梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

プロローグ

2021-11-12 21:04:34 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

1959年1月の或る日、日本海に面した九州の街に珍しく雪が積もった。

坂道の途中に家があり、母、スーちゃんは、滑って、コケる。陣痛が

始まり、深夜に父が娘をとり上げたと聴いている。父も母も視覚障害

者であり、小さな鍼灸院を営んでいた。ずいぶんと患者さんに恵まれた

ようで、我が家には、長年一緒に住んでいたお手伝いさん親子やら、

鍼灸のお弟子さんやら、お隣の美容師さんたちやら、しょっちゅう誰か

が出入りしていた。「ただいま」と「お帰り」「いらっしゃい」「またね」

という言葉が一日中行き交っていた。小さな鍼灸院は、いつもひとが集まり、

笑い声が絶えないあたたかな空間だった。

ふたりの娘が家を離れた後も変わらず患者さんは通い続け、ふたりは懸命に

治療を続けていた。おかげで、ふたりとも、ほぼ生涯現役といった感があり、

父、マコちゃん84歳、母、スーちゃん92歳。最後まで自立して、気持ちよく、

うつくしく、彼の地へ逝った。

さて、ふたりの娘は、売り物にならないとはじかれる規格外の野菜のような

人間である。しかし、天然のままふたりに愛されたために、そこそこ、味は良い

(と、思う)。幸運なことに「形にこだわらずおいしけりゃぁ良いのよ」と

言う奇特な人に出会えてきたおかげで多少お役に立てて来たかな、と思える

日々を過ごさせていただいた。規格外は、多くの方の好奇心を呼び覚ます

らしく、過去、たくさんの方から親のこと、家のことを尋ねられてきた。

一様に、「珍しい」「なぁるほど」と反応するため、今は亡きマコちゃん、

スーちゃんコンビのエピソードには、何か未来のためのヒントがあるやも

しれないと、子育てに悩むひとびとのこころをほんの少し軽くすることも

あるやもしれないと思うようになっていった。

娘は、子どものころから持病を抱えているため、親にはならなかった。

いや、なれなかった。しかし、もし、自分が親になっていたならば、

間違い なく、マコちゃん、スーちゃんをお手本にしただろうと思う。