東京府中市の税理士 金成祐行の日々の気付き

税理士法人の経営、強度行動障害の自閉症の息子との生活、悪戦苦闘の毎日で、日々気づいたことを書いていきたいと思います。

プロフェッショナルの流儀

2006-10-01 18:24:03 | ノンジャンル
想像してみてください。

ある日の朝5時、貴方の妻が原因不明の高熱で倒れる。熱は40度近く。
風邪の症状でも、インフルエンザの症状でもない・・・・。
貴方には子供が4人。
1人は小学校6年生だが、1人は知的障害児、1人は言葉も理解できない幼児。
後1人は、半年前に生まれた0歳児。

貴方には、今日、地方への出張の予定が入っており、
現地のお客様、2件が貴方を待っている。

さて、貴方ならどうしますか??




私は、その日入っていた2件の予定を即座にキャンセル。
妻を病院に連れて行き、知的障害児を養護学校へ送り、幼稚園児を幼稚園へ。
0歳児を自宅で見ることにした。



さて、今般。この行動を、当日約束をしていた1件の方から、
当日朝5時のキャンセルを、激しくとがめられた。
彼女曰く、「プロ」の行動では無く、私はプロフェッショナル失格だそうである。




最近見た、映画「フラガール」でも似たような場面が出てくる。
「プロは親の死に目にも会えないのか」
それに対して先生「そうよ。」

よく言われる「プロ」の姿勢である。
mixiの「フラガール」のレビューにも、声高らかに、この考えを語っている、
芸能人の方がいらっしゃった。

私も、その通りだと思う。
映画のこの場面でも、フラガール達の、プロ魂に涙を流した。



しかし、果たして、私をとがめる彼女のように、思考を止めて、
全てのケースにこれを当てはめて良いものだろうか。

私は、以前、阪神のバースが、家族の病気を理由にシーズン中、
突如アメリカに帰ってしまったことを覚えている。
新聞では、散々たたかれていたが、私は、とても共感したことを覚えている。


私は、多摩大学で、プロとは何か?という研究をしてきた。
その中での私の結論は、
私たちプロは、仕事のプロであると同時に「人生のプロ」であるということ。

仕事と、家族、趣味、全ては一つ。私の人生。分けることはしない。
しかし、時には、仕事の為に、家族を犠牲にすることも、命すら犠牲にすることもあるだろう。

しかし、「人生のプロ」は、思考を止めない。
この壮大な「矛盾」を把持し続けることができる者が「プロ」であると私は思う。



彼女のように「プロはこういうものじゃないの?」という「割り切り」は、
特に他人をばっさりと切り捨てるような、「割り切り」の行為は、
魂の弱さの証拠なのではないか。





コメント (1)
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