幼少の頃より娘は利発で学校で習うお勉強は、そこそこできた。なんといってもマコちゃんとスーちゃんにやりたいことをやると言い、実現したらお小遣いの額を上げてもらうというニンジン付き。
自発的にのびのびと得意分野を伸ばせる環境にあったわけだ。幾多の通知表(成績表)を持ち帰ったが、マコちゃんは評価点が低い科目については「くやしいか?」と聞くだけ。くやしいと思えば、自身でなんとかすればよい。くやしいとは思えないならそれはそれでよいのではないか。一貫して、マコちゃんはこういう人であった。やや選択肢があった高校選びも「無理をして一番手を選ぶより、二番手でのびのびと好きな美術をやりたい」となんなく済ませて、精神的にはストレスもなく、時は過ぎた。容姿の問題など個々の悩みはあるもののおおむね自尊心、自己肯定感たっぷりの娘は、いつしか自惚れる。
ところが、そうそううまくはいかない。当時の模試結果では、合格確実だとされていた大学から不合格通知が届いた。2校も。娘は、そんな馬鹿な!と、事実を認めない。3日間、部屋に閉じこもり、泣き続けた。
3日目に、マコちゃんがふらりと様子を見に来た。そして言った。
「君に行きたい学校があるのなら一年かけて準備をして、もう一度受験すればいい。予備校に行きたいなら行けばいい。今のマコちゃんとスーちゃんには、君に再トライしてもらうだけの経済的余裕があるよ。よく考えてみなさい」。泣きじゃくる娘の顔を一瞥して、さらにマコちゃんは言った。
「良かったね。これで、人の心の痛みがわかったろう?」。
かくして、大学受験失敗は、我が家ではお祝い事のごとく歓迎されることとなった。スーちゃんも娘もケーキを準備するのではないかと思えるほど微笑んでいた。当の本人は、なかなか素直になれず、「ものごとは、舐めてかかると、ろくなことにはならない」と学習し、1年間楽しく、いや、懸命に近所の予備校へ通うことになった。
実は、不合格通知が届いてすぐに、国内脱出も考えた。9月入学の海外大学ならまだ間に合う、と。マコちゃん、これは即決で、却下した。
「そりゃぁ、逃げだろう?君が1年前に海外の話をしてたなら、それも有りよ。しかし、逃げるのだけは許せんな」。
おっしゃる通りであった。