新羅本紀に249年に出兵した倭王についての記載があるそうです。
倭の使節を接待する席で「いずれ倭王は塩汲み奴隷に、妃は飯炊き女になるだろう」という冗談を言った新羅の名将、于老(うの)。
この冗談を伝え聞いた倭王は激怒し出兵したといいます。
倭王は謝罪する于老を許さず、火炙りの刑に処したそうです。
于老とは百済との戦いで大いなる戦果をあげた、古代新羅の12代王の従兄で10代王の子にあたる人物だそうです。
兵にも慕われていたという名将を火炙りにされても、新羅は倭に対して争いを起こすことはなかったようです。
当時の倭国と新羅の力関係を考えさせられるエピソードです。
列伝・于老では253年の出来事として同様の事件が記されているようですが、いずれにせよ年代的に于老を処罰した倭王こそが、卑弥呼と台与の間の男王だと思われます。
魏志倭人伝において、卑弥呼の死後に「男王を立てるも国中服さず」と書かれている男王のことです。
この男王では国が治まらず国中に争いが起こったため、まだ13歳にすぎない台与(壱与)を立てたところ国が治まったと記されています。
新羅本紀の記載から鑑みるに短気な人物であったでしょうが、倭国王としての権威や権力は持っていたように想像されます。
その男王だと国が治まらず、13歳の女王だと治まる・・・
私の頭ではなかなか理解しがたい話です。
邪馬台国、不思議な国です。
13歳が今の13歳であれば巫女としての女王の姿を想像できますが、春秋二倍年暦であるならば台与は小学校1年生くらいの童女の可能性がありませんか。
血気盛んな男王ではなく、童女を王として担ぐ国のあり方はかなり特殊に感じます。
話は変わって「歴女」というのは今では歴史好きな女性全般を指すというのが私の認識です。
だとすれば私、歴女です。
以前にも書きましたように邪馬台国がどこなのかいくら考えても判らないだけで、興味は非常に持っております !(^^)!