梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

うつくしきタイガー、スーちゃん。

2021-11-27 06:17:42 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

スーちゃんは、寅年生まれ。お釈迦さまの誕生日に同じく生を受けた。本人は、無類の朗らかさでひとを魅了する。なにぶん、ポジティブなひとであった。また、おいしいものに目がなく、お得意の料理でひとに喜ばれることを生きがいとしていた。

若いころは、公共施設の建設に携わる企業の社長秘書をしていた。才気煥発で美しく、秘書業務のついでに政治の応援演説を頼まれることもあったという。毎日、眠るときは、いつ呼び出されてもよいように荷物を枕元に置いていた。さぞや華やかな日々だったろうと推測するが、不慮の事故でそれも終わりを遂げる。実兄による暴力により、彼女もまた片目の視力を失う事態となった。しかし、スーちゃんにめげる日々は似合わない。鍼灸の資格をとって、自立し続ける。

マコちゃんとの出会いによって、その朗らかさにさらに拍車がかかる。鍼灸の技術の確かさと24時間夫婦漫才を展開しているような二人組は、多くの患者さんから頼られて、愛された。

山口や広島、長崎、鹿児島から通ってくる患者さんもいた。

「女は、仕事を持ちなさい。重い荷物も自分で持ちなさい」

スーちゃんの言葉である。1925年生まれの女性には、珍しい。しかし、彼女は、マコちゃんとともに、自立して重い荷物をいつでも持てるちからを持って生きてきた。

幼いころ肥満気味で容姿にコンプレックスを抱いていた娘は、スーちゃんに訴えた。「しろ豚って学校で言われる!ほんと、いやだ!」

さて、スーちゃんは、なんと応じたか。

「そのうち痩せるよ。色が白いは、七難隠す。よかったねぇ」

あらゆるネガティブな事態は、スーちゃんを透過すると、捨てたものではないポジティブな事態へと変化していくように思えた。

彼女が90歳の時にくれた手紙には、「生涯、朗らかに生きたい」と書いてあった。そのとおりに彼女は、生きた。彼女のいるところは空気がきれいで、明るかった。透明感のある笑い声がどこまでも響いた。入院すると、彼女はいつも若い看護師さんに囲まれ、なぜか誰かとナースステーションの中に居た。心配され、愛されていた。いくつになっても、愛嬌がある。終生、自立して、マコちゃんとともに生きた女性は、ひととしてきれいで、パワフルで、そして、笑顔が可愛いかった。

スーちゃん、二十歳の頃