『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・人間は山と蟻の中間?(中)…パワーアニマル

2010年07月03日 21時30分33秒 | □愛読書及び文学談義

 動物への畏敬

 インディアン部族の共通点は、動物に対する畏敬の念が強いということだ。彼らの “導き役” となる動物は『パワー・アニマル』と呼ばれ、守護神的な働きがあるとされている。

 その動物は人によって異なり、必ずしも一種類とは限らない。無論、「ペット」などといったカテゴリーに収まるものではない。

 馬やコヨーテ、それに山猫や鷲などについて、彼らは “何と何の中間” と考えているのだろうか。いやおそらく、まったく異なった発想による “位置づけ” をしているように思えるのだが……。 

 どんな動物も、
 あなたよりずっと多くを知っている。 ――ネズパース族の格言

 動物にもタブーはある。 ――中西部の部族に伝わる格言

 “タブー”が、「動物」にもあるとはまいった。だが逆に動物のタブーを否定するのは、人間の傲慢さというものだろう。ふと我が家の近くに屯(たむろ)する運動不足の猫どもを思い 浮かべた。ちょっと惚(とぼ)けたその表情が、呼びかけている……。

 ――なんで、そう上から目線で断定するん?    


 慎ましく食べ、慎んでしゃべる。
 そして誰も傷つけない。 ――ホビ族の格言 

    
 過去を忘れ、こころから怒りを消し去れ。
 どんな強い人間も
 そんな重荷に耐え続けることはできない。 ――チェロキー族の格言
   

 感謝する理由がみつからなければ、
 落度はあなた自身にある。 ――ミンカス族の格言

 何でもない一日一日の日常生活の中に、“世界” や “人生” のすべてが含まれているような気がする。それ以上でも、それ以下でもない……という “確認” こそが、インディアンの原初的な “アイデンティティ” なのかもしれない。

 だが「文明社会」の現代人と言われる我々はどうだろう……。
 いっそう複雑化する国家、経済社会、行政、そして企業組織等の “器”。その中で足掻いているのかもしれない。

 しかも、それらの “器” に貼られた機構、制度、法体系そして先例といった “ラベル” は、いっそう精緻に細分化されていく。“人間そのものが自然の一部である” という “最大のラベル” を塗りつぶしながら……。

 ひとりの子供を育てるには、  
 村中の努力が必要だ。 ――オマハ族の格言

  私ごとだが、五歳くらいまで父の実家の八畳一間に、親子五人が住んでいた。  

 その家には、「退役軍人」(海軍)祖父と祖母。それに、父の実妹である「独身の叔母」が三人。さらに、父の弟(十人兄弟の末っ子で大学生)。

  隣家のおばさんに、駄菓子屋のおばさん。斜め向かいにいた大工の棟梁。すぐそばのお風呂屋のおばさんにおじさん。そして、セーラー服のお姉さんに物売りのおじさんたち。

 傘の修繕にノコの目立て、包丁研ぎに竿竹屋のおじさん。全身真っ黒の煙突掃除屋さんもいた。進駐軍の兵隊さんも、ジープに乗ってときどき姿を見せた。

  それらの人々にいろいろなことを教えてもらい、また可愛がられた。見たこともない絵本やお菓子も貰った。それらの品物の感触や、大人たちの声の調子や表情などは、今でもよく憶えている。

 私の前を歩くな、私が従うとは限らない。
 私の後を歩くな、私が導くとは限らない。
 私と共に歩け、私たちはひとつなのだから。 ――ソーク族の格言

 

        
         ★★★ 何と何の中間? ★★★

 ――ねえ? あたくしって “何と何の中間” かしら? ……え? “銀河” と “バラ” の “中間” ですって? 

  ……それって、あたくしの「イマジネーション」ってこと? 良いのか悪いのか。……まあ、いいわ。だったら、“銀河の彼方” にして。それに “バラ” よりも “百合” の方がいいわ。

  バラはすてきだけど、一歩間違うととんでもないキャラクターへと進んでいきそうだもの。でも……やっぱりここは単に “花” がいいのかも。だったら、いっそのこと “花びら” にしようかな……。

 “銀河の彼方と花びらの中間”……。でもこれって、何だか存在がとっても希薄に感じない……。あたくしって、そういうイメージなのかしら? 

  ねえ? 聞いてる? ね~え? あれっ? 眠ちゃったの?