忙しかった両親であるが、よく声をかけてくれた。ちょっかいも出してくれた。或る日、居間にある炬燵。図画工作の宿題のために画用紙に向かっていると、マコちゃんが「貸してみ」と声をかけてきた。教科書に掲載されていたのだろうか。今となっては記憶が曖昧だが、マコちゃんは、本を観ながら、ものの30分ほどで驚くほどバランスの良い模写をした。マルク・シャガールの「わたしと村」だった。ラインの位置、色彩、色鉛筆を巧みに使って描いた。片目を失明していたマコちゃんにもかかわらず、小学生の目には、写真とそっくりの絵に見えた。幻想的でおおらかで、柔らかい。村の暮らしぶりを生き生きと想像できて、うっかり絵の世界に入ってしまいそうだった。色鉛筆でも十分に伝わってきた。
以降、シャガールは、娘の心に住むこととなる。ことあるごとに現れて、大学生になり親元を離れた娘を駆り立てる。かくして、「シャガールの作品を観たい、シャガールが手掛けたステンドグラスに会いたい」と、アルバイトに精を出し、お金を貯めて、ヨーロッパの国々を旅した。マインツだったか。教会の窓辺にふりそそぐ光の穏やかさを40年以上経っても覚えている。
シャガールは、娘にとって、マコちゃんであり、一緒に絵を描いた時間だった。親や子、そんなラベルは存在しないかのように、ふたりがそれぞれに画用紙に向かって、絵を描いていた時間。親として、子どもとして、などという意識はどこにもなかったように思う。ただただ、近くにいる人を気にかけて、声をかけて、ちょっかいを出す。一緒に楽しむ。
親が親であろうとするときよりも、ひとひとり同じ時間を生きる人間として一緒に居た時、子は強く影響を受けていたことになる。8歳くらいのことだろうか。
はっきりと年齢は覚えていない。しかし、わずか30分の記憶が後のヨーロッパへとつながっている。マコちゃんにとって、娘は、終生、まったくの別人格であったように思える。近くに居て、護りはするが、過度に干渉しない。適度な距離を常に保っていた。もちろん、娘を自身のものなどとは考えてもいない。問えば、答えるが、問わなければ、娘に自身の考えを言葉にすることもない。当然、押し付けることはない。子どもの一挙手一動を指示し、子どもの塾やら進学先にまでコミットする世の保護者とは対極にあった人だった。