万葉歌に「杉(ギは乙類)」が登場するのは以下の十二例で、神木とみて確かなのは➀~➈である。
➀味酒を 三輪の祝が 忌ふ杉〔忌杉〕 手触れし罪か 君に逢ひ難き(万712)
➁御幣帛取り 神の祝が 鎮斎ふ杉原〔鎮齊杉原〕 燎木伐り 殆しくに 手斧取らえぬ(万1403)
➂三諸の 神の神杉〔神之神須疑〕 已目耳矣得見乍共 寝ねぬ夜ぞ多き(万156)
➃神南備の 神依板に する杉の〔為杉乃〕 念ひも過ぎず 恋の茂きに(万1773)
➄神名備の 三諸の山に 隠蔵ふ杉〔隠蔵杉〕 思ひ過ぎめや 蘿生すまでに(万3228)
➅何時の間も 神さびけるか 香山の 鉾椙が本に〔鉾榲之本尓〕 薜生すまでに(万259)
➆石上 布留の山なる 杉群の〔杉村乃〕 思ひ過ぐべき 君にあらなくに(万422)
➇石上 布留の神杉〔振乃神杉〕 神びにし 吾やさらさら 恋に逢ひにける(万1927)
➈石上 布留の神杉〔振神杉〕 神さびて 恋をも我は 更にするかも(万2417)
➉椙の野に〔椙野尓〕 さ躍る雉 いちしろく 音にしも啼かむ 隠妻かも(万4148)
⑪古の 人の植ゑけむ 杉が枝に〔杉枝〕 霞たなびく 春は来ぬらし(万1814)
⑫わが背子を 大和へ遣りて まつしだす 足柄山の 杉の木の間か〔須疑乃木能末可〕(万3363)
「味酒(ケは乙類)」は「三輪(ミは甲類)」にかかる枕詞である。枕詞は言語遊戯である(注1)。地名の三輪との関連で、瓶の一種の甕(ミは甲類)で酒を醸し、そのまま神に供えたために「神酒」(万3229)と呼ぶようになったからとされる。和名抄では「祭祀具」に、「神酒 日本紀私記に神酒〈美和〉と云ふ。」とある。崇神紀七年二月から八年十二月条にかけて大神神社の縁起が載る。大物主大神を父とし、活玉依媛を母とし、陶津耳の娘である大田田根子をもって祭らせている。大田田根子は、茅渟県の陶邑に見出されている。5世紀に出現した泉北丘陵の陶邑古窯跡群において、須恵器の生産が開始された。渡来人が新技術を伝えている。地名に見える「茅渟県」のチヌとはクロダイのことである。幅広で黒灰色をした須恵器の様子によく似ている。赤い鯛を土師器に譬えての対比であろう。三輪に神酒を捧げるために須恵器の甕を用いている。言葉としては、ミワという音が先にあり、たくまれているような展開となっている。
地名の三輪については、「隠所の 泊瀬の川ゆ 流れ来る …… 御諸が上に …… 帯ばせる 細紋の御帯の ……」(紀97)とあるように、山のまわりを川の水がたわんで、ベルトで腰のところに輪を作るようにまわっていることと関係があると思われていたとわかる。「味酒を 神名火山の 帯にせる 明日香の川の ……」(万3266)とあって、万3228番歌とともに香具山が「三諸の神名備山」であるとされている。都が飛鳥の地へ遷ったために変わっているようである。御諸とは、ミ(接頭語)+モロ(杜、森、盛と同根)、神名備とは、カム(神)+ナ(助詞)+ビ(傍)、ないしは、カム(神)+ナビ(隠る)の意で、いずれも神の依りつく場所の意である。
川が回っているのである。字形が縦に三本のラインのところ、三諸にふさわしく横になりかかり、斜めになって彡となる。山頂からぐるりと回る川へと水が浸み出してくる。ミモロが音の似るミ(水、甲類)+モレ(漏、モ・レの甲乙不明)が連想されたとすると、そんな瓶は甑(コは乙類、キは甲類)である。甑は米などを蒸すための土器で、蒸籠の焼物版である。円筒形から鉢形になっていて、左右に角状の把手が付き、横から見るとあたかも瓶のようであるが、底にいくつか穴が開いており、簀子状のものを敷いて蒸す調理に使った。中国では古くから青銅器の発掘例がある。3~4世紀にかけて朝鮮半島を伝って伝来したとされ、本邦では5世紀に須恵器や土師器の甑が見られる。須恵器技術の伝来と時を同じくして伝えられたものであろう。崇神紀にある「陶津耳」とは、耳のような把手の付いた須恵器、甑の謂いかと推測される。
甑は本邦では橧とも書く。播磨風土記・宍禾郡条に、「阜の形も橧・箕・竃等に似たり。」とある。橧の字は、白川1995.は甑の異文とするが、中国では「橧巣」と使うように、木の枝を積み上げてその上に住むようにした古代の住居のことである。夏暑いから橧に住む。新撰字鏡には、「橧 辞陵反、豕所寝也。草也。己志支」とある。甑が湯気で熱いのと同じで、様子は鳥の巣さながらである。つまり、橧とは、巣+木(キは乙類)、スギである。特に酒造業では甑を使って酒米を蒸し、内部を杉板で覆った麹室のなかで作業する。酒屋の看板の杉玉、いわゆる酒林は杉の葉を束ねたもので、箒状の形をしたものもあった。
左:杉玉(武蔵小山店舗)、中:副葬用の竈形土器(古墳時代、6世紀、葛城市笛吹出土、東博展示品)、右:釜・甑(中国、青銅、後漢、1~2世紀、東博展示品。古代中国の青銅製蒸し器は、脚のついた一体型の甗から、竈仕様で円底の釜と、その上に載せる甑が作られるようになったという)
甑(橧)は、竈の上に水を入れた釜を置き、その上に据えられる。釜は、竈の穴に落ちないように縁が広がった形に作られ、特にハガマ(羽釜)と呼ばれる。甑(橧)の字にある曾の字は、上は蒸籠、下は焜炉の象形である。それは、古墳から出土するミニチュア竈型土器と同じ構成になっている。酒を造るためには、米は通常の煮て炊きあげる方法ではなく、甑(橧)による蒸しが必要となる。柾目の杉材と竹の輪などで作られた蒸籠でも可能だから、橧という字が好んで用いられたのかもしれない。和名抄には、「木器」に、「甑〈甑帯附〉 蒋魴切韻に云はく、甑〈音は勝、古之岐〉は飯を炊ぐ器なりといふ。本草に甑帯灰〈古之幾和良乃波飛〉と云ふ。弁色立成に炊単なりと云ふ。」とある。また、新撰字鏡には、「〓〔木偏に甑〕 己志支」とある。
甑(橧)には、米粒、すなわち、銀舎利が入っている。なかに舎利が入って筒状に高いものは仏舎利塔である。仏塔はツクシの形に似ており、槻の木ともども比喩として用いられていた(注3)。スギナの胞子茎のツクシには、茎を包む羽状の皮があり、ハカマ(袴・鞘)と呼び習わしている。葉が退化したもので硬いから、食するときには下拵えとして取り除かなければならない。五重塔のそれぞれに屋根のある階は層(コは乙類)、一番下の木製のものは裳層という。コシ(層)+キ(着、甲類)の姿になっている。スギナは車のスポークを連ねたような形をしている。別名を接松といい、轂(コは乙類、キは甲類)のようである。甑と轂は姿が似ているから同じくコシキと言うとされている。和名抄に、「轂 説文に云はく、轂〈古禄反、楊氏漢語抄に車乃古之岐と云ひ、俗に筒と云ふ〉は、輻の湊る所なりといふ。」とある。
左:杉(台杉)、中:スギナ、右:法隆寺五重塔(六重に見えるのは裳層があるため)
甑(橧)や層にある曾の字は、カツテ、イムサキとも訓み、時間的に遡ってのことを指す。「過ぎ(ギは乙類)」にし時からスギと関係する。歌中においても「杉」が「過ぎ」や「過ぐ」を導くように使われている。また、スギは常緑の針葉樹でヒノキに似ており、橧の字も檜字によく似ている。よって、ウマサケ、ミワ、ミモロなどという語は、甑(橧)を介しつつ、杉と関連する言葉である。
➀➁例に、神職の祝が「いはふ」とある。斎、忌などと書くイハフは、二礼二拍手一礼のようなおまじないをして良いことがあるようにと祈ることである。神官はイハっているが、歌の作者はイハっておらず、恋に夢中であったりする。祝は、「放る」、「屠る」ことと関係する(注4)。死にまつわる役割を担っている。反対に、恋は生の真っただなかの行為である。相反する点を際立たそうと素材にしているらしい。つまり、底意として、三諸も神南備も、神妙な面持ちの神官によって尤もらしく託けられ、ご大層に有り難がられているに過ぎないとの認識がある。
以上から、三輪においては、杉の木が斎うべき樹木としてふさわしいと認められていたとわかる。語学的、駄洒落的に、類推志向をして得られた結果である。酒の神を祀るとされる大神神社には、やがて杉製の酒樽が多数奉納されるようになった。スサノヲによるヤマタノヲロチ退治と因縁づけられたことにもよるのであろう。なお、三輪山には、須恵器の到来した5世紀をはるかに遡る祭祀遺跡が確認されている。石上神宮と大神神社は、山そのものを御神体として崇めてきた。太古の人は、鉾(鋒)のような山の形を尊いと考えていたようである。最初は、その流れから杉形が好まれ、杉の木に注目が向かっていったかとも思われる。ただ、飛鳥時代の人々の機智はその程度ではとどまらず、三輪山山頂から円周に取り巻く川へと均等に沢ができているさまは、上空から見れば、きっと轂のように見えるであろうと想像したのだろう。山鉾が巡行できるのは、山車に輪の車がついてあるからで、そのからくりの要こそ轂である。したがって、ミ(御)+ワ(輪)と崇め奉られてしかるべきことなのであった。
(注)
(注1)廣岡2005.参照。
(注2)本稿では、カメに「瓶」字を、ミワに「甕」字を常用とする。
(注3)拙稿「斉明天皇の両槻宮は、スサノヲの須賀宮を仏教的に復刻したものである」参照。
(注4)白川1995.626頁。
(引用・参考文献)
廣岡2005. 廣岡義隆『上代言語動態論』塙書房、2005年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
※2012年4月21日稿に2014年4月15日に加筆・訂正し、2025年2月11日に整理してルビ形式とした。
➀味酒を 三輪の祝が 忌ふ杉〔忌杉〕 手触れし罪か 君に逢ひ難き(万712)
➁御幣帛取り 神の祝が 鎮斎ふ杉原〔鎮齊杉原〕 燎木伐り 殆しくに 手斧取らえぬ(万1403)
➂三諸の 神の神杉〔神之神須疑〕 已目耳矣得見乍共 寝ねぬ夜ぞ多き(万156)
➃神南備の 神依板に する杉の〔為杉乃〕 念ひも過ぎず 恋の茂きに(万1773)
➄神名備の 三諸の山に 隠蔵ふ杉〔隠蔵杉〕 思ひ過ぎめや 蘿生すまでに(万3228)
➅何時の間も 神さびけるか 香山の 鉾椙が本に〔鉾榲之本尓〕 薜生すまでに(万259)
➆石上 布留の山なる 杉群の〔杉村乃〕 思ひ過ぐべき 君にあらなくに(万422)
➇石上 布留の神杉〔振乃神杉〕 神びにし 吾やさらさら 恋に逢ひにける(万1927)
➈石上 布留の神杉〔振神杉〕 神さびて 恋をも我は 更にするかも(万2417)
➉椙の野に〔椙野尓〕 さ躍る雉 いちしろく 音にしも啼かむ 隠妻かも(万4148)
⑪古の 人の植ゑけむ 杉が枝に〔杉枝〕 霞たなびく 春は来ぬらし(万1814)
⑫わが背子を 大和へ遣りて まつしだす 足柄山の 杉の木の間か〔須疑乃木能末可〕(万3363)
「味酒(ケは乙類)」は「三輪(ミは甲類)」にかかる枕詞である。枕詞は言語遊戯である(注1)。地名の三輪との関連で、瓶の一種の甕(ミは甲類)で酒を醸し、そのまま神に供えたために「神酒」(万3229)と呼ぶようになったからとされる。和名抄では「祭祀具」に、「神酒 日本紀私記に神酒〈美和〉と云ふ。」とある。崇神紀七年二月から八年十二月条にかけて大神神社の縁起が載る。大物主大神を父とし、活玉依媛を母とし、陶津耳の娘である大田田根子をもって祭らせている。大田田根子は、茅渟県の陶邑に見出されている。5世紀に出現した泉北丘陵の陶邑古窯跡群において、須恵器の生産が開始された。渡来人が新技術を伝えている。地名に見える「茅渟県」のチヌとはクロダイのことである。幅広で黒灰色をした須恵器の様子によく似ている。赤い鯛を土師器に譬えての対比であろう。三輪に神酒を捧げるために須恵器の甕を用いている。言葉としては、ミワという音が先にあり、たくまれているような展開となっている。
地名の三輪については、「隠所の 泊瀬の川ゆ 流れ来る …… 御諸が上に …… 帯ばせる 細紋の御帯の ……」(紀97)とあるように、山のまわりを川の水がたわんで、ベルトで腰のところに輪を作るようにまわっていることと関係があると思われていたとわかる。「味酒を 神名火山の 帯にせる 明日香の川の ……」(万3266)とあって、万3228番歌とともに香具山が「三諸の神名備山」であるとされている。都が飛鳥の地へ遷ったために変わっているようである。御諸とは、ミ(接頭語)+モロ(杜、森、盛と同根)、神名備とは、カム(神)+ナ(助詞)+ビ(傍)、ないしは、カム(神)+ナビ(隠る)の意で、いずれも神の依りつく場所の意である。
川が回っているのである。字形が縦に三本のラインのところ、三諸にふさわしく横になりかかり、斜めになって彡となる。山頂からぐるりと回る川へと水が浸み出してくる。ミモロが音の似るミ(水、甲類)+モレ(漏、モ・レの甲乙不明)が連想されたとすると、そんな瓶は甑(コは乙類、キは甲類)である。甑は米などを蒸すための土器で、蒸籠の焼物版である。円筒形から鉢形になっていて、左右に角状の把手が付き、横から見るとあたかも瓶のようであるが、底にいくつか穴が開いており、簀子状のものを敷いて蒸す調理に使った。中国では古くから青銅器の発掘例がある。3~4世紀にかけて朝鮮半島を伝って伝来したとされ、本邦では5世紀に須恵器や土師器の甑が見られる。須恵器技術の伝来と時を同じくして伝えられたものであろう。崇神紀にある「陶津耳」とは、耳のような把手の付いた須恵器、甑の謂いかと推測される。
甑は本邦では橧とも書く。播磨風土記・宍禾郡条に、「阜の形も橧・箕・竃等に似たり。」とある。橧の字は、白川1995.は甑の異文とするが、中国では「橧巣」と使うように、木の枝を積み上げてその上に住むようにした古代の住居のことである。夏暑いから橧に住む。新撰字鏡には、「橧 辞陵反、豕所寝也。草也。己志支」とある。甑が湯気で熱いのと同じで、様子は鳥の巣さながらである。つまり、橧とは、巣+木(キは乙類)、スギである。特に酒造業では甑を使って酒米を蒸し、内部を杉板で覆った麹室のなかで作業する。酒屋の看板の杉玉、いわゆる酒林は杉の葉を束ねたもので、箒状の形をしたものもあった。



甑(橧)は、竈の上に水を入れた釜を置き、その上に据えられる。釜は、竈の穴に落ちないように縁が広がった形に作られ、特にハガマ(羽釜)と呼ばれる。甑(橧)の字にある曾の字は、上は蒸籠、下は焜炉の象形である。それは、古墳から出土するミニチュア竈型土器と同じ構成になっている。酒を造るためには、米は通常の煮て炊きあげる方法ではなく、甑(橧)による蒸しが必要となる。柾目の杉材と竹の輪などで作られた蒸籠でも可能だから、橧という字が好んで用いられたのかもしれない。和名抄には、「木器」に、「甑〈甑帯附〉 蒋魴切韻に云はく、甑〈音は勝、古之岐〉は飯を炊ぐ器なりといふ。本草に甑帯灰〈古之幾和良乃波飛〉と云ふ。弁色立成に炊単なりと云ふ。」とある。また、新撰字鏡には、「〓〔木偏に甑〕 己志支」とある。
甑(橧)には、米粒、すなわち、銀舎利が入っている。なかに舎利が入って筒状に高いものは仏舎利塔である。仏塔はツクシの形に似ており、槻の木ともども比喩として用いられていた(注3)。スギナの胞子茎のツクシには、茎を包む羽状の皮があり、ハカマ(袴・鞘)と呼び習わしている。葉が退化したもので硬いから、食するときには下拵えとして取り除かなければならない。五重塔のそれぞれに屋根のある階は層(コは乙類)、一番下の木製のものは裳層という。コシ(層)+キ(着、甲類)の姿になっている。スギナは車のスポークを連ねたような形をしている。別名を接松といい、轂(コは乙類、キは甲類)のようである。甑と轂は姿が似ているから同じくコシキと言うとされている。和名抄に、「轂 説文に云はく、轂〈古禄反、楊氏漢語抄に車乃古之岐と云ひ、俗に筒と云ふ〉は、輻の湊る所なりといふ。」とある。



甑(橧)や層にある曾の字は、カツテ、イムサキとも訓み、時間的に遡ってのことを指す。「過ぎ(ギは乙類)」にし時からスギと関係する。歌中においても「杉」が「過ぎ」や「過ぐ」を導くように使われている。また、スギは常緑の針葉樹でヒノキに似ており、橧の字も檜字によく似ている。よって、ウマサケ、ミワ、ミモロなどという語は、甑(橧)を介しつつ、杉と関連する言葉である。
➀➁例に、神職の祝が「いはふ」とある。斎、忌などと書くイハフは、二礼二拍手一礼のようなおまじないをして良いことがあるようにと祈ることである。神官はイハっているが、歌の作者はイハっておらず、恋に夢中であったりする。祝は、「放る」、「屠る」ことと関係する(注4)。死にまつわる役割を担っている。反対に、恋は生の真っただなかの行為である。相反する点を際立たそうと素材にしているらしい。つまり、底意として、三諸も神南備も、神妙な面持ちの神官によって尤もらしく託けられ、ご大層に有り難がられているに過ぎないとの認識がある。
以上から、三輪においては、杉の木が斎うべき樹木としてふさわしいと認められていたとわかる。語学的、駄洒落的に、類推志向をして得られた結果である。酒の神を祀るとされる大神神社には、やがて杉製の酒樽が多数奉納されるようになった。スサノヲによるヤマタノヲロチ退治と因縁づけられたことにもよるのであろう。なお、三輪山には、須恵器の到来した5世紀をはるかに遡る祭祀遺跡が確認されている。石上神宮と大神神社は、山そのものを御神体として崇めてきた。太古の人は、鉾(鋒)のような山の形を尊いと考えていたようである。最初は、その流れから杉形が好まれ、杉の木に注目が向かっていったかとも思われる。ただ、飛鳥時代の人々の機智はその程度ではとどまらず、三輪山山頂から円周に取り巻く川へと均等に沢ができているさまは、上空から見れば、きっと轂のように見えるであろうと想像したのだろう。山鉾が巡行できるのは、山車に輪の車がついてあるからで、そのからくりの要こそ轂である。したがって、ミ(御)+ワ(輪)と崇め奉られてしかるべきことなのであった。
(注)
(注1)廣岡2005.参照。
(注2)本稿では、カメに「瓶」字を、ミワに「甕」字を常用とする。
(注3)拙稿「斉明天皇の両槻宮は、スサノヲの須賀宮を仏教的に復刻したものである」参照。
(注4)白川1995.626頁。
(引用・参考文献)
廣岡2005. 廣岡義隆『上代言語動態論』塙書房、2005年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
※2012年4月21日稿に2014年4月15日に加筆・訂正し、2025年2月11日に整理してルビ形式とした。