梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

愉しい我が家の演出家。

2021-11-28 05:44:54 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

スーちゃんとマコちゃんは、だれの援助も受けずに鍼灸院を開業したという。

嘘か本当かは定かでないが、「ミカン箱ひとつで始めたのよ」と言っていた。確かに、娘が幼いころ生活には余裕がなかったろうと思われる。お手伝いさんにお弟子さん。ふたりの娘が、マコちゃんとスーちゃんの肩にのしかかっていたのだから。

しかし、余裕のなさを決して見せない朗らかさがふたりにはあった。月に1回必ずデパートで食事をする。この時は、家族だけで過ごす。そして、毎年のようになにかしら新しいモノたちが、家の中にやってきた。電話、テレビ、カーペット、冷蔵庫。例えば、カーペットが来るとなるとその日は家族総出で、掃除をする。そんな調子だった。高度成長期の日本では、あちこちで見られた光景かもしれない。

年上の娘は、デパートへ行っても遠慮してカレーライスしか頼めなかった。なんとなく家に余裕がないのを察知していたからだ。「それでよいのか?」とマコちゃんに聞かれると、首を縦にふっていた。ほんとうは、もっと頼みたいものがあった。娘は、今も、デパートの一角、クロスがかかったテーブルに添えられた一輪挿しの姿を強烈に覚えていて、我慢をしていた自分が必ずそこに居ると言う。年下の娘は、おかまいなしである。食べたいものを注文し、翌月は何を食べようと思いを馳せる。

月に一度の外食や年に一度の家財の購入。小さなささやかな機会をとても上手に生活に取り入れてメリハリのある暮らしを演出していたように思える。また、お月見だったり節分だったり、季節に沿った家族イベントはたくさんあり、どれも笑いに包まれたエキサイティングな時間だった。節分の豆の中には、こっそりとコインが入っていたりもした。子どもたちが驚いたり、はしゃいだりする小さな仕掛けをふたりは、していた。

いつだったか。小学生だった頃、幼馴染みが個人の勉強部屋をもっていることを心底うらやましいのだと、マコちゃんに話したことがある。「そうかぁ。幸せにはいろんな幸せがあるよ。この家は、毎日笑ってみんなで晩御飯を食べているだろう?おとうさんは、それが幸せだと思うけどねぇ」。マコちゃんは、言った。確かに、箱ものよりも、おいしいごはんは魅力があると素直にうなずいた記憶がある。

マコちゃんは、上手に家族を引っ張っていた。