梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

めんどくさい子をおもしろがる大人

2021-11-13 11:48:31 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

「落ちたぁ!公立、探さないと・・」

スーちゃんは、叫んだ。

わが町の小さな丘の上に立つ聖ヨゼフ幼稚園のお受験の日。3人にひとりしか合格できないと言われたせいか、緊張しながらお受験会場へ。グレーの修道服が似合っていたシスターが、娘に尋ねた。「今は、お家には誰がいるの?」シスターは、どうやら家族構成を尋ねたらしかった。ところが3歳前の娘は、「今」という言葉にひっかかった。

たった今、本人とスーちゃんは、ここ、幼稚園に居る。姉は、小学校に行っている。今、家に居るのは、治療室に居るマコちゃんとお手伝いのおばあちゃんである。そう答えた。シスターは、「どうして?あなたには、お母さんもお姉さんもいるでしょう?」と言った記憶がかすかに残っている。しかし、頑として主張を変えなかった。ついでに、「シスターは、今って言いました。だから、今、おかあさんはここにいるし、お姉ちゃんは学校に行っています。だから、今家に居るのは、ふたりです」と、しつこく話したらしい。

で、スーちゃんは、叫んだわけである。家に戻り、このいきさつを一番おもしろがって聞いてくれたのが、マコちゃんであった。長女は、4年前に難なく合格しており、同じように入園の段取りを考えていたスーちゃんは、不慣れな手続きやらを想像したのか、めんどくささも相まってややヒステリックになっていた。

数日後、ぶじに、合格通知が届き、ことなきを得たが、この話で1週間くらい治療室は、にぎわった。「なるほど!そう聞かれたら、間違いじゃないねぇ」「シスター、困ったろうねぇ」患者さんも同様に援護してくれた。1960年代初頭、従順さを欠き、空気も読まず、生意気にも自己主張をするめんどくさい子どもをおもしろがる大人たちが数多くいたわけである。

20年後、娘は広告代理店に居て、コピーライターとして仕事をすることとなる。発想と言葉のちからを信じて、役に立つ。始まりは、幼稚園のお受験であった。この時、身近な人々がシスターを擁護していたら、そして、幼児とのすれ違いを糾そうとしたら、この未来はなかったろうと思えるのである。身近な人たちが、子にもひとにも、あたたかな善意の解釈を行い、解釈の多様性を楽しみ、さらには、あるがままを受け入れる。簡単なようで、実は難しいことである。