漢字が伝来する以前、古代日本には固有の文字があったのでしょうか。
神代文字としては阿比留草文字などが有名どころですね。
滋賀県彦根市の荒神山神社のお札に今でも書かれている文字も神代文字だと言われていますし、
同じ滋賀県高浜市安曇川町の阿閑神社には神代文字の刻まれた石が残っています。
先史時代に岩に刻まれた文字や文様、絵画であるペトログラフは日本各地にたくさん残されているようです。
また神代文字といえばホツマツタエに使われたヲシテやカタカムナなど、いわゆる古史古伝の真偽も知りたいところです。
真偽を論ずるようなものではなく、我々が日常的に使用している「ひらがな」が神代文字であるとの説もあります。
室町時代中期から戦国時代にかけての神道家である吉田兼倶の「日本書紀神代巻抄」に
「いろは四十七字は、弘法大師これを作る。かたかなは吉備大臣これを作る。あいうえをの五十字は、神代よりこれあり」
と書かれているそうです。
「いろは」は弘法大師が、カタカナは吉備真備が造ったのですが、「あいうえお」の方がもっと古くからあったというのです。
漢字が伝わってくる以前から神官など一部の人の間でひらがなが使われていたのでしょうか?
存在していたとしても、焚書にあって残っていなさそうですが。
平安後期の漢学者である大江匡房も、第十五代応神天皇の頃から「ひらがな」はあったと言っているそうです。
しかしもし応神天皇の頃の遺跡から「ひらがな」を書いたものが発掘されたとしても、応神天皇の頃のものとはみなされないのでしょうね。
後世のものが紛れ込んだとされるのでしょう。
万葉集が万葉仮名で書かれていることから鑑みるに、ひらがなはその頃には存在しなかったのだろうなとも思います。
ひらがなが神代文字であったと考えるほうが圧倒的に面白いと思うのですが。
それにしても「あいうえお」ってムチャクチャ良くできていると思いませんか。