルに今日は夫と泊まる

・亡くなりし母と一緒に飲食をせし居酒屋で今日は夫と

・母坐しし席に私が今日は坐しわが坐しし席に今日は夫が

・亡くなりしことがこれほど嘘つぽく思へるなどと思はずゐたり

・母のまだ生きゐし半年前のこと夢のやうにも思へる今宵


土佐国分寺

2018-04-20 17:15:52 | ブログ記事
嫁ぎ先の菩提寺だった土佐国分寺へ来ました。

両仁王様。

迫力があります。

こちらは阿像


こちらは吽像


寺内には厳かな空気が流れています。


土佐国分寺の謂われが書かれてあります。


大師堂


お線香を手向けさせていただきました。

牡丹の花が咲いていましたが、午後4時を過ぎていたから中には入らせていただけませんでした。



と思っていたら、特別に入れて見せてくださいました。

感謝!



まさに見頃でした。




最後に山門を写してから辞去しました。


*

・嫁ぎ先菩提寺土佐の国分寺けふ訪れて夫と拝む

・牡丹花のぼつたり重く咲く庭は土佐国分寺の寺内にありぬ

・四時過ぎてゐれば入れてはもらへぬと帰る私を入れくれし人

・咲く花に負けずきれいな心根の奥様のゐて土佐国分寺

大歩危の鯉のぼり

2018-04-20 15:46:29 | ブログ記事
高速道路は日当たりがよすぎて暑いので、阿波池田からは下道を走ります。

途中の大歩危では毎年今頃、鯉のぼりの大群が吉野川を泳ぎます。



*

・吉野川大歩危峡に泳ぐのは鯉の大群ポリエステルの

・大口ゆ空気はらみて大歩危の大岩の上(へ)を飛ぶこいのぼり


いざ高知へ〜途中新しくできた新名神宝塚PAに

2018-04-20 12:22:24 | ブログ記事
遠回りになるという夫を説き伏せて新名神川西インターから行ってもらうことに。

先日行った肝川神社は、この川西インターの近くでした。


できたばかりの宝塚北PAに寄ってもらいました。

この建物は宝塚歌劇の建物を模しているそうです。



なにもかもが真っさらで気持ちがいいです。トイレも(*^_^*)



だけど、いっぱいの人(*_*)

神戸のお土産もいっぱい売られています。(^-^)


外の露天でイカ天とじゃがバター焼きを買いました。

とにかく逆らってはいけない

2018-04-19 11:32:15 | ブログ記事
けいさんという方からコメントをいただいて、
参考になるサイトのご紹介もしていただいた。

で、結論としては、別居は得策ではないということ。

別居すると、他の女性を家に入れられてしまうかもしれないということを言われた。

その恐れはあるかもしれない。

他の女性とデートしても、私が家にいる限り、その女性は我が家に入り込むことはできない。

その通りだ。

ところで、昨日は、夫と一応和解した。

すると夫は、明後日、明々後日に高知市で開催される花展に一緒に行こうと言い出した。

私は、母の名前が出るという、この花展に最初は行くつもりだったが、
納骨のあとの兄嫁の態度で、行くのはやめることに決めていた。

が、夫がそう言ってくれるのだから、ここは夫の言う通りにしたほうがいいだろう。

少なくとも、喧嘩のままいたくないのなら。

要するに、夫は、私が従順であればいいのだ。

他の女性とデートするということも、私が許せば、夫は私に今まで通りであるだろう。

波風を立てたくなければ、そうするのが賢いのかもしれない。

私も、難聴であるうえに、心臓は人工弁の身体障碍者である。

いつまた入院とかになるかもしれない。

そんなこんなことを考えれば、このままの形でいたほうが賢いということになる。

子供達も、それを望むだろう。

兄と母を亡くして、実家のなくなってしまった私に戻るところはない。

女に三界に家無しということわざは、現代も通用することわざだと思う。

私さえ我慢すれば

2018-04-19 02:32:35 | ブログ記事
そういう霊示がきた。

そうすれば、夫は他の女性達と交流できて幸せだし、
未亡人の人たちは、男性とお付き合いができて幸せ。

未亡人になった人達も、たまには男性とお付き合いしたいだろうし。

私が、夫を独り占めしないで、そうすれば、万事がうまく運ぶ?

そういうことなのかもしれない。

私も、夫を独り占めする思いから離れて、読書なり、
もっと短歌の勉強をするとか、自分のしたいことをすればいい?

短歌を始める前は少しの間、書道もしていた。

なんなら、それも復活させればよい。

若い頃、絵画を習っていたことがあった。

それも、したければやればいい。

一人で暮らせば、
現在のように、夫の食欲に合わせての食事作りから解放されて、
自分が食べたいときに、食べたいものが食べられる。

もっと言えば、寝たいときに寝て、起きたいときに起きられる。

これを自堕落な生活という人もいると思うが、
しかし、私は、自然のままに生きればいいと思う。

老人になってきたら、睡眠が不規則になる。

こうして夜中に目覚めることもある。

これを不健全といっても、こうなってしまうのが年寄りなのである。

そう考えれば、夫と別居することも悪いことではないような気もしてくる。

実際、悪いことではないかもしれない。

もうすぐ五月のお節句だから

2018-04-18 21:23:15 | ブログ記事
次男が会社帰りに来た。

五月の兜とか人形は新調しないで、
兜は我が家の長男の時に私の実家から贈られたもの、
武者人形は夫のお兄さんのときのものがあるから、
それで済まそうということになっていた。

それでお節句の日は、わが家に来てもらおうと私が言いだした。

夫は、私が言いだしたのだから、私がせよと言っていた。

が、五月が近づいてきても、家の掃除が行き届かない。

この頃、眠ってばかりで、食事を作って食べたら、もうあとのことができない。

今日来た次男にまで、もっとキレイに掃除してと言われてしまった。

が、現在の私の体力ではできそうにない。

最初はできると思って招待したが、とても無理だ。

それで、そのことを正直に次男に言った。

すると次男は、ふだんはそんなことを言う子でないのに、
「ふだん働かないからしんどいのでは?」と言う。

そう、確かにそうかもしれないが、しんどいのはしんどいので仕方ない。

夫も、
「心臓弁膜症の手術を受けた人でも、ほかの人たちはもっと元気に働いている」
と言う。

そういわれると、私も返す言葉がない。

が、できないことはできない。

次男のお嫁さんのお母さんは、偶然、私と同い年だ。

が、家の中はゴミ一つ落ちていないし、ホテルのように片付いている。

だから、やっぱり私が悪いのだろう。

夫が私に不満を持つのも、このことだ。

が、繰り返すが、できないことはできない。

もう私自身が老人ホームにでも入りたい心境だ。

いま、夫だけでなく、娘は無論、長男も、次男まで私のことを責める。

私の学生の頃は、母に、兄と比べて勉強を頑張らないことを責められた。

が、そのころも、頑張れなかった。

昨日のlemonwaterさんへのコメント返しにも書いたが、
私は高校生のころでも、午後の授業は寝ていることが多かった。

帰宅しても、まず寝た。

夜中に勉強すると母に言って寝て、夜中に起きれたことはなかった。

そのくらい睡眠を必要とした。

が、難聴もそうだが、
それと同じように疲れやすい身体をもった人でないと
この頑張れなさはわかってもらえない。

難聴なのも困るが、体力のないのもそれ以上に?困る。

その上、躁うつ病とまで言われて・・・。

*

・体力のなきを責められ難聴であるを疎まれ生きねばならぬ

・結婚は始まりなれば結婚をした日ゆ始まる苦労くさぐさ

・人並みに聞こえる耳と人並みの体力を欲る端午の節句

昨年の山の辺の道行きも、夫に言わせれば、私には歩調を合わしてやらないといけないけれど、
一緒に行った女性は夫よりどんどん歩いて、夫のほうが引っ張っていってもらうようだったと。

そういわれれば、私も人並みに歩けないから仕方ない。

夫も、人並みに歩ける女性と歩く体験をして、その快適に目覚めたのだろう。

また難聴で聞き取りの悪い私ではない人と会話する楽しさにも。

それで私に隠れて、その後も会ったりした?

私にすれば許せないけれども、
夫にすれば、残された人生、もっと楽しみたいということなのだろう。

仲直りした?

2018-04-18 17:49:41 | ブログ記事
昨日は、夕食のとき、大喧嘩になった。

夫が、私が新しいブログを作って、また自分の悪口を書いているだろうと。

前のブログで書かれたことが夫には許しがたいようで、
その内容についても言い合った。

私は夕食も食べられなくなって、食事を終えて2階に上がった夫を追いかけて、
夫のいた仕事部屋に入った。

もう私の心臓はどきどきして、言葉も滑らかに出なかった。

が、私も言いたいことを言った。

昨年の数回の裏切りについて。

それ以外にも、若い頃に義母や義妹に虐められたことなども言った。

夫も、私に対する不満を言った。

で、結局、夫は、お互いにこれからは干渉しないで生きていこうということを言った。

夫は夫で、これからは、いろんな女性とデートをしたいと。

もう残された人生は長くないから、好きなようにしたいと。

それで、私にも、好きなようにすればいいと。

旅行に行きたければ行ったらいいとも。

最近は、私と夫の行きたいところがが噛み合わない。

私は暑いところには絶対行きたくないけれど、夫は寒いところには行きたくないと。

数年前、タイに行ったときも、私が嫌がったのに、夫は強行した。

で、せっかく行ったのに、私は観光せずに、木陰で休んでいるだけだった。

歩き回ると体調を崩してしまいそうだったから。

前から、健康な夫は私の身体に気を使ってくれないところがある。

帰途、私は文句を言いまくった。

それで、夫は、もう私とは一緒には行きたくないと。

あのときは、結婚40周記念ということだったので、私はイギリスの湖水地方を希望した。

が、夫は、そんなに長く仕事を休めないと、タイにしたのだった。

その夫が、昨年あたりから、イギリスへ行こうと言い出した。

昨年は、私は、母のことで頭がいっぱいだったから、海外には行きたくなかった。

それと、イギリスも、数年前までは行きたかったけれど、最近の治安のことを考えると、
イギリスに限らず、ヨーロッパには行きたくない。

それより、国内でも行っていないところがいっぱいあるから、国内旅行をしたい。

そう言うと、夫は、じゃ一人で行くと言う。

私が一緒に行かないのなら、誰か他の女性を誘って行くとも。

それは私は嫌だ。

そうすると、夫は、「びこはわしのことを嫌っているのだから、そうする」と。

私は、夫を嫌っているのではなく、怒鳴ったりされるから、
それがストレスになると言っただけだ。

そのことを言うと、夫は、びこのほうこそ怒るではないかと。

それは、「あなたが私を欺いて他の女性とデートしたりするから」
と私は言うのだが、

夫は、他の女性とはこれからもデートしたいと言う。

やはり女性と一緒にいると楽しいからと。

でも、他の女性は、家内がいるから安心して僕と付き合っているのだから心配はいらないと。

そうでなく気のありそうな女性達には、自分のほうから距離をおくようにしていると言う。

それで私は、
「距離を置くようにしていると言っていても、その気になったらどうするの?」と聞くと、
夫は、
「いまさら再婚なんか考えられない」と。

だから、とにかく、これからはお互いに好きなように生きようと。

なんだか、夫の勝手な言い草のように思えるが、いつまでも喧嘩していても、私もしんどい。

ここらあたりで、一度和解したほうがいいのだろうか。

今朝は、普通に一緒に朝食をとった。

喧嘩中は、それとなく、食べる時間をずらしていたけれども。

それにしても、いくつになっても異性というのは魅力があるもののようだ。

ことに家内ではない女性達は。

*

・これからはお互い好きに生きやうと夫に言はれ妻のわたくし

・捨てられたやうな気持ちもありながら自由にせむと思ふ気持ちも

・夫婦とは死ぬまで番(つがひ)と思ふわれさうは思はぬ私の夫

・これからは同じ住まひに住みながら別々に行く別々に生く

最近眠ってばかり

2018-04-17 18:01:55 | ブログ記事
夜も普通に眠っているのに、昼食後、また寝てしまう。

それも、軽いお昼寝ではなく、本寝入りをしてしまう。

今日も、そうだった。

午前中、生協に注文し忘れていたものがあったので、朝いちばんに買い物に行ってから
生協の配送品を受け取った。

ふだんは出来合いのものを買うことはほとんどないが、
今日は、昼食用に握りずしのセットを二つ買って帰って昼食にした。

だから、それほど働いたわけでもないのに、
昼食後、猛烈な睡魔で眠ってしまった。

目覚めたら、午後5時前だった。

3時間くらい寝たことになる。

これが、今日だけでなく、ここ数日続いている。

起きたとき熱っぽいので測ってみると、36、3度。

平熱が35,7度くらいの私には微熱であるが、熱があるとまではいかない。

昨日もそうだった。

結果、ごはんを作る以外のことが何もできない。

夫がいつも私の掃除の行き届かないことに不平を漏らすが、
心臓の悪い私は、普段でも人並みにはできない。

まして、昨日、今日は、それ以外のこともおろそかになっている。

これは何だろう?

風邪か、老化か、はたまた鬱病か。


席を譲られること

2018-04-17 11:40:58 | ブログ記事
いま「団塊シニアのひとりごと」さんの
席をゆずるむつかしさ、ゆずられるむつかしさ」を読ませていただいた。

その記事に書かれてあった譲られた人は81歳の男性らしいが、
その年齢なら、見かけの如何に関わらず、素直に譲ってもらえばいいのにと私は思った。

実は、私は、70歳になった翌月の先月、若い女性に電車で席を譲っていただいた。

一瞬、「えっ」と思ったが、座りたかったので、素直に譲っていただいた。

帰宅して夫に、「私って、そんなにお婆さんに見えるかしら?」と聞くと、

夫は、「その人、中国人じゃなかったか」と言う。

というのが、夫は仕事の関係で、一時頻繁に中国に行っていたが、
向こうの国で感心するのは、年寄りを大事にすることだと。

他のことではあまり感心する国ではないと思っていたが、
それだけは、日本も見習わなければと思うと。

向こうでは、
夫が電車に乗ったら、たいがいの若い人はさっと席を譲ってくれるそう。

これは、夫が年寄りだからというわけでなく、
中国の人達は、目上の人と思ったら、席を譲ってくれるのだそう。

なるほど、それはいいことだ。

中国も捨てたものじゃない。

が、私に席を譲ってくれた人は、中国の人ではなかったと思う。

ただ、顔も綺麗な人だったが、見るからに心の綺麗そうな女性だった。

それで疲れた顔をしていた私に思わず譲ってくれたのではなかったか。

それと私が昨年の8月から白髪染めをやめたことも関係しているかもしれない。

それまでは譲ってもらうことなど一度もなかったが、
私より明らかに若そうな人が譲ってもらっているのを目撃したことはあった。

その人は白髪であった。

私は同年配の人は、
白髪であろうが、黒髪であろうが、
ほぼ年齢を推測できるのであるが、

若い人達には、
白髪かどうかが年齢を推測する大きな目安になるのではないか。

だから歳はとっていても、毛染めしている人は席を譲ってもらいにくいかもしれない。

「団塊のシニアのひとりごと」さんの書かれた男性が
白髪染めをしていたかどうかは不明だが、
まあ、80歳も超えれば、どんな人もお年寄りの風貌にはなると思う。

これとは関係なく、

私は、ある年齢になれば、変な見栄など張らずに、
年寄りは年寄りらしくしていればいいと思うのだが、どうだろう。

昔から「年寄りの冷や水」という言葉がある通り、
年寄りが変に頑張るのは、返ってみっともないと思う。


朝ドラ「半分、青い。」を初めて観ました

2018-04-17 09:00:56 | ブログ記事
初めてというのは正確ではないかな。

一番最初の回の出産のところを少し見ましたから。

今日観てみると、主人公の鈴愛ちゃんは片耳難聴のようですね。

この難聴が、ドラマの主要テーマなのかしら?

でも、片耳と両耳の難聴って、全然違うんですよ。

私の叔母は、若い頃結核になって、ストマイというお薬を飲んだことで、
左耳だけ、俗に言われているストマイつんぼになったのでしたが、
私の両耳難聴のような不便はあまりなさそうでした。

一応片方でも正常に聞こえていたから会話に不自由はありませんでしたし、
寝るときに聞こえるほうの耳を下にして寝ると雑音が聞こえなくて熟睡できるなどと、
片方が聞こえないことを便利がっていたくらいでした。

それと比べれば、両方聞こえないことの悲惨は、もういくら言葉を尽くしても足りないくらい。

が、これは私が神様から与えられた試練ですから甘んじて受け入れなければなりません。

ということで、もしこのドラマの主要主題が難聴ということであれば、
少し違和感があるかもしれません。

それにしても、主人公が高校生で、その両親は四十代で皆さんお若い。

主人公の親の世代が、私達の子供の世代なのですね。

そうだ、私にも今年高校生になった孫がいたんだ。

アハハ、そんなことを忘れるくらい、私は気が若い?

それより、このドラマの後の「あさイチ」に近江友里恵ちゃんが出演しているのを
初めて見ました。

私、近江ちゃんのファンなんですよ。

だから、「ブラタモリ」は毎回かかさず見ていました。

彼女の顔や性格が可愛いこともあるのですが、
彼女のご両親が高知県出身ということで応援しているのです。

「ブラタモリ」といえば、近江ちゃんの前の桑子真帆アナも好きです。

桑子真帆アナも高知県にご縁があって、
結婚された相手の方は高知県出身らしいです。

私は、その前(その前の前?)の久保田祐佳アナも好きでした。

さすがNHKは、よいアナウンサーをそろえていますね。

NHKそのものは全面的に好きというわけではありませんが、
アナウンサー、特に女子アナは素敵な方が多いと思います。

*

・片耳の難聴両耳難聴と全然ちがふその不便さは

・聴覚の障害ドラマの売りにするなら片耳の難聴ではね

・難聴の悲惨は人にわからざる悲惨でわれはそれに耐えゐる

・悲惨とは人に言はねど日々悲惨目には見えざる難聴なれば

・深刻な障害たやすくドラマ化し見世物になる難聴われら?