梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

企業城下町の忖度。

2021-11-14 05:38:11 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

1960年代、製鉄と化学の街は、24時間眠らなかった。夜勤明けの工場労働者たちが朝焼けの街へ繰り出し、交代するかのように、日勤の人々が工場へと吸い込まれていく。エリアを分けて、階級別の社宅が並ぶ。大きさ、間取り、ファサードのデザインなど、金太郎あめのように同じものが整然と並んでいて、町ごとにどこの企業、どの程度の階級の人かがすぐに分かる。そんな町の一角に鍼灸院はあった。規格外(の娘)が通った公立小学校は、某化学企業の課長、係長クラスの子どもたちが多かった。鍼灸院の前にある大通りを渡ると、灰色のブロック塀に囲まれた箱のような社宅が並んでいた。

ある日、自宅の黒電話がけたたましく鳴った。母、スーちゃんが受話器を取ると、担任の教師からだった。なんでもお子さんの書いた作文のことでゆゆしき問題があり、保護者に会いたいと言う。当時、規格外は、物心ついたころから毎月のお小遣いの額について父親と交渉をして決めていた。それが、いつのまにやら、サラリーマン家庭とは開きのある数字になっていたらしい。教師は、そこを問題視した。「このような土地柄ですから、一般のサラリーマン家庭に合わせてくれませんか?」保護者を呼び出して、真面目に、同調することを指示したらしい。マコちゃん、スーちゃん、わが子がなにか他の悪さをしたと想像したのか、ご丁寧に二人して教師に会いに行ったという。教師の話を聴いて、「なるほど、そういうことか」。教師の言い分は、理解した。理解したが、即決で断った。

「これまで、子どもは、僕と相談しながらお小遣いを決めてきた。もし、それが極端に高額だったり、あるいは、少額だったりしても、自身で決めた額でどんなふうにともだちとかかわっていくか、それを子ども自身が考える方が大事だと思う。うちは、他所に合わせることはしません」。そう言って、帰ってきたそうな。この話、とうの娘が知ったのは、40歳を過ぎてからである。温泉宿へと向かう車の後部座席でふたりで楽しそうになにやら話していた。聞き耳を立てると、思い出話で盛り上がっており、その中の話のひとつだった。自分が教師だったら?親だったら?どう判断し、どう動いただろうか?

あっぱれ、マコちゃん、スーちゃん。まずは、親と子のやり取りが基本。大切にする順番を間違えていない。この順番、間違えるケースを見かける。