電気通信視察団の数奇な経験談 その9 南米編(2)[マチュピチュ観光]
関東電友会名誉顧問 桑原 守二
ブラジルのイグアスの滝を観光した視察団は、次いでチリに飛び、チリ電話会社、チリ大学を訪問した。さらにペルー大使館およびペルーの通信会社テレフォニカを訪問するためペルーの首都リマに飛んだ。ペルーは南米最後の訪問国である。
ペルーに着いた直後の週末を利用して、インカの遺跡を観光した。イグアスの滝の観光とともに、南米視察旅行における仕事外でのハイライトである。
リマから一時間のフライトでインカ帝国時代の旧首都クスコに着く。海抜3400mの高地にあり、気流の関係で飛行機は午前中にしかクスコを発着しない。必然的に、リマのホテルの出発は午前七時の早朝になった。
電経新聞社の視察団は以前にチベットの首都ラサを訪問したことがある。ラサも3700mの高地にあり、視察団員の大多数が高山病にやられた。今回も半数以上が何らかの異常を訴えた。ラサでは軽い頭痛で済んだ私もクスコでは眩暈と食欲不振に襲われた。ラサへ行ったときはネパールのカトマンズ(標高2200m)を経由したので若干でも高地に慣れる時間があったが、クスコへは海岸線にあるリマから直接飛行機で飛んで着くから、条件はこちらの方がきついはずである。
クスコは、4000m級の山に囲まれた盆地にある。インカ遺跡の多くは、市街地から山に向けて登ったところに点在している。その数百mの差が大きい。団員の何人かはバスから出て行く元気を失った。私も、その一人だった。
その日の夕刻、翌日のマチュピチュ観光に便利なように、50kmほど離れたユカイという街までバスに乗った。曲がりくねった山道を通り、標高4000mの峠を越える。高山病に冒されていた私は、今度は車酔いにやられた。夕食では完全に食欲を失っていた。
クスコからマチュピチュへはツーリスト専用列車が走っている。クスコ側で4回、マチュピチュ側で2回、スイッチバックをして峠を越える。クスコから標高2000mのマチュピチュ駅まで3時間だが、登りになる帰りは4時間かかる。私達は途中のオヤンタイタンポ駅から列車に乗ったので、約1時間半でマチュピチュ駅に着いた。
日本人が行ってみたい世界遺跡のアンケートでは、マチュピチュがエジプトのルクソールを抜いて1位になったという。標高2000mまで降って大分元気を取り戻した団員達は、期待に胸を膨らませ列車を降りた。
狭く、急な山道をバスで登る。鉄道駅の傍を流れるウルバンバ川がたちまち眼下に遠くなる。約20分、突然空中都市マチュピチュが目の前に現れた。その神秘的な姿は、拙い私の筆で表現するのは不可能である。
ガイドの説明によると、マチュピチュにはインカの神官等が最大1500人も居住したらしいが、いつ、どのように構築されたかには諸説あるという。
しかしリマから2日間、高山病に悩みつつ来なければ見ることのできない秘境である。それだけに、感激も一入なのであろう。
視察団はリマでの公式行事を終えた後、レストランでお別れ会を開いた。私は団長として挨拶をしたが、これが最後と思うと感慨で胸一杯であった。足立邦彦氏と他2人の方に副団長をお務め頂いたが、平成7年のインド訪問に始まって平成14年のペルーまで8年間にわたり4大陸を巡った視察旅行を無事終えることができたのは、副団長および延べにすると二百数十名に達する団員のご協力によるものと感謝している。
なお、マチュピチュを訪問して後で分かったことであるが、ウルバンバ川は平成10年と同22年に洪水で氾濫し、鉄道が不通になって、旅行客がヘリコプターでマチュピチュからクスコまで搬送されている。約50名の我が団体がそのような目にあったらと、今思い返すと背筋が寒くなることであった。
インカの遺跡 空中都市マチュピチュにて