犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

はたらくということ。

2014年01月27日 | おせわがかり日誌


年末年始は休みなく事務所片付け。

それを精神的にお手伝いする、看板犬。




ありがとうね。




仲良くなったスタッフさんもいて、少し安心。




でも、ちょっとした事情があって、出勤は見合わせすることにした。

看板犬として、会社の将来を担ってもらうというか、頑張ってもらうつもりだったんだけど。

いや、そのつもりは、消えていないけど。




そんなこんなで、いろいろ予定が変わってきた。

考えていたことは、いったん横に置いておいて、今の今、理想の形を追求するのは、諦めることにした。

まず、ひとつ入っていた取材は、事情を話して、今回は見送ることに。

「次の企画がこちらのかたちと合ったらね」

ということで、知り合いのwebライターさんとは、その、”次のかたち”を模索することに。

試験的にやっていこう、ということだったし、実際、着地点を模索していたこともあった。

取り組む時期は、形が決まってからでも、遅くない。

企画をイチから見直す。

ひとつ良かったことは、ライターさんが多忙だったことで、行政に声をかける前であったこと。

行政を巻き込んでしまっては、NGになりました、とは言えなくなる。

それについては、幸いだった。



夜、スキルアップな転職をしたばかりの年上の友人からメール。

会社の経営サイドにいたこともある人で、不思議な人望があり、

でもって結構な苦労人。

彼女の言うこと、いちいち納得できることばかり。

頼りがいのある(人生の)先輩がいるっていうのはいいもんだな。



若いゲーム関係のライターは、

子育て、仕事の本格復帰タイミングなどについて話しこみ、

あっという間に1時間。



売上数億円の店舗を任されている営業部長は、人事に悩み。

「同僚たちと愚痴ばかり言っていたころはほんとに何にも分かってなかったし、分かろうともしてなかったわ」

なんて溜息混じりに切なげに。転勤辞令を誰に出すのか、そのひとつにも、悩みに悩む。

明日には答えを出さなければいけない、という中で、悩みに悩む。

人の幸せ、人生を左右することになるかもしれない決断だからだろう。

あの人は家族に介護しないといけない人がいるから奥さんひとりになっては大変だろうとか、

あのうちは奥さんが大きな病気をしたあとだから単身赴任は厳しいだろうとか、

そこを考えていては仕事にはならないというような経営観念とは、また別のところで、

考えて、考えて、で、決めていくのだ。何にも考えていないわけではない。

あなたの見てないところで、上司は悩んでいるよー。

結果だけみて、そこで判断しないでほしいわ、と、口添えしたくなった。



そう。何も考えない人なんていない。

それぞれ悩みはつきないし、その悩みを超えたところに、

やるべき仕事があったりするんだよな、なんてことを考える。



そんな中でも、看板犬の仕事は、もちろん考えてる。

マキナルさんの会社の銀次郎くんの写真を見て、吹き出したりしながらも。

銀次郎くんて、見てるだけで楽しい。

たくさんいる看板犬の中でも、特にすばらしい看板犬だ。

マキナルさんとこの仕事もとてもいい仕事だし、

仕事と動物をうまく結びつけたマキナルさんも、すごいなあ、と歓心しながら。

でも、とどのつまりはただ好きで、銀次郎君を見てる。

いいなあ、素敵。



動物たちは、人間たちのように、

当たり前だ、当然だ、と、ゴリゴリ権利ばかりを主張することもなく、

ただ静かに、いらなくなったら捨てられて、捨てられたら処分されて、

運がよければ、保護されて、そういういのちが教えてくれることを、

何かの形で、世の中にかえしていかなければ、なんていうか、

仕事している意味が、働いている意味が、ないような気がしてきた。

まあ、そういう年代になってきた、ということなんだろうと思います。



与えられた仕事をして食べていければそれでいい、

儲けることは難しいことだからそうは言わないけど、

損をしない商売をしていければいい、というような働き方は、

したくないし、そういう仕事は、今の自分には、意味がないと思う。

お金を稼ぐだけが目的ならば、自分で商売なんてしていない。

ちゃんとした稼ぎがなければ自分たちのお給料は出ないし、

失敗したら、しっかり、その失敗を背負わなければならない。

そんなリスクの高いことをするよりも、人に雇われていたほうが、

どれだけ気が楽かしれない。



やりたいことがあるから、やっているのだ。

それを忘れちゃいかんと思う。