<念力ブームの洗礼>
昭和30年代生まれである私の子供時代は超能力ブームが最高
潮に達した時期で、皆が念力や透視に魅せられて、スプーンを手
に曲げることにいどみました。でも社会的には所詮オカルトの
部類でした。
変わり目を感じたのは、ドラゴンボールなどの漫画で「気」が登
場し、スターウォーズでは似た概念として「フォース」がでてき
たころ。少しずつ市民権を得てきました。
主人公が筋トレでは到底得られないすごい能力を発揮するのです
が、いざもっとより探く知りたいと資料を探しても、ちまたには
太極拳のガイド本くらいにしかなく、近づこうとしても遠いもの
でした。
その後、北陸から京滋地区に転勤し、学生の頃京都にいたのに
貧乏故にほとんど観光できなかったのを思い出し京都観光を始め
ました。比叡山にも初めて登りました。修行僧が過酷な修行した
ことをニュースに取り上げてた頃です。それが 密教 と呼ぶ
宗派だと知りました。浄土真宗と違い、とにかく秘密が多いのが
密教寺院です。それは比叡山でよくわかりました。
立ち入り禁止されたエリアがとにかく多いです。体力的には命がけ
で、世を捨てないと無理で非現実だが、精神修行の面は面白そう
と思いました。
当時、私の興味をひいたのは数多くの密教の仏です。真宗だと
阿弥陀さんひとつですが、密教は曼荼羅が象徴するようにとても
たくさんの仏や明王が星をちりばめたようにいます。私は帝釈天
が好きで3度も柴又に行ったのですが曼荼羅のなかに帝釈天がい
るのが面白くてそこから興味を強くしました。
ずっと厚いカーテンのむこうだった密教ですが、大きな書店で
チャクラ開発法の本を見つけてから、心の鍛錬という感じで本当
にごく趣味的な取り組みをはじめました。阿字感といわれても
師匠のいない身でわかるはずもありません。チャクラがある位
置と説明された場所にスーパーボールほどの球を思い浮かべ、
それを回すとともに、特殊な深い呼吸をする。かすかに熱を
感じて動かせた気持ちがしました。ちょうど体調をくずした時期
で体調回復の健康法として日課にしました。
なんでそんな道を進んだかというと
誰も本気にしてくれなかったけど中学の頃に糸にぶらさげた五円
玉を念力で動かせてたのです。動かせた原理を体系的に学びたい
という気持ちが心の底にありました。それには別に密教の鍛錬で
も、超能力の先輩に会って指導を受けるのでもなんでもよかった
のです。ただ、密教はなんかフィーリングが合った。
家族に告白すると頭がおかしくなったかと言われるので、密かに
チャクラの扉をあけていったのです。
まず、ムーラダーラチャクラをきっかけにチャクラで気を練る
試みが始まりました。ちょうどヨガ行のような感じで体操もいれ
つつ5年くらい続きました。チャクラの位置も次第に感じること
ができて気のボールを作る真似事もしてました。が、マニプラチ
ャクラを強くぶんまわしてみたい気持ちはありましたが、すぐに
腹痛をおこすので絶対しませんでした。
私の趣味的な行は基本、ソフト密教です。気を練る のが主です
練った気のかたまりを身体の中を移動させたり、お手玉のように
投げたり。それができるようになれば、気のかたまりをプローブ
のように使い、離れたものに届かせて探ったり。(あくまで本人
の体験なので真実かはさておきそういう気分になれたと理解くだ
さい)
当時よくやったのが大いなる魂とのコミュニケーション。
なにかのテレビで土着民の方が地球に祈ってたのを見て、自分も
やってみたいと思いました。思いのかたまりを地球の中心にぶん
と投げたらさわやかな光が地球から届くイメージがあり気持ちよ
かったです。そんなことも含め、密教とも禅とも区別しがたい
のイメージ訓練を就寝前10分ほど時々してました
1で霊にいじめられてたと書きましたが、この訓練で心を無防備
にするのは危険でして、チンピラ霊にふいをつかれやすい。そこ
私は 私とともにいます方 に警備を頼んでました。
<高野山案内犬ゴンとの出会い後日談>
そんな私が高野山を初訪問したときの案内犬との不思議な出会い
を先に紹介してますが、高野山から戻ってしばらくしたある日の
朝、今考えても仏が降臨したとしか思えない出来事に会いました
。心だけすっと異次元のような暗闇にもってかれ、生き物には見
えない、装飾のないどうみても仏像のようなかたちをしたものが
近づいてきて、私のアジナー部からいきなりとうとうととほうも
ない量のパワーを注入しだしたのです。
地球が満杯になるくらいの量で頭が破裂するのではないかと空恐
ろしくなりましたが、同時に全く動く気配のなかった自分のアジ
ナーチャクラが全開で振動してて相当びっくりしてました。
自由のきかない身でしたが自分のかぼそい気のプローブをそのパ
ワーの流れに沿わせてこの仏のようなものの正体を探ろうとしま
したが途中で止めました。いじめられることばっかしだった私で
したが、これはどうも悪い存在では無いと思ったからです。
そこからは身をまかせ気がつくと元の現実世界に戻ってました。
この後、その仏らしきものの絵を描いたり、大阪梅田駅近くの大
きい書店で仏像画の本を見て誰だったか探したのですが、同じ仏
はいませんでした。個人的には遍照金剛さまだったと思いたいで
す。
この体験を共有できる人は少ないと思いますが、シルクロードで
巨大仏を作った人の気持ちをなるほどとわかるようになりました
し、見て作った仏像と想像で作った仏像を見分けられるようにな
ったと自分では思い込んでいます。
この時の体験が自分の人生後半にけっこうな影響を及ぼすとは
このときは全く想像してませんでした。
昭和30年代生まれである私の子供時代は超能力ブームが最高
潮に達した時期で、皆が念力や透視に魅せられて、スプーンを手
に曲げることにいどみました。でも社会的には所詮オカルトの
部類でした。
変わり目を感じたのは、ドラゴンボールなどの漫画で「気」が登
場し、スターウォーズでは似た概念として「フォース」がでてき
たころ。少しずつ市民権を得てきました。
主人公が筋トレでは到底得られないすごい能力を発揮するのです
が、いざもっとより探く知りたいと資料を探しても、ちまたには
太極拳のガイド本くらいにしかなく、近づこうとしても遠いもの
でした。
その後、北陸から京滋地区に転勤し、学生の頃京都にいたのに
貧乏故にほとんど観光できなかったのを思い出し京都観光を始め
ました。比叡山にも初めて登りました。修行僧が過酷な修行した
ことをニュースに取り上げてた頃です。それが 密教 と呼ぶ
宗派だと知りました。浄土真宗と違い、とにかく秘密が多いのが
密教寺院です。それは比叡山でよくわかりました。
立ち入り禁止されたエリアがとにかく多いです。体力的には命がけ
で、世を捨てないと無理で非現実だが、精神修行の面は面白そう
と思いました。
当時、私の興味をひいたのは数多くの密教の仏です。真宗だと
阿弥陀さんひとつですが、密教は曼荼羅が象徴するようにとても
たくさんの仏や明王が星をちりばめたようにいます。私は帝釈天
が好きで3度も柴又に行ったのですが曼荼羅のなかに帝釈天がい
るのが面白くてそこから興味を強くしました。
ずっと厚いカーテンのむこうだった密教ですが、大きな書店で
チャクラ開発法の本を見つけてから、心の鍛錬という感じで本当
にごく趣味的な取り組みをはじめました。阿字感といわれても
師匠のいない身でわかるはずもありません。チャクラがある位
置と説明された場所にスーパーボールほどの球を思い浮かべ、
それを回すとともに、特殊な深い呼吸をする。かすかに熱を
感じて動かせた気持ちがしました。ちょうど体調をくずした時期
で体調回復の健康法として日課にしました。
なんでそんな道を進んだかというと
誰も本気にしてくれなかったけど中学の頃に糸にぶらさげた五円
玉を念力で動かせてたのです。動かせた原理を体系的に学びたい
という気持ちが心の底にありました。それには別に密教の鍛錬で
も、超能力の先輩に会って指導を受けるのでもなんでもよかった
のです。ただ、密教はなんかフィーリングが合った。
家族に告白すると頭がおかしくなったかと言われるので、密かに
チャクラの扉をあけていったのです。
まず、ムーラダーラチャクラをきっかけにチャクラで気を練る
試みが始まりました。ちょうどヨガ行のような感じで体操もいれ
つつ5年くらい続きました。チャクラの位置も次第に感じること
ができて気のボールを作る真似事もしてました。が、マニプラチ
ャクラを強くぶんまわしてみたい気持ちはありましたが、すぐに
腹痛をおこすので絶対しませんでした。
私の趣味的な行は基本、ソフト密教です。気を練る のが主です
練った気のかたまりを身体の中を移動させたり、お手玉のように
投げたり。それができるようになれば、気のかたまりをプローブ
のように使い、離れたものに届かせて探ったり。(あくまで本人
の体験なので真実かはさておきそういう気分になれたと理解くだ
さい)
当時よくやったのが大いなる魂とのコミュニケーション。
なにかのテレビで土着民の方が地球に祈ってたのを見て、自分も
やってみたいと思いました。思いのかたまりを地球の中心にぶん
と投げたらさわやかな光が地球から届くイメージがあり気持ちよ
かったです。そんなことも含め、密教とも禅とも区別しがたい
のイメージ訓練を就寝前10分ほど時々してました
1で霊にいじめられてたと書きましたが、この訓練で心を無防備
にするのは危険でして、チンピラ霊にふいをつかれやすい。そこ
私は 私とともにいます方 に警備を頼んでました。
<高野山案内犬ゴンとの出会い後日談>
そんな私が高野山を初訪問したときの案内犬との不思議な出会い
を先に紹介してますが、高野山から戻ってしばらくしたある日の
朝、今考えても仏が降臨したとしか思えない出来事に会いました
。心だけすっと異次元のような暗闇にもってかれ、生き物には見
えない、装飾のないどうみても仏像のようなかたちをしたものが
近づいてきて、私のアジナー部からいきなりとうとうととほうも
ない量のパワーを注入しだしたのです。
地球が満杯になるくらいの量で頭が破裂するのではないかと空恐
ろしくなりましたが、同時に全く動く気配のなかった自分のアジ
ナーチャクラが全開で振動してて相当びっくりしてました。
自由のきかない身でしたが自分のかぼそい気のプローブをそのパ
ワーの流れに沿わせてこの仏のようなものの正体を探ろうとしま
したが途中で止めました。いじめられることばっかしだった私で
したが、これはどうも悪い存在では無いと思ったからです。
そこからは身をまかせ気がつくと元の現実世界に戻ってました。
この後、その仏らしきものの絵を描いたり、大阪梅田駅近くの大
きい書店で仏像画の本を見て誰だったか探したのですが、同じ仏
はいませんでした。個人的には遍照金剛さまだったと思いたいで
す。
この体験を共有できる人は少ないと思いますが、シルクロードで
巨大仏を作った人の気持ちをなるほどとわかるようになりました
し、見て作った仏像と想像で作った仏像を見分けられるようにな
ったと自分では思い込んでいます。
この時の体験が自分の人生後半にけっこうな影響を及ぼすとは
このときは全く想像してませんでした。