閑や岩にしみ入る蝉の声 芭蕉
あまりにもよく知られたこの句。芭蕉の句の中でも、認知度の高さからいえば「ベスト5」に入るでしょう。そのため、“今さら採り上げてみても” と、実は書きかけの「原稿」を一年近く放っておいたほどです。
再び綴りながらも、“今さら” の気持が完全に消えないのは、これまた厖大な「鑑賞」や「解釈」の対象となっているか らでしょうか。
それでも今回、あえて「鑑賞・解釈」したいと思ったのは、芭蕉が「本句」の最終稿を得るまでに、二回の「改作(推敲)」をしたということにあるようです。
「改作」の事実も「推敲過程」もすっかり忘れていましたが、今回あらためてあれこれ眼を通すうちに無性に触れたいと思ったのです。
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「閑や」は「しずかさや」と読み、紀行文集『おくのほそ道』(奥の細道)の一句です。ちなみにこの紀行文集は、『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり』という有名な一節で始まっています。多くの方が、一度は耳にされたことでしょう。
さて本句は、元禄二年(1689)、出羽(現・山形県)・立石寺(りっしゃくじ)」での作であり、芭蕉はその経緯を次のように語っています――。
『山形領に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮れず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉じて物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ』(「おくのほそ道文学館」)
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筆者は「古文」は苦手なのですが、これくらいは何とかわかるようです。
『佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心すみ行くのみおぼゆ』とは、“閑寂の心、ここに極まれり”とでも言いたいのかも知れません。
『心澄み行くのみおぼゆ』に、最大の賛辞が込められているのでしょう。と同時に、そのように “感じ” また “イメージ” を膨らませた芭蕉独自の “感性” と “世界観” が、秘かに息づいてもいます。
ところで本句の「初案」は――、
山寺や岩にしみつく蝉の声
となっていたようです。「山寺」すなわち「立石寺」に対する、俳人特有の「挨拶(句)」の意味があったのでしょう。だが筆者には、「しみつく」という表現が気になって仕方がありません。
第一に、この「言い回し」は、あまりにも “簡明直截” であり、“即物的” すぎるような気がします。「重い」感じが前面に出過ぎているようです。
何かに「へばりついて」鳴いている「実像としての蝉」が、あまりにも生々しく浮かんでくるからです。もちろん、事実はそうであったのでしょう。しかし、『ほら、こんなにもたくさんの蝉が鳴いているでしょ』といった “あざとさ” が透けて見え、個人的にはあまり好きにはなれません。
第二に、「しみつく」の「つく」には、「何かが表面につく」という物理的ニュアンスが強すぎるように思います。何よりもこの「つく」という動詞は、動作や行為の継続性や空間の広がりに乏しいようです。
そのため、完成句の「しみ入る」と比較するとき、表現世界の広がりや時間的経過の幅において、断然この「しみ入る」の方が優っています。それにこの「しみ入る」には、「しみこむ」にはない〝主情のゆらぎ〟のようなものが感じられるのです。
作句当初は、立石寺(山寺)に対する「挨拶」代わりの即吟という意味があったのでしょう。立石寺に対する「敬意」や「サービス精神」の所産という一面も否定できません。
だがやがて、芭蕉は「立石寺(山寺)」を離れ、時間の経過の中で「初案」に向き合うこととなるのです。
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芭蕉の中で、次第に「立石寺」が消えて行ったのでしょう。それに代わって、「ひたすら鳴き続ける蝉の声」の「宙空」が現出しはじめたのです。その「宙空」は「岩山の重なり」を見せながらも、「その他一切のもの」を捨象していく……。
そして、「岩山」と「蝉の声」だけの世界へと……。「その声」を「岩にしみ込ませる」かのように鳴き続ける「蝉」。そして、「自分(芭蕉)という存在」。つまりは「蝉の声」と「岩山」とによって、「さびしい」とのみ「おぼえさせられた自分(芭蕉)」とでも言うのでしょうか。かくて「再案(二案)」は――、
さびしさや岩にしみ込蝉の声
「さびしい」という詠嘆のこころが、「岩にしみ込」という表現を生み出したのでしょうか。いえ、「堅固な岩ですら声をしみ込ませることができる蝉」が、芭蕉をして「さびしい」と言わしめたのかもしれません。
それほど、「間断なく強く鳴き続けている蝉」なる存在の重み。いえいえ、「そのように聞き、感じている芭蕉」という存在。そういう芭蕉の推敲過程が垣間見えます。
しかし、無論、芭蕉はここで止まりませんでした。
「さびしさや」を「閑や」に、「しみ込(む)」を「しみ入る」へと改稿する俳聖・芭蕉の “こころの軌跡” が待ち受けていました。(続く)