娘には、不思議な思い出がある。
美しい箱に入ったオーダーのワンピース。同じ生地で誂えてあるが、姉妹でデザインが違う。ワンピースに合わせた帽子と靴もあった。
台風が来るたびに「この家、大丈夫かなぁ」と本気で心配していた木造家屋に住んでいたにもかかわらず、同じ運転手さんが何日も運転する車に乗って家族で旅をしている。白いクラウンだった。えびの高原ホテルでの夕食風景。洋食をとオーダーした娘のテーブルには、フルセットのカトラリーが並んでいる。ポツリ、ポツリと、思い出の中に非日常的な風景が残っているのである。
お得意の妄想(想像)だと思っていた。
ところが、違った。マコちゃんの実父だった。若いころは法曹界で仕事をしていたと聞くが、家督を継いでからはさまざまな事業を行っていたのだろう。運輸事業も行っていたと聞いた。記憶の中に、車のドアを開けてくれたひとの立ち姿がある。ひょっとすると祖父を担当してくれていた運転手さんだったのだろうか。スラリとして、美しいシルエットだった。
祖父は、マコちゃんが成人したときに、柳川藩主立花邸の御花で、息子と再会した。そして、或る年齢を超えた頃から孫にあたるふたりの娘や息子であるマコちゃんと頻繁に接触するようになったと聴く。長男を戦争で亡くしたことと関係があったのかどうか。今となっては、知る由もない。
マコちゃんにしてみると、さぞや心中は複雑だったろうと思う。父親に捨てられたと思って生きてきた。養子に出されたことで、母にも捨てられたと思ってきた。家族はつくったもののマコちゃんは父親のお手本を持たずまま生きてきた。実は、スーちゃんも幼いころに両親を亡くしていた。ふたりがとてもユニークな親だったのは、親というお手本を持っていなかったためではなかったか。
親とはかくあるべし。そんな像を持っていないために、できる限り懸命に子どもに責任を持ち、大切に接する。ただ、それだけだったからこそ、下手な所有欲や過度な干渉をすることも思いつかなかったのかもしれない。ましてや、ふたりとも忙しい毎日である。患者さんがさまざまな問題を抱えて、頼りにして、やってくる。娘に、干渉している暇はないのであった。そして、爺さまの善意あるこころを袖にする理由も暇も持っていなかったのかもしれない。