和歌山の高野山にはこれまで3度訪問してい
ます。
1度めの訪問で私はある犬との不思議な出会
いをしました。血液がA型の私には似合わず
、その日は遠く高野山まででかけるのにもか
かわらず、成り行きまかせで電車を乗り継い
でました。その結果、ふもとに着くまでかな
り時間をくってしまい到着したのは夕方5時
頃でした。途中の長い乗り継ぎ時間では床屋
に行き身だしなみを整えたほどです。
高野の町中にはいってまもなく日が落ちて暗
くなってきました。道を聞こうにもあまり人
が歩いてません。それでも途中で入手した地
図を頼りに墓地の場所までたどりつきました。
墓地の中をずんずん歩き、奥の院に至る特別
な橋を渡り、特別に清いという結界のなかに
はいりました。この頃にはあたりはすっかり
真っ暗でしたが、建物の軒に多数かけられた
電球とは違う昔の灯りのお陰で幻想的な風景
が現れて私を魅了しました。
奥の院の正面に立つと、参拝者を誘導するよ
うに矢印があったので、それに従い歩き出し
ました。すると突然闇の中から一匹の白い犬
が現れて自分の横にまとわりついてきました。
本当にすっと現れたので野犬に襲われるのか
思い身構えました。するとその犬は無人のろ
うそく売り場の前で止まって何か言いたげに
私を見たのです。「ここでろうそくを買いな
さいということかい?」と思わず犬にしゃべ
りかけていました。わたしは再び歩きだしま
した。この辺にも人恋しい野良犬がいるかと
思いました。なにしろ初めて来たのでどこに
何があるかわかりません。
ようやくこの柵の向こうに弘法大師の御廟が
あるだろう場所に立ちました。その犬は最初
からその近くに座って私の行動を見てました。
ここだよと言いたげに座っていたともいえま
した。私はその犬に言いました。「こっちの
方を見てお参りしたらいいのかい」犬はうし
ろ足で頭を掻いてましたが、どうやら正しい
らしかったのでその方を向いてしばらくお参
りしました。
その犬はそのままそばに座って私の様子を見
てました。途中で、私はっきりわかりました
。この犬は絶対に途中でどこにも行かないこ
と。なんの因果によるのか、この場所を私に
案内していること。すぐには理解できないこ
とが目の前で起こっていました。
まわりに人はおらず大師とその犬と私だけで
、いくつもの照明とろうそくの灯りがあたり
まばゆく照らす空間のなか、時間の歩みがそ
の時だけゆっくりとなったような不思議な感
じにひたりました。
折角なのでひとしきりお参りしているうちに
、この犬はとんでもない頭の良い犬ではない
かと思えてきました。優れた犬というのはう
しろ足で耳のうしろを掻いていても360度
まわりへ気をはれるようです。そんな風格を
もった犬に初めて会いました。
私は犬に言いました。「お参りが済みました
」私が歩き出すと、犬も立ち上がり私の先を
歩きだしました。
時計まわりに角を曲がるとそこには別の入口
がありました。犬はその奥の院の入口に立ち、
「この中も見ていくように」というように目
配りをしたあと、夜の闇の中に消えてゆきま
した。
これが私とゴンの最初で最後の出会いです。
しばらくの間、どういう犬なのか全くわかり
ませんでした。
数年後に、京都タワービル内の食堂で食事を
している時に店のテレビの夕方のニュースで
予期せぬ再会をしました。高野山には人を案
内する犬として地元で尊敬を集めるゴンとい
う名犬がいること。そして、その犬が地元の
方から赤いちゃんちゃんこを贈られたことを
報じていました。
私はその後、実家のある金沢に帰省したので
本当に詳しい話はそれから数年後、ゴンが亡
くなった後に出版された本で知ることができ
ました。
ゴンは高野町から20キロも離れたふもとに
ある女人高野で知られる慈尊院で飼われてい
て、いつもそこから徒歩で高野山に登る方の
道案内をしていたのでした。
そういう訳なので、私が高野でゴンに会える
としたら夕方しかなかったのです。それも夜
6時を過ぎ、お腹もすいてる頃だろうに人気
の無い奥の院で私と出会ったことは不思議で
す。なによりもゴンが有名となったのは慈尊
院から高野山の大門までの山道の案内であっ
て、奥の院の案内では無いのです。
今でも不思議です。
ます。
1度めの訪問で私はある犬との不思議な出会
いをしました。血液がA型の私には似合わず
、その日は遠く高野山まででかけるのにもか
かわらず、成り行きまかせで電車を乗り継い
でました。その結果、ふもとに着くまでかな
り時間をくってしまい到着したのは夕方5時
頃でした。途中の長い乗り継ぎ時間では床屋
に行き身だしなみを整えたほどです。
高野の町中にはいってまもなく日が落ちて暗
くなってきました。道を聞こうにもあまり人
が歩いてません。それでも途中で入手した地
図を頼りに墓地の場所までたどりつきました。
墓地の中をずんずん歩き、奥の院に至る特別
な橋を渡り、特別に清いという結界のなかに
はいりました。この頃にはあたりはすっかり
真っ暗でしたが、建物の軒に多数かけられた
電球とは違う昔の灯りのお陰で幻想的な風景
が現れて私を魅了しました。
奥の院の正面に立つと、参拝者を誘導するよ
うに矢印があったので、それに従い歩き出し
ました。すると突然闇の中から一匹の白い犬
が現れて自分の横にまとわりついてきました。
本当にすっと現れたので野犬に襲われるのか
思い身構えました。するとその犬は無人のろ
うそく売り場の前で止まって何か言いたげに
私を見たのです。「ここでろうそくを買いな
さいということかい?」と思わず犬にしゃべ
りかけていました。わたしは再び歩きだしま
した。この辺にも人恋しい野良犬がいるかと
思いました。なにしろ初めて来たのでどこに
何があるかわかりません。
ようやくこの柵の向こうに弘法大師の御廟が
あるだろう場所に立ちました。その犬は最初
からその近くに座って私の行動を見てました。
ここだよと言いたげに座っていたともいえま
した。私はその犬に言いました。「こっちの
方を見てお参りしたらいいのかい」犬はうし
ろ足で頭を掻いてましたが、どうやら正しい
らしかったのでその方を向いてしばらくお参
りしました。
その犬はそのままそばに座って私の様子を見
てました。途中で、私はっきりわかりました
。この犬は絶対に途中でどこにも行かないこ
と。なんの因果によるのか、この場所を私に
案内していること。すぐには理解できないこ
とが目の前で起こっていました。
まわりに人はおらず大師とその犬と私だけで
、いくつもの照明とろうそくの灯りがあたり
まばゆく照らす空間のなか、時間の歩みがそ
の時だけゆっくりとなったような不思議な感
じにひたりました。
折角なのでひとしきりお参りしているうちに
、この犬はとんでもない頭の良い犬ではない
かと思えてきました。優れた犬というのはう
しろ足で耳のうしろを掻いていても360度
まわりへ気をはれるようです。そんな風格を
もった犬に初めて会いました。
私は犬に言いました。「お参りが済みました
」私が歩き出すと、犬も立ち上がり私の先を
歩きだしました。
時計まわりに角を曲がるとそこには別の入口
がありました。犬はその奥の院の入口に立ち、
「この中も見ていくように」というように目
配りをしたあと、夜の闇の中に消えてゆきま
した。
これが私とゴンの最初で最後の出会いです。
しばらくの間、どういう犬なのか全くわかり
ませんでした。
数年後に、京都タワービル内の食堂で食事を
している時に店のテレビの夕方のニュースで
予期せぬ再会をしました。高野山には人を案
内する犬として地元で尊敬を集めるゴンとい
う名犬がいること。そして、その犬が地元の
方から赤いちゃんちゃんこを贈られたことを
報じていました。
私はその後、実家のある金沢に帰省したので
本当に詳しい話はそれから数年後、ゴンが亡
くなった後に出版された本で知ることができ
ました。
ゴンは高野町から20キロも離れたふもとに
ある女人高野で知られる慈尊院で飼われてい
て、いつもそこから徒歩で高野山に登る方の
道案内をしていたのでした。
そういう訳なので、私が高野でゴンに会える
としたら夕方しかなかったのです。それも夜
6時を過ぎ、お腹もすいてる頃だろうに人気
の無い奥の院で私と出会ったことは不思議で
す。なによりもゴンが有名となったのは慈尊
院から高野山の大門までの山道の案内であっ
て、奥の院の案内では無いのです。
今でも不思議です。
私もゴンちゃんに出会いたかったな。