我が家には、その昔、土間に小さなおくどさんがあり、窯でご飯を炊いていた。娘は、7歳にしてご飯炊きの役を命じられる。或る日、テレビで放映していた漫画に夢中になり、窯に木と新聞紙を入れ火をつけたものの、そのままに。テレビの前に陣取って、画面にくぎ付けになっていた。あたりには、焦げた匂いが充満しはじめる。時すでに遅し。匂いに気づいて治療室から飛んできたスーちゃんは、大激怒。1960年代初頭の話である。スーちゃんは、たぐいまれなくいしんぼうと自負していた。それだけに、食べ物や食べることに関しては執着も強かった。その分、食生活を大切にしていたように思う。美しい丹波の小豆やら大きな大分のどんこしいたけ、分厚い利尻の昆布などなど。スーちゃんの笑顔の思い出には、なにかしらセットでおいしいものがついてくる。
さて、その夜、ちゃぶ台に並んだご飯は、娘の分だけお焦げの大盛だった。4人家族の3人分はなんとか白い。しかし、漫画にうつつをぬかした娘の茶碗は、黒かった。娘が泣こうが喚こうが、スーちゃんは、完全に無視。いつもは笑い声に包まれる食卓もその日ばかりは、静かだった。もうひとりの娘も、なんだか大変な事件が起きているらしい。はしゃいではならないと自重していたらしい。
おそらく我が家で前代未聞の静かな夕飯時ではなかったろうか。そこに、娘の泣き声だけがむなしくこだまする。スーちゃんを仰ぎ見ても、マコちゃんを見ても、もくもくと箸を進めるだけであった。最後まで娘の茶碗が白くなることはなかったという。あくる日、娘は、反省と我慢という言葉を覚えて、おいしいご飯を炊いた。自分でやるといったことをやらない。その結果を自分でしっかりと刻めるように、黒いごはんを大盛でよそわれて、満足に食事ができなかった。お米を無駄にしてしまったこととその理由がしっかりと娘には伝わった。泣いても、叫んでも、事態は変わらない。ただ、黒いお茶碗が鎮座していたのみである。二度とお焦げは作るまいと決心したそうだから、なかなかの教育効果である。
小学校低学年の娘に、ご飯炊きを通じて、食の大切さを体得させたスーちゃん、そしてマコちゃんであった。しかし、当時、家には、お手伝いさんもいた。娘のしつけを兼ねて、意図的に役割を与えていたということか。今となっては、謎である。