1959年1月の或る日、日本海に面した九州の街に珍しく雪が積もった。
坂道の途中に家があり、母、スーちゃんは、滑って、コケる。陣痛が
始まり、深夜に父が娘をとり上げたと聴いている。父も母も視覚障害
者であり、小さな鍼灸院を営んでいた。ずいぶんと患者さんに恵まれた
ようで、我が家には、長年一緒に住んでいたお手伝いさん親子やら、
鍼灸のお弟子さんやら、お隣の美容師さんたちやら、しょっちゅう誰か
が出入りしていた。「ただいま」と「お帰り」「いらっしゃい」「またね」
という言葉が一日中行き交っていた。小さな鍼灸院は、いつもひとが集まり、
笑い声が絶えないあたたかな空間だった。
ふたりの娘が家を離れた後も変わらず患者さんは通い続け、ふたりは懸命に
治療を続けていた。おかげで、ふたりとも、ほぼ生涯現役といった感があり、
父、マコちゃん84歳、母、スーちゃん92歳。最後まで自立して、気持ちよく、
うつくしく、彼の地へ逝った。
さて、ふたりの娘は、売り物にならないとはじかれる規格外の野菜のような
人間である。しかし、天然のままふたりに愛されたために、そこそこ、味は良い
(と、思う)。幸運なことに「形にこだわらずおいしけりゃぁ良いのよ」と
言う奇特な人に出会えてきたおかげで多少お役に立てて来たかな、と思える
日々を過ごさせていただいた。規格外は、多くの方の好奇心を呼び覚ます
らしく、過去、たくさんの方から親のこと、家のことを尋ねられてきた。
一様に、「珍しい」「なぁるほど」と反応するため、今は亡きマコちゃん、
スーちゃんコンビのエピソードには、何か未来のためのヒントがあるやも
しれないと、子育てに悩むひとびとのこころをほんの少し軽くすることも
あるやもしれないと思うようになっていった。
娘は、子どものころから持病を抱えているため、親にはならなかった。
いや、なれなかった。しかし、もし、自分が親になっていたならば、
間違い なく、マコちゃん、スーちゃんをお手本にしただろうと思う。