『元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり。地は定形(かたち)なく、むなしくして、黒暗淵(やみわだ)の面(おもて)にあり、神の霊水の面(おもて)を覆(おお)ひたりき。神「光あれ」と言たまひければ光ありき。神光を善しと観たまへり。神光と暗(やみ)を分かちたまへり。神光を昼と名づけ、暗(やみ)を夜と名づけたまへり。夕(ゆう)あり朝(あさ)ありき。これ首(はじめ)の日なり。』 [日本聖書協会編:1971]
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『旧約聖書』の「創世記」冒頭の一節です。ご存じの方もいらっしゃることでしょう。この箇所は、神の「七日間」の「天地創造」の「業」の「第一目」を語ったものです。映画『天地創造』の冒頭にも描かれているように、「創造主」たる「神」の存在と「その業」とが、これほど見事に表現された箇所はそう多くはありません。
それにしても、この「文語体」の表現――。心地よく格調高いものであり、個人的にも大好きです。ちなみにこの「日本聖書協会」編の「聖書」は、大学4年生のときに或る方にいただいたものです。私は高校がプロテスタント系の「ミッションスクール」であったため、無論、自分専用の「聖書」は持っていました。しかし、大学入学の上京の際に、福岡の実家に置いて来ました。
それでも贈呈されたこの「聖書」は、40数年経った今日も持ち続けています。大学時代からの書籍・雑誌の中で今でも手元に残っているものは、岩波文庫や新書本を除けば、わずかに10数冊でしょうか。数少ない「愛読書」の一つです。
ところで最近の「聖書」は、どの宗派のものもそのほとんどが「口語体」です。これはこれで悪くはないのですが、「文語体」に刻まれた独特の言葉のリズムや響き、そして語調に流れる余韻や余情はとうてい「口語体」の比ではありません。
せっかくですから、以下に冒頭と同じ一節の「英文」(ジェームズ王訳米国版)をご紹介しましょう。難しくはありません。冒頭一節の「対訳」としてごらんください。これもまたリズミカルであり、心地よい響きとイマジネーション、そしてクリエイティビティを感じさせるものです。
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さて、もう一度冒頭の「一節」をごらんください。「創造主(=神)」は、まず≪定形のない地≫と≪黒暗淵(やみわだ)≫と≪水≫を創造されたことが判ります。混沌とした深淵の中に、暗黒の大宇宙空間が果てしなく広がりゆくのでしょう。その一方、大地の元ともいえる地上らしきものの存在が確認されます。「形も色彩も定まることのない沈黙の宙空」の中に……。
そこで「神」は≪光あれ!≫と、自らのさらなる強い「創造の意思」を継続します。私はこの「くだり」に接するたびに、「神」の「イマジネーション」や「クリエイティビティ」の力強さを感じるとともに、「創造力」の無限大のエネルギーを痛感させられます。この部分をゆっくり一字一字拾いながら読み進むとき、自分の中にも力が充ち溢れて来るような気がしてなりません。人間の「イマジネーション」の深化の可能性に、ささやかな歓びを感じる瞬間です。
それにしても、「人間智」と「時空」を遥かに超えた宙空世界の「イマジネーション」と「クリエイティビティ」――。その広がりと深さに圧倒されるばかりです。
★★★ 業……… ★★★
――ほんとに素晴らしいわ。あなたがおっしゃるように、一語一語、じっくり噛みしめながらイメージを膨らませて行くのね。そうすると無限の宇宙が深く静かに果てしなく広がって……ああ、ほんと。見えるようだわ。
でも、あたくし…… 「創造主」でいらっしゃる「神様」にひとこと申し上げたいことがあるの。あたくしのとっても「身近な方」のことで……。
その方って、あれこれイメージしていろいろなものを作ってくださるの。ほんとにありがたいわ。お料理だって、ちょっとした大工仕事だって、とっても器用な方なの。
だから……とにかく、何事も最後まで「中途半端」になさらず、まずは「完成」させてくださいますようにってお祈りしたいの。
……それにもうひとつ。その「創造の業」が終わった後は、きちんと「あと片づけ」という「業」にも徹していただきますようにって……。
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新しき年、2012年のはじまりに際して。
本年も「本ブログ」をよろしくご愛顧のほどお願いいたします。
各位のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
花雅美 秀理