かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

昨年の結婚記念日は浜島温泉に行ったんですね、私

2018-04-16 20:01:29 | ブログ記事
今朝は、今日が結婚記念日だと書いたのですが、
昨年は、まだ仲良し!(笑)だったから、浜島温泉に行っているのですね、私達。

なのに、今年は、どこにも行かない。

が、伊勢神宮は、私の誕生日に内宮に行きましたから、まあいいとしましょうか。

昨年は、浜島温泉に泊まった翌日に外宮に行っているんですね。

Gooブログは、こういうことも知らせてきてくれるからありがたいですね。

*

・「昨年は浜島温泉行きました」お知らせ届くグーグルブログ

・お知らせがなくば忘れてゐることを知らせてくれることありがたし

・昨年の今日幸せであつたのに今年の今日は幸せならず

・わが夫(つま)を拝借せむとせる人のゐてわたくしはかくも悲しき

・慰謝料はかういうときのためにあるさう思はせる裏切り夫の

今日は46回目の結婚記念日、しか~し

2018-04-16 08:34:28 | ブログ記事
何もしない。

本当は旅行に出る予定だったが、夫が行きたくないというので取りやめた。

私も夫と一緒には行きたくないから、やめて正解だったのだろう。

旅の計画は、たいがい私が立てる。

今年は、バス好きの私が乗りたいと思った、日本で一番長い路線バスに乗る計画を立ててあった。

このバスは大和八木から出て和歌山県新宮市まで行く路線だが、
終点の新宮市まではいかないで、
新宮市の手前の川湯温泉の旅館に泊まる計画であった。

川湯温泉も、前から私の行きたかったところなので、ちょうどよい機会だった。

夫は、前から熊野古道を歩きたいと言っていたから、
この旅館で泊まった翌日、一人で熊野古道を歩けばとも思ったのだった。

計画を立てた段階では夫も乗り気だったので、旅館の予約もしたのだった。

が、現在、冷戦中なので、一緒に行ってもお互いに楽しくないのでやめた。

夫とは大喧嘩してからずっと冷戦中だ。

最近の夫は、私が何か言うと、
どれだけ私の難聴のフォローをしてやっているかを言う。

それは私もわかっているし、感謝もしている。

しかし、だから、何もかも黙って我慢せよというのは違うだろう。

昨年の5月から、私は夫に不信感を抱くようになった。

なぜなら、昨年5月に夫の行動に疑問を抱いた私が追いかけたとき、
そのことをメールで知らせると、折り返し夫からの返事は、
「今日は一人になりたいから放っておいてくれ」だった。

このころは夫も私に行先を言ってから出かけていた。

が、だんだん行先を言わすに出かけるようになった。

それで、秋になって、
夕食の支度をしても帰ってこない夫に対する不信感がピークに達して、
普段は夫の机の上にあっても見たこともなかった夫の日録を初めて見た。

そうすると、その日は、とある女性と一緒に山の辺の道を歩くことが書かれてあった。

驚いた。

奈良の山の辺の道は、以前、私が夫を誘って一緒に歩いたところであった。

そのとき、体力のない私は、天理の旅館を予約して前泊して万全の体制で歩いた。

山の辺の道は、私は、その前にも一人で歩いたことがあった。

が、途中で、変なおっさんが付きまとってきたのと、歩けなくなったのとで、
巻向駅だったかな、から帰った前歴がある。

この第一回目のときは、まだ大阪で暮らしていたころで、私も50歳くらいだった。
夫を誘っても乗ってこなかったので、一人で行ったのだった。

そのときの経験から夫と一緒に行ってほしかったし、途中でギブアップしないように
前泊もしたのだった。

夫と一緒に歩いた一昨年には、夫もこの山の辺の道を気に入って、
また一緒に歩こうということになっていた。

それなのに、夫は、その場所に、
私でない、シニアカレッジで知り合った女性と歩いてくるなんて。

私は少なからずショックを受けた。

しかも、その女性とは、そのあとも二人で映画を見て、焼肉を食べて帰っている。

すべてが、この夫の日誌で判明した。

この女性と山の辺の道を歩いてきた日は、
急にお昼前に出て行ったので、私が昼食用に作ったグラタンがふいになった。

この日の帰宅も遅かったが、
映画を見に行った日の帰宅は、夜の12時近くだったと思う。

私は、夫の日誌を読んで事情を知ったから、怒り心頭に発して、
玄関のドアの鍵をかけたのみならず、ドアチェーンもかけて夫を家に入れなかった。

ここらあたりから、夫との関係がぎくしゃくし始めた。

それまでは、私は、夫の自慢の家内?であったはずだ。

なのに、シニアカレッジに通い始めて、未亡人に誘われて、
また、高校時代の友人に歌唱を習うようになって、夫の様子が変わった。

私が夫に文句を言うと、夫は逆に私の欠点をあげ連ねた。

あげくの果てには、私の難聴を、どれだけカバーをしてやっているかと
恩着せがましく言うようになった。

以前は、自分から進んで私の難聴のフォローをしてくれていた。

夫の、この変貌は何によるものだろう?

私が老化して、女性としての魅力がなくなった?

それはお互い様でしょう?

他の女性とお付き合いするようになって、私の欠点が浮き彫りにされた?

が、その女性達も、赤の他人の夫の前だけで、いい顔を見せている、
ということもわからないのかしら。

お互い、しがらみがありませんからね。

彼女達はデート(ではないと夫は言うが)の時には精一杯おめかししてくるでしょう。

上手にお化粧すれば、今日日、七十歳を過ぎた老婆でも、そこそこ綺麗に見えますから
女性に対する免疫のできていない夫には魅力的に映るのでしょう。

そんなこともわからない男が私の夫なのです。

ああ、それにしても、こんな結婚記念日は初めて。

NHK短歌に初登場の真中朋久さん

2018-04-15 20:30:30 | ブログ記事
今日「NHK短歌」に初登場の真中朋久さんは、
私の所属していた短歌結社「塔」のインターネット歌会のお世話をしてくださっていた。

私はずいぶんお世話になった。

なにしろパソコンを自己流で覚えて、
その覚えたてで参加させていただいたのだから、
短歌より前にパソコンについて、いろいろ教えてもらうことが多かった。

私が、その歌会に参加させていただくようになったのは、2002年8月のことだった。

「塔」に入会したのが1999年12月だったから、入会2年半後のことである。

真中さんは昭和39年生まれだから、私よりずっとお若いのだが、
しかし、賢い人だから、精神年齢は私より上に感じられる。

人間的にも尊敬できる人である。

このブログにたびたび書いている村形明子さんと知り合ったのは、
この「塔」のインターネット歌会であったが、
村形さんは、人の思惑とかは斟酌しないで発言する人なので、
しばしば歌会で揉めた。

参加者のブーイングも多かった。

その参加者のブーイングを上手に宥めたのが、この真中さんだった。

が、温厚な真中さんも、あるとき、
村形さんがルールを無視した言動をとったので、
退会を命じたことがあった。

ふだんは温厚で優しい人なのだが、こういう人は怒らせると怖い。

私が真中さんを尊敬する大きな理由は、
彼の立ち位置である。

相手が世間的に高名な人であっても、
駄目なときには、はっきりノーと言える人だからだ。

村形さんのときも、真中さんは、はっきりノーと言った。

もともと村形さんは、その当時、「塔」の主宰だった永田和宏氏の紹介で
参加を始めた人だったから、普通はなかなかはっきりノーを出せないと思う。

が、かばうときには庇ったが、駄目なときは、はっきりノーと言った。

ここらあたりは、非常に男らしいともいえる。

さすがの村形さんも、それ以後は真中さんには頭が上がらなくなっていた。

ところで、今日は、この真中さんが、この番組初登場だったわけだが、
本年度のこの番組のやり方かもしれないが、
若い美人女性陣3人に囲まれての初登場で、なかなか華やかだった。

が、真中さんは、美人に取り囲まれても、
鼻の下を伸ばすような下種なところはありませんから、
これは私が保証します。

女性陣は、
左から、
今年度の司会を担当される女優の星野真里さん、
本日のゲストの、同じく女優の井森美幸さん、
番組アシスタント(本年度からレギュラー出演?)のカン・ハンナさんである。



初めての出演にしては、
固くもならず、いつも通り笑みを絶やさないで進行されたのはさすがと思った。

真中さんっ、
テレビ画面の彼方から応援しますから、今年度1年がんばってください。

*

・校正で毎月お目にかかりゐし真中氏けふはテレビ画面で

・真中氏の可愛いお嬢さん今は綺麗な娘さんになられゐむ

・校正にいつも連れきし小学生あれから十年以上が経ちぬ

・奥さんの手作りらしきケーキなど差し入れしくれし人が真中氏

・仲の良き親子でありし真中氏とお嬢さんの姿また見(まみ)えたし

私が「塔」誌の校正に参加させていただく機会を作ってくれたのも、
この真中さんであった。

真中さんには、何から何までお世話になった。



今日は川西市難聴者耳の会の定期総会と思って行ったけれど

2018-04-15 16:47:02 | ブログ記事
少し早めに家を出て遠回りして行くことにしました。
いつのまにやら花水木の花の季節になっていました。

ほんのこの間まで桜の花の道だった小戸神社の参道は緑の並木道になっています。


猪名川に来ました。

染井吉野は終わりましたが、牡丹桜が咲いています。

(川のところに私の手が写ってしまった(泣)

近づいて写しました。


フゲンソウという名の桜のようです。




池田市の五月山も桜が終わり、もうすぐ五月ツツジの季節になります。

今は瑞境期ですね。

遠くに見える山は北摂連山です。

(また私の手が写っている)

右手に少し写っているのは阪神高速猪名川大橋、通称ビッグハーブです。

やっと会場の川西市総合センターに到着したのですが、

門に鍵がかかって開きません。

仕方なく帰宅して会長さんから来ていたハガキを確認すると、
なんと総会は昨日だったのです。

私は、予定は、白板に書いておくのですが、
どうも書くときに日にちを間違えた模様。

このごろこういうことがたまにあって、歳を感じます。

というより、横着になってきたからかな?

*

・耳の会あんないありて行きたれど会場の門しまりてゐたり

・白板の今日の日付に書きおきし会が昨日でありしを今日知る

・会場に行く道々を散歩したことを収穫として諦める

意地悪なブロガー(人?)っていますよね

2018-04-14 19:36:26 | ブログ記事

いま読者登録させていただいている方のブログ記事を読ませていただくと、
「コメント欄を閉じていたら、記事にして悪口を書かれた」とか?

ひどいですね。

私は、コメント欄を開いているので、記事にされることはないのですが、

直接に意地悪なコメントを入れられて傷ついたことはあります。

が、それよりずっと傷ついたのは、ブログを始める前、

さるメーリングリストに参加していたのですが、
仲良くしていた人から煮え湯を飲まされたことがありました。

リアルにお会いしたこともあった人でした。

どこにでも意地悪な人はいるものです。

そういう意地悪な人に限って、人気者だったりもするのです。

私に煮え湯を飲ませた人もそうでした。

そのメーリングリストでスター的な存在の人だったのですが、
私の存在が目障りだったんでしょうね。

信頼していた人だったので、最初は意地悪とは気づかなかったのでしたが、
あとで考えると、完全な意地悪でした。

その人が私に最後に放った言葉が

「この人は書くことに自負を持っていて~」というものでした。

驚きました。

こんな書くことで交流する場所では書くしかないのに?

また、私達のような聴覚障碍者は、
健聴者と比べると、
しゃべるより書くことに重きを置きがちになるのは仕方のないことです。

べつに自負などもっていなくても・・・。

私を「書くことに自負を持って~」と決めつけた、その人こそ、
若い頃、アナウンサーをしていたような人でしたから、
皆から文が上手いと褒められていました。

それなのに、そんなふうに私のことを思っていたなんて・・・。

私は耳が聞こえないから、こうした聴力が関係ないところでは積極的に発言するのですね。

それをそんなふうに妬み心で見ていたなんて。

その人こそ、皆から文が上手いと褒められていたし、
顔も、アナウンサーしていたくらいだから、かなり可愛い顔をされていました。

お歳は私よりだいぶん上でしたが、まだまだ「可愛い」が通る人でした。

「私など何の自慢できるところもないのに、なぜ?」って今でも思いますよ。

要するに、その人は性格が悪かったということなんだと思います。

どんなところにも、意地悪な人はいます。

たいがいが嫉妬です。

だから気にせず、間違っても、私のように鬱病になったりしないでくださいね。

応援しています。

京都の夫の友人から山城筍が届きました

2018-04-14 11:37:38 | ブログ記事
ちょうど食べたいと思っていたから、とても嬉しい。(^^)

筍好きの私は、今日か明日あたり猪名川町の道の駅に買いに行きたいと思っていましたが、
車の運転できない私は一人では買いにいけないので、悩んでいたのでした。

夫とは絶交状態ですから。

このタケノコを送ってきてくださったのは、連歌の先生で、
村形さんの生前、彼女をこの連歌の先生に紹介してあげてから、
村形さんは、短歌より連歌に のめり込むようになっていました。

村形さんが亡くなる前も、
私が夫を通じて、村形さんが入院されたことを教えてあげると、
その日のうちにお見舞いに行ってくださったのが、この連歌の先生でした。

西と東の違いはあっても、村形さんと同じ京都在住ですから。

そうして、病院に行ってくださったのでしたが、
「たった今亡くなられました」というニュースは
この連歌の先生から われわれに もたらされました。

それで、お通夜も来てくださったし、
昨年の12月には、「村形さんを偲ぶ会」を開いて、そのお宅にも伺ったりもしました。

きょう、こうしてタケノコが届いたのは、私が、きのう村形さんのことを書いたから?

そんな符号を感じてしまうようなタイミングで届いたタケノコでした。

*

・昨日(きぞ)書きし村形さんの差し金か今日たけのこが届く京都ゆ

・山城のたけのこ山城より届く夫の友の連歌の師匠ゆ

・晩年の村形明子氏したしみし連歌先生よりのタケノコ

・わが夫(つま)の友ではあれどわが友と親しくなりてその葬儀にも

・明子氏も満千子氏も共に慕ひゐし先生島津忠夫先生

・満千子氏は小説も書く才女にて歴史小説二冊著す

ご参考

服部満千子さん

島津忠夫先生



「かみなり」はもうすぐ「神鳴り」を追い抜くかもしれない

2018-04-13 17:14:53 | ブログ記事
この「かみなり」ブログを立ち上げて3日目になる。

どちらも「団塊の世代」村に属しているが、
もうすぐこの「かみなり」が「神鳴り」を追い越すかもしれない。

といっても、目安として取り上げているだけで、
ランキングがどうのこうのって思っていないことは付記しておかないとね。

なんだかクラスの席次を争っているように思われるのもまずいから。

ランキングというのは、飽くまで、お楽しみだ。

自分の産んだ子供二人を心配するように、私の産んだ二つのブログの様子を見ているだけ。

という、断りをいれてから書かないと、また変な横やりが入ったりする?

現在、「神鳴り」は13位、この「かみなり」は17位である。

「かみなり」を立ち上げたときは
「神鳴り」が9位、「かみなり」が23位くらいだったと思うので、
「かみなり」の躍進が著しい?(笑)

まあ、当然だろう。「神鳴り」のほうは10日が最後の記事だったのだから。

それに引き換え、
この「かみなり」のほうは、11日から投稿を始めて既に7記事アップした。

明後日あたり逆転するのではないだろうか?

*

・かみなりが神鳴り追ひ抜く日も近し雷、神鳴り、かみなり、神よ

・読者数いつきに減りて十分の一になるなり「かみなり」になり

・夫には読ませぬブログかみなりは神鳴りブログのブロガーが書く

・娘にも嫁にも息子にも見せぬかみなりブログひらがなで書く

・親戚にも知らせぬかみなりブログなり知られて困ることも書くかも

転象さんにコメントをいただいて白象さんを思い出して、また明子さんを思い出す

2018-04-13 10:36:42 | ブログ記事
また「白象の気まぐれコラム」を探し出して読ませていただいた。

お元気そうなご様子。

それで前から気になっていたのだが、
なぜ転象さんは白象さんが東大の名誉教授であられることをご存じだったかということ。

どこにもそんなことは書かれていない。

ところで、この「白象の気まぐれコラム」ブログを探そうと検索をかけると、
なんと、私の旧ブログのこの記事がヒットして、
そこから「白象の気まぐれコラム」に飛んだというおまけつきである。

私の旧ブログは、かなりヒットしやすいブログに成長していたようである。

なんだか、自分が育てた子供が、自分の知らないうちに有名人になっていたような?^^

が、いい評判の有名人ならいいのだが、逆だったら、親として恥ずかしい。

余談だが、この記事には、まだおまけがあって、
この記事を書いたときに
やはり「白象の気まぐれコラム」を探し出すのに、入れ子のように、
さらに過去の記事から探し出していた。

村形さんは面白い人だったが、死後もこうして私を喜ばせてくれる?

いや、過去の自分が現在の自分を喜ばせているのか。

*

・また過去の記事で思(も)ひ出す明子さん白象さんのブログと共に

・白象さん東大名誉教授とぞ知りし転象さんは何者

・亡き父がわれらを結びつけゐるや明子、白象、転象さんと

・白象のコラム探してくれし人ハイジさんの娘さんなりき

・ハイジさんその祖父様は亡き父の高等学校恩師かもしれず

・亡き父の高知高等学校の英語の先生なりしとふ人

・その人の孫なる人がわたくしのブログの読者になられし縁よ

・亡き母と亡き明子さん室戸へと共に旅せし七年前よ

・室戸への旅の翌日わたくしの父の墓参をしてくれし人

・明子氏も父も東大卒業生そのご縁にて墓前に花を

・太平洋見える墓地にて墓参りせし明子氏と母とわたくし

・昨年の五月は母にシャクナゲの花を贈りてくれし明子氏

・昨年の五月に土佐の得月楼に集ひて共に食事せしこと

・得月の会ひよりあとに明子氏は九月わが母一月に死す

・もう母のいませぬ故郷もぬけにて花展があると聞けど帰らじ

・はらからが早く亡くなり悲しみを分かつ者ゐぬこの世さびしゑ

・われのみが残りし此の世未練なし三人(みたり)で会はむあちらの世にて

追伸、東北の夜桜です

2018-04-12 20:22:18 | ブログ記事
また送ってきてくれたのでアップします。

ブログアップした方が、私自身、ケイタイの小さな画像で見るより楽しめますから。



お濠の水面に桜が映っているようですが、夜で暗いから鮮明でないですね。

が、私の下手な写真よりはましです。

*

・東北の夜桜おくりくれし人うたの友人いま盛りとぞ

・半月を遅れて咲ける東北の桜ひる夜たのしみにき

・ピンボケもまた味はひのあるやうに見ゆる桜花(おうか)を謳歌する夜

・東北に友ゐることの幸せを噛み締めてゐる夜桜とどき

・川沿ひの昼間の桜の青空と夜の桜を見比べる夜

・葉桜になりし近くの桜ばな眺めてのちのメールの桜

・半月を遅れてふたたび巡り合ふ花は東北からの写メール

東北在住の短歌の友人から桜の花の写メールが届いたので

2018-04-12 17:23:02 | ブログ記事


このブログにはまだ写真をアップしたことがありませんから、

この写真を拝借して、

桜の花で幕開けしたいと思います。(*^_^*)



長い冬のあとに咲く東北の桜の花は、
気のせいか、
関西で咲くそれらよりずっときれいな感じがします。



桜が青空に映えますね。


↓お濠みたいですね。


*

・北国に綺麗に桜咲き揃ひ南のわれに見せむとメール

・待ちわびた青空と花よろこびて写メールしくるる東北の友

・冬ながき東北地方に春は来て晴の日おほくなりゆく四月

・あまりにも美しければ歌に詠むことも難しゆゑに詠まざる

・咲き上る桜の花を追ひかけて日本列島さかのぼらむか

今日は雨

2018-04-11 12:26:28 | 日記
昨日思い切って猪名川町の肝川神社に行ってよかった。

最近は神社に行くのが楽しみになっている。

神社に行って参拝すると、心が落ち着く。

ずっとそこにいたいと思う神社もある。

たぶん私と波長が合うのだろう。

亡父も、晩年は、神社、仏閣によく出かけていた。

亡父は57歳で亡くなったから、まだ壮年であったが、
己の死期に気づいていたのかもしれない。

亡父は、大正9年1月4日生まれであった。

子供のころから神童と言われ、東京帝大を出たエリートであった。

が、曲がったことは大嫌いで、
国家公務員であったが、上司の命令でも、曲がったことであれば従わなかったと聞いている。

結果、いわゆる出世はできなかった。

が、晩年、高等学校時代の友人、大学時代の友人たちが華々しく出世していくのを、
多少は寂しく思ったのではないか。

それで、神社、仏閣巡りに熱心になったのではなかったと、これは娘の私の推測である。

亡父は、そういう人であったから、上司からは疎まれることもあったらしいが、
部下からは慕われることが多かった。

亡くなったときも、葬式が終わったあとで、
部下だった女性の方が来られて、仏壇の前で声を出して泣かれたことがあった。

泣かれたというと、お葬式のときに、母の弟の奥さん、私からいうと義叔母にあたる人が、
やはり大泣きしたのを覚えている。

私の祖母は、私などのような身内にはよかったが、
義叔母にはずいぶん厳しいところもあったようで、
そんな辛い思いをしているころに、
私の父は、いつもこの義叔母を気遣ったという。

今年亡くなった母の葬儀にも、この義叔母は来てくれて、
「義兄(にい)さんは、本当にやさしい人だった」と言ってくれた。

こういうふうに目下の人たちに慕われた父は、本当にやさしい人だったのだろう。

出世などしなくても、こういうふうに慕ってくれる人がいただけでも生きた甲斐があったと
私は思う。

私も、もちろん可愛がられた。溺愛と言われるほどに・・・。

*

・亡くなりて四十一年経ちました生きていませば九十八歳

・一月に亡くなりました母さんと今頃一緒に私のもとに

・お父さんお母さんたち思ひ出すことがこの頃おほくて今日も

・雨の日はことに父さん母さんを思ひだすのはなぜなのでせう