想像してみてください。
ある日の朝5時、貴方の妻が原因不明の高熱で倒れる。熱は40度近く。
風邪の症状でも、インフルエンザの症状でもない・・・・。
貴方には子供が4人。
1人は小学校6年生だが、1人は知的障害児、1人は言葉も理解できない幼児。
後1人は、半年前に生まれた0歳児。
貴方には、今日、地方への出張の予定が入っており、
現地のお客様、2件が貴方を待っている。
さて、貴方ならどうしますか??
私は、その日入っていた2件の予定を即座にキャンセル。
妻を病院に連れて行き、知的障害児を養護学校へ送り、幼稚園児を幼稚園へ。
0歳児を自宅で見ることにした。
さて、今般。この行動を、当日約束をしていた1件の方から、
当日朝5時のキャンセルを、激しくとがめられた。
彼女曰く、「プロ」の行動では無く、私はプロフェッショナル失格だそうである。
最近見た、映画「フラガール」でも似たような場面が出てくる。
「プロは親の死に目にも会えないのか」
それに対して先生「そうよ。」
よく言われる「プロ」の姿勢である。
mixiの「フラガール」のレビューにも、声高らかに、この考えを語っている、
芸能人の方がいらっしゃった。
私も、その通りだと思う。
映画のこの場面でも、フラガール達の、プロ魂に涙を流した。
しかし、果たして、私をとがめる彼女のように、思考を止めて、
全てのケースにこれを当てはめて良いものだろうか。
私は、以前、阪神のバースが、家族の病気を理由にシーズン中、
突如アメリカに帰ってしまったことを覚えている。
新聞では、散々たたかれていたが、私は、とても共感したことを覚えている。
私は、多摩大学で、プロとは何か?という研究をしてきた。
その中での私の結論は、
私たちプロは、仕事のプロであると同時に「人生のプロ」であるということ。
仕事と、家族、趣味、全ては一つ。私の人生。分けることはしない。
しかし、時には、仕事の為に、家族を犠牲にすることも、命すら犠牲にすることもあるだろう。
しかし、「人生のプロ」は、思考を止めない。
この壮大な「矛盾」を把持し続けることができる者が「プロ」であると私は思う。
彼女のように「プロはこういうものじゃないの?」という「割り切り」は、
特に他人をばっさりと切り捨てるような、「割り切り」の行為は、
魂の弱さの証拠なのではないか。
ある日の朝5時、貴方の妻が原因不明の高熱で倒れる。熱は40度近く。
風邪の症状でも、インフルエンザの症状でもない・・・・。
貴方には子供が4人。
1人は小学校6年生だが、1人は知的障害児、1人は言葉も理解できない幼児。
後1人は、半年前に生まれた0歳児。
貴方には、今日、地方への出張の予定が入っており、
現地のお客様、2件が貴方を待っている。
さて、貴方ならどうしますか??
私は、その日入っていた2件の予定を即座にキャンセル。
妻を病院に連れて行き、知的障害児を養護学校へ送り、幼稚園児を幼稚園へ。
0歳児を自宅で見ることにした。
さて、今般。この行動を、当日約束をしていた1件の方から、
当日朝5時のキャンセルを、激しくとがめられた。
彼女曰く、「プロ」の行動では無く、私はプロフェッショナル失格だそうである。
最近見た、映画「フラガール」でも似たような場面が出てくる。
「プロは親の死に目にも会えないのか」
それに対して先生「そうよ。」
よく言われる「プロ」の姿勢である。
mixiの「フラガール」のレビューにも、声高らかに、この考えを語っている、
芸能人の方がいらっしゃった。
私も、その通りだと思う。
映画のこの場面でも、フラガール達の、プロ魂に涙を流した。
しかし、果たして、私をとがめる彼女のように、思考を止めて、
全てのケースにこれを当てはめて良いものだろうか。
私は、以前、阪神のバースが、家族の病気を理由にシーズン中、
突如アメリカに帰ってしまったことを覚えている。
新聞では、散々たたかれていたが、私は、とても共感したことを覚えている。
私は、多摩大学で、プロとは何か?という研究をしてきた。
その中での私の結論は、
私たちプロは、仕事のプロであると同時に「人生のプロ」であるということ。
仕事と、家族、趣味、全ては一つ。私の人生。分けることはしない。
しかし、時には、仕事の為に、家族を犠牲にすることも、命すら犠牲にすることもあるだろう。
しかし、「人生のプロ」は、思考を止めない。
この壮大な「矛盾」を把持し続けることができる者が「プロ」であると私は思う。
彼女のように「プロはこういうものじゃないの?」という「割り切り」は、
特に他人をばっさりと切り捨てるような、「割り切り」の行為は、
魂の弱さの証拠なのではないか。