シラス嫌いなスサノヲ
スサノヲ(須佐之男命、素戔嗚尊(すさのをのみこと))は、イザナキ(伊耶那岐命、伊弉諾尊(いざなきのみこと))の禊ぎによって生まれた。そして、親の命令に従わずに泣いてばかりいた。
次に建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)に詔(の)りたまはく、「汝(いまし)命(みこと)は海原(うなはら)を知(し)らせ」と事依さしき。故、各(おのもおのも)依さし賜ひし命の随(まにま)に知らし看(め)す中に、速須佐之男命、命(よ)させし国を治(し)らさずて、八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)に至るまで啼きいさちき。其の泣く状(さま)は、青山は枯山(からやま)如(な)す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。是を以て、悪しき神の音(こゑ)狭蝿(さばへ)如す皆満ち、万(よろづ)の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)る。故、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何由以(なにとかも)、汝(いまし)は事依させし国を治(し)らさずて哭きいさちる」とのりたまふ。爾くして、答へ白さく、「僕(やつかれ)は、妣(はは)の国、根之堅洲国(ねのかたすくに)に罷らむと欲ふが故に哭く」とまをす。爾くして、伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿怒(いか)りて詔りたまはく、「然らば、汝は此の国に住むべくあらず」とのりたまふ。乃ち、神やらひにやらひ賜ひき。故、其の伊耶那岐の大神は、淡海(あふみ)の多賀(たが)に坐すぞ。(記上)
次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生みまつります。一書に云はく、神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)、速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)といふ。此の神、勇(いさみ)悍(たけ)くして安忍(いぶり)なること有り。且(また)常に哭き泣(いさ)つるを以て行(わざ)とす。故、国内(くにのうち)の人民(ひとくさ)をして、多(さは)に以て夭折(あからさまにし)なしむ。復使(また)、青山を枯(からやま)に変(な)す。故、其の父母(かぞいろは)の二(ふたはしら)の神、素戔嗚尊に勅(ことよさ)したまはく、「汝(いまし)、甚だ無道(あづきな)し。以て宇宙(あめのした)に君臨(きみ)たるべからず。固(まこと)に当に遠く根国(ねのくに)に適(い)ね」とのたまひて、遂に逐(やら)ひき。(神代紀第五段本文)
スサノヲがなぜ泣くのかについてはこれまでにも様々に議論されてきた。例えば、水林2001.は、「純粋無垢な少年が母を思うて、ずっと泣き続けた」(414頁)、西郷1967.は、「根の国の罪の荒ぶる化身であった」(66頁)から、佐藤2011.は、「〈神の子〉でありながら自身に依り憑いてくるもの神を対照的に捉えられずにいることがスサノヲの繊細で無垢な意識を詰屈させ、詰屈のいきつくところが号泣だった」(91頁)などとある。結論ありき説が横行している(注1)。
先行研究は錯綜をきわめつつ、大きな理屈によって納得を勝ち取ろうと試みられている。スサノヲの存在自体を問題とする捉え方があるが、それでは何のために話として登場しているか問われることになる。どういう役割を担って余りある話なのか、的確な解が求められる。そして、記紀の話にスサノヲが泣くことについて、なぜ泣くのか、と、どのように泣くのか、の二点が絡み合いながら話が構成されていると考えられる。この両者を別箇にしか扱えていないあいだは、この逸話は理解されていないものといえる(注2)。
記の三貴子分治の話に、イザナキは、アマテラスには高天原(たかまのはら)を、ツクヨミには夜之食国(よるのをすくに)を、スサノヲには海原(うなはら)を「知らせ」と「事依し」ている。紀では各書によって少しずつ違いがある。大系本日本書紀は表に整理する(注3)。
(大系本日本書紀49頁を横書きに変換)
紀一書第一では、「故、下して根国を治らしむ。」とある。一書第十一には、「……曰はく、『……素戔嗚尊は、滄海之原(あをうなはら)を御(し)らすべし』とのたまふ。」とある。一書第六では、「……曰はく、『……素戔嗚尊は、以て天下(あめのした)を治(し)らすべし』とのたまふ。是の時に、素戔嗚尊、年已に長(お)いたり。復(また)八握鬚髯(やつかひげ)生ひたり。然れども天下を治らさずして、常に啼き泣(いさ)ち恚恨(ふつく)む。故、伊奘諾尊問ひて曰はく、『汝(いまし)は何の故にか恒に如此(かく)啼く』とのたまふ。対へて曰(まを)したまはく、『吾(やつかれ)は母(いろはのみこと)に根国に従はむと欲ひて、只に泣かくのみ」とまをしたまふ。伊奘諾尊悪(にく)みて曰はく、「情(こころ)の任(まにま)に行(い)ね』とのたまひて、乃ち逐(やらひや)りき。」とある。この一書第六は、記同様に泣きが入った記述になっている。
「治らす(御らす)」が問題である(注4)。シラスは、「領(し)る」に上代特有の尊敬の助動詞が付いた形である。白川1995.に、「「領る」ことは尊貴の人のなすところであるから、「令知」という敬語的な形の語がある。」(405頁)とある。「領る」は「知る」と同根の言葉である。同じく、「「知」は神に約したことであり、そのことが行為の基本にあるので、ことを主宰し、管掌し、支配する意となる。……知事・知県はその用法である。「知る」ことが「領る」ことであり、「知らす」ことであるという国語の語義は、まさに知の字義の展開と対応するものである。……領は「うしはく」ともよむ。……「うしはく」は直接的な支配を意味し、「しる」はより高次の統治のしかたをいう語である。「領」にその両訓がある。……「知る」から「領る」となったのか、「領る」から「知る」となったのか、その両説に分かれているが、漢字の字義においても、知・領にいずれも「知る」意があり、また支配する意がある。……神意を承けてこれを「領き」知ることを、領という。その神意に本づいて、これを施行することが「領す」ということの実体であった。ゆえに領はまた支配を意味する。知は神前に誓い、その誓約に基づいてこれを施行することであるから、知と領とはその方法は異なるが、神意によってことを行なう意味において同じである。」(405頁)とある。国語、漢語とが対応している言葉である。知らなければ統治などできないし、全体的に所有するように理解することが知ることである。
スサノヲはシラスクニ(治国)をせずにネノカタスクニ(根之堅洲国)へ行くことを望んでいる。シラスという言葉には、時代劇に見るお白州がある。まさに川の中州のように小石敷きである。罪人が引っ立てられて裁きを言い渡される場である。スサノヲは自らが裁かれる身の上であることをすでに知っていて、シラスクニには居たくないと考えている。また、シラスにはシラス干しの意がある。イワシ類、イカナゴ、アユの稚魚を含め、それを生や釜揚げしたものをシラスと言う。スサノヲは食べ物に好き嫌いがあったらしく、シラスは嫌いであったようである。
左:白州(川の中州)シラス、右:釜上げシラス(イワシの稚魚)
小魚のシラスという呼び名がいつからあったか不明である。古代から海産の小魚を都で大量消費していたとは考えにくい。イワシの丸干しの類は正倉院文書にも安価な食べ物として支給された記録がある。一方、アユの稚魚のことはヒヲと呼ばれ、シラスとしても食されていたようである。本朝食鑑に、「氷魚〈訓は比乎(ひを)〉 釈名、白子(シラス)〈近俗〉、……」とある。新撰字鏡に、「鱦 上字食陵反、比乎(ひを)」、和名抄に「𩵖 考声切韻に云はく、𩵖〈音は小、今案ふるに、俗に氷魚と云ふは是れ也、初学記、冬事の対に氷魚に霜鶴の文有りと雖も、而るに其の義を尋ぬるは非也とかむがふ〉は白く小さき魚の名也、鮊魚(しろを)に似て長さ一二寸の者也といふ。」、万3839番歌に「我が背子が 犢鼻(たふさき)にする つぶれ石の 吉野の山に 氷魚(ひを)そ懸れる〈懸有、反して佐家礼流(さけれる〉と云ふ〉」、正倉院文書宝字六年に「一、先日佐官大夫仰遣氷魚、依不所取、不得買進上、若不此他物求進上哉、……」、延喜式・内膳司式に「山城国、近江国氷魚網代各一処、其の氷魚九月に始めて十二月三十日迄貢ぐ。」とある。川に網を仕掛けておけば容易に大量捕獲でき、都へも供給されていたのであろう(注5)。
氷魚はヒヲ(ヒは甲類)である。ヲは魚(いを、うを)の意である。甲類のヒは日(ひ、ヒは甲類)に同じ音である。日魚のことをスサノヲは嫌っている。スサノヲはモグラをモデルに造形されている(注6)。モグラは日光を嫌う。だからシラスを嫌った。川の州の白州も水に浸かりやすく窒息してしまうから嫌い、小高いところ、堅い地面のところに巣を作る習性がある。シラスクニは苦手でカタスクニが得意なことは、アマテラスの石屋隠りを経た後に記述されている。「是に八百万の神、共に議(はか)りて、速須佐之男命に千位置戸(ちくらおきと)を負ほせ、亦、鬢(ひげ)と手足の爪を切り、祓へしめて、神やらひやらひき。」(記上)とある。刑罰の方法に鬢のひげと手足の爪の切除が行われている。モグラはぬかるんだ泥に苦しみ堅い地を好む。モグラのヒゲの様に的確な「鬢」字が用いられている。
無文字文化の口語の知恵、頓智であり、その機知こそが人々の深い思索の糧であった。それはまさに、収穫された食糧でありつつ、それを種としてさらなる収穫へとつないでいくもので、頓智という知恵に見られる円環的展開に相似している。無文字文化の特性である頓智とは、言語活動の永久機関である。
スサノヲはシラスことをせず、そのときの態度は、記に、「八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)に至るまで啼きいさちき。」、紀本文に、「且(また)常に哭き泣(いさ)つるを以て行(わざ)とす。」、一書第六には、「常に啼き泣(いさ)ち恚恨(ふつく)む。」とある。イサチル、イサツルとは、激しく泣くことであるが、イサという語は、拒絶する際に知らない知らないといってこばむことを表す。万葉集の用字に、「不知」の字をもってイサと訓む例として、感動詞「イサ〔不知〕」(万2710)、動詞「いさよふ〔不知代経・不知世経・不知夜歴・不知夜経〕」(万264・1008・1071・1084)、固有名詞「いさやがは〔不知哉川・不知也河〕」(万487・2710)がある。つまり、治らさないときに泣いて嫌だと拒む仕方が、知らない知らないの一点張りであった。知らないから領らないということである。そのうえで、ただ単に母がいる「根国」へ行きたいから泣いていると答えている。ならば勝手にしろということで追放されている。
すなわち、解任されて追放されたとか、統治の対象が「天下」から「根国」へと変ったということではない(注7)。すべてはシラス問題なのであり、スサノヲは知らない知らないと泣いてばかりで、「海原」(記)、「滄海原」(紀一書第十一)、「天下」(紀一書第六)のことを知ろうとしなかったとわかる。イザナキに命じられた治らすべき場所が問題なのではなく、知らない知らないという泣き方が主題としてあげられている。口語体ならではのやりとりが展開されている。
記の「海原」を「知ら」すことや、紀一書第十一の「滄海之原」を「御らす」ことは、実態として確かではない。一書第十一に話の展開はない。それでも海とはどういうものか、海は広くて大きいものだと知ることがシラス(治・御・領)ことの出発点であることに違いはない。それに対して、「速須佐之男命、不レ治二所レ命之国一而」とあるから、「海原」について知ろうとしなかった。見ればわかるのだが見なかった。海辺へ出ることをしなかった。海に向き合わずとも塩分を含む涙を目にしていて代用できると駄々をこねている。結果、湖畔での問答になり、イザナキは最終的に淡海(近江)の多賀に坐すことになっている。うまくできた話である。琵琶湖近くに鎮座しているのはスサノヲが海にまで足を延ばさなかったことを表している。そして、多賀(たが)という音は、「違(たが)ふ」という語の語幹に同じである。話が食い違っていると言いたい。ただ、ここにいう話の違背は、実はもっと根深いところにあるのであろう。涙の訳を知る必要がある。
スサノヲの涙の訳
「青山如二枯山一泣枯、河海者悉泣乾。」と「其泣状」を表している。思想大系本古事記に、「泣き方のすさまじさの形容である」(328頁)とされている。泣く様子は、青々とした山なら枯れ山になるように泣き枯らすもので、河や海ならすっかり泣き乾し切るようであった、というものである。いわゆる、涙が涸れるほどに泣く、という泣きの程度を表している。こういった表現は上代に特有の諧謔を伴っている。涙が枯れたら泣いていないように見える。目の充血も時間がたてば収まる。そして、「是以、悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」となっている。「是以」とあるから、涙が涸れるほどに泣いた結果として悪いことが生じている。「爾」と接続しているのであれば、「不レ治二所レ命之国一而……啼伊佐知伎也。」ことが良くないことだから、悪いことが起こったと考えられてふつうなのであるが、悪いことが起こったのは、泣く状が涙が涸れるほどだった(=「是」)から(=「以」)であると述べられている。泣く状が異常なことが状況悪化の原因とされている。
ナクという語は、古典語基礎事典に、「①主に「泣く」と書く。人が悲哀・苦痛・怒り・感動などの感情により、涙を流し声をあげて訴える。……②主に「鳴く」と書く。鳥・虫・獣などが声を出す。」(876頁、この項、西郷喜久子)とある。①の義は記に、「泣」・「哭」・「啼」の例は、「泣」が20例、「哭」が18例、「啼」が1例、歌謡のなかに6例が確認される。②の義の鳥獣のナク(「鳴」)は除外している。新撰字鏡に、「噭 古弔反、咷也、佐介不(さけぶ)、又奈久(なく)」などとある。泣いたことによって相手から怒られているケースは、スサノヲのナク(「泣」3例、「哭」4例、「啼」1例)に限られている。スサノヲ以外の例を挙げる。
乃匍二-匐御枕方一、匍二-匐御足方一而、哭時、於二御涙一所レ成神、……名泣沢女神。(記上、イザナキがイザナミが亡くしている。)
……老夫与二老女一二人在而、童女[櫛名田比売]置レ中而泣。……亦問二汝哭由者何一。答下白言、我之女者、自レ本在二八稚女一。是高志之八俣遠呂智、毎レ年来喫、今其可レ来時故泣。(記上、クシナダヒメがヤマタノヲロチに襲われることを怖れている。)
故其菟、……痛苦泣伏者、最後之来大穴牟遅神、見二其菟一言二何由汝泣伏一。菟答言……因レ此泣患者、……(記上、イナバノシロウサギが怪我した傷口に塩が沁みて痛んでいる。)
爾其[大穴牟遅神]御祖命哭患而、参二‐上于一レ天、……爾亦其御祖命、哭乍求者、……(記上、ミオヤノミコトがオホアナムヂを亡くしている。)
於レ是其妻須世理毘売者、持二喪具一而哭来、其父大神者、思二已死訖一、出二-立其野一。(記上、スセリビメが夫を亡くしたと思っている。)
……比気登理能 和賀比気伊那婆 那迦士登波(泣かじとは) 那波伊布登母 夜麻登能 比登母登須須岐 宇那加夫斯 那賀那加佐麻久(汝(な)が泣かさまく) 阿佐阿米能 疑理邇多々牟叙 ……(記上、記4歌謡、一人になると寂しくて泣くであろうという心情を表している。)
故、天若日子之妻、下照比売之哭声、与レ風響到レ天。於レ是在レ天、天若日子之父、天津国玉神、及其妻子聞而、降来哭悲、乃於其処作二喪屋一而、……雉為二哭女一、如レ此行定而、日八日夜八夜遊也。此時、阿遅志貴高日子根神到而、弔二天若日子之喪一時、 ……皆哭云、我子者不レ死有祁理。我君者、不レ死坐祁理云、取二‐懸手足一而哭悲也。(記上、シタデルヒメがアメワカヒコを亡くして悲しみ、葬儀に「哭女」がおり、参列したアジシキタカヒコネの容貌が似ていたので生きていたと勘違いして感動している。)
於レ是其弟、泣患居二海辺一之時、塩椎神来問曰、何虚空津日高之泣患所由。答言、我与レ兄易レ鉤而、失二其鉤一。是乞二其鉤一故、雖レ償二多鉤一不レ受、云二猶欲一レ得二其本鉤一。故泣患之。(記上、ホヲリノミコトが失くした鉤(ち)を見つけられずに途方に暮れている。)
爾其后以二紐小刀一、為レ刺二其天皇之御頸一、三度挙而、不レ忍二哀情一、不レ能二刺レ頸一而、泣涙落三-溢於二御面一。乃天皇驚起、問二其后一曰、……泣涙落、沾レ於二御面一、……(垂仁記、后が実兄から依頼を受けた夫・垂仁天皇の殺人を躊躇い、心の葛藤と緊張状態に置かれている。)
……[多遅摩毛理]献二-置天皇之御陵戸一而、二其木実一、叫哭以白、常世国之登岐士玖能迦玖能木実持参上侍、遂叫哭死也。(垂仁記、垂仁天皇を亡くして狂乱状態になっている。)
……因レ此思惟、猶所レ思二‐看吾既死一焉。患泣罷時、倭比売命賜二草那芸剣一、亦賜二御囊一而、詔下若有二急事一、解中茲囊口上。(景行記、ヤマトタケルが熊襲・出雲征伐後にさらに東方十二道征討を命じられて任務が過酷すぎると嘆いている。)
於レ是、坐レ倭后等及御子等、諸下到而、作二御陵一、即匍二-匐廻其地之那豆岐田一而、哭為レ歌曰、……於レ是化二八尋白智鳥一、翔レ天而、向レ浜飛行。爾其后及御子等、於二其小竹之苅杙一、雖二足䠊破一、忘二其痛一以哭追。(景行記、ヤマトタケルが亡くなり、遺族が葬送儀礼の末、白ち鳥となって飛ぶのを我を忘れて追いかけている。)
於レ是、大雀命与レ宇遅能和紀郎子一二柱、各譲二天下一之間、海人貢二大贄一。爾兄辞令レ貢レ於レ弟、弟辞令レ貢レ於レ兄、相譲之間、既経二多日一。如レ此相譲非二一二時一。故、海人既疲二往還一而泣也。故諺曰下海人乎、因二己物一而泣上也。(応神記、位を譲り合うために、海人が大贄運びの往還に疲れ果てている。)
如レ此令レ詛、置三於二烟上一。是以其兄[秋山之下氷壮夫]、八年之間、于萎病枯。故其兄患泣、請二其御祖者一、即令レ返二其詛戸一。(応神記、アキヤマノシタヒオトコが呪詛を受けて憔悴している。)
……和賀登布伊毛袁 斯多那岐爾(下泣きに) 和賀那久都麻袁(我が泣く妻を) 許存許曾婆 夜須久波陀布礼(允恭記、記78歌謡、密通した同母妹の心情を表している。)
阿麻陀牟 加流乃袁登売 伊多那加婆(甚(いた)泣かば) 比登斯理奴倍志 波佐能夜麻能 波斗能 斯多那岐爾那久(下泣きに泣く)(允恭記、同上。)
……爾赤猪子之泣涙、悉湿二其所レ服之丹摺袖一。(雄略記、婚約後果されずに放置され年老いて歌のやりとりをした時に感極まっている。)
爾即小楯連聞驚而、自レ床堕転而、追二-出其室人等一、其二柱王子坐二左右膝上一泣悲而、集二人民一作二仮宮一、坐二-置其仮宮一而、貢二-上駅使一。(清寧記、二王の艱難辛苦に耐えて身を隠していたのを見つけて感極まっている。)
歌謡には、「夜麻志呂能 都々紀能美夜邇 母能麻袁須 阿賀勢能岐美波 那美多具麻志母(涙(なみた)ぐましも)」(仁徳記、記62歌謡)の例もある。奏上しようとしては会えずに雨に打たれて衣の色まで変わってしまった兄のことを言っている。
以上のナク(泣・哭・啼)の例は至ってふつうである。死別の悲しみ、襲われることの恐怖、傷の痛み、死んだ者が生きていたかとの感激、絶望感、心の葛藤、死を受け止めきれない錯乱状態、疲労と徒労感、神経衰弱、積年の思いの発露、つらかっただろうとの感情移入から泣いている。歌謡の場合には、相手の心情を察して歌うことをしている。悲しい、つらい、寂しい、苦しい、痛い、といった精神状態に誘発されたものである。ナクということは、原初的にはそういうものとして、それが当たり前のこととして捉えられていたであろう。
年を長じても子どものように泣いていた例は垂仁紀に見える。誉津別皇子(ほむつわけのみこ)のことである。天皇は群卿に諮問している。「誉津別王(ほむつわけのみこ)は、是(これ)生年(うまれのとし)既に三十(みそとせ)、八掬髯鬚(やつかひげ)むすまでに、猶し泣(いさ)つること児(わかご)の如し。常に言(まことと)はざること、何由ぞ。」(垂仁紀二十三年九月)とある。「言(まことと)ふ」(「真事(まこと)とふ」(垂仁記))とは、ふつうに言葉を話すことである。三十歳になってヒゲがもじゃもじゃになっても幼子のように泣いて知らない知らないを続けており、ふつうに話すことがないのはなぜなのか、と問うている。その際に、スサノヲのときのように、「悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」(記上)といった事態は出来していない。古代にナクこと自体が忌み嫌われていたわけではない。 垂仁天皇は、誉津別王のヒゲ&イサツル&言語障害、に関して尋ねている(注8)。一方、スサノヲの場合、ヒゲ&ナキイサツル、までは同様であるが、言語障害があったわけではない。「僕者、欲レ罷二妣国根之堅洲国一故哭。」ときちんと答えている。泣いてばかりで知らない知らないを繰り返されたら、言葉が話せないからと困ってしまうのが筋である。ところが、聞いてみたところ、言い訳なのか本心なのか、言葉としてきちんと答えている。自分は幼子だから泣くのだと言うために、「妣(はは)」という言葉まで用い、自己意識の確立していることを露顕させている。説文に、「妣 歿母也、女に从ひ比声」とある。これがイザナミのことを指すか議論があるが、そのニュアンスを込めたスサノヲの発話であろう。いずれにせよ、甘ったれた様を表している。会話が成立しないと仮定していたところ、十分な発語が行われた。これが大問題である。
スサノヲの「泣き」は嘘泣き、作り泣きであった。嘘泣き、作り泣きをして、まるで発達障害でもあるかのように装ったスサノヲに対して、イザナキは「大忿怒」して、「神夜良比爾夜良比賜也」ということになった。ナクことにかけては、イザナキのほうがよく知っているはずである。イザ(去来)+ナキ(泣)と名に負っている。辛いことがあったらさあ泣くぞ、と身構えているほどに熟知している。同じように辛い気持ちがあると思っていたらそうではなかった。すっかり騙されていたのである。「其泣状者、青山如二枯山一泣枯、河海者悉泣乾。」とあったのに、涙の涸れるほどの号泣はすべてお芝居であった。最初から涙腺に涙はなかったのである。だから、この文章に、「是以、悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」と後続している。
社会問題としての嘘泣き
人を欺くことを意図して嘘をつくことは、社会に害悪を及ぼす。現代に同じである。信用の集積で世の中は構成される。嘘をつかれると社会を存立させている根幹たる信用が置けなくなる。嘘つきが横行、蔓延したら、いちいち確認しなければならず、その作業に追われて社会は機能していかない。今日的な課題に特殊詐欺がある。事件はほとんど嘘の電話に始まる。息子を騙る人物からお金を用意してほしいと懇願される。まんまと引っかかってしまうのは、嘘、ふり、騙り、ハッタリが、会話(音声言語)においてとり行われるからである。劇場型と呼ばれるタイプもあるが、スサノヲは一人芝居をしている。記録に残らない形にするのは、犯人が知られないための思惑であると同時に、発話という生々しさが人間の本質に迫っているからでもある。言葉を話すこと、それが人間の条件である。
無文字社会であった古代において、嘘はさらに質が悪いものであっただろう。文字がないと証文が取れない。嘘をつかれたらつかれっぱなしである。一対一で嘘をつかれた時、告発できても立証は難しい。今日でもそのために、メモや録音、ドライブレコーダー、防犯カメラなど記録を残しておくようにアドバイスされる。この記録というものが無文字時代に皆無である。できることは神頼みである。神さまとしても扱いに困り、嘘つきは永久追放、「神やらひにやらふ」ばかりである。世界の無秩序化について、「悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」と表現している。嘘、ふり、騙り、ハッタリに由来している。世界が無秩序化する危険性は、安定を乱すことを試みる狂信的で破滅的な過激派組織よりも、構成員の道徳の不在にこそ潜んでいる。
スサノヲは涙も涸れんばかりに泣きじゃくっているように見えた。どういうわけか悪いこと、妖が起こってきた。変だなあと思い、イザナキはスサノヲに聞いてみた。するとスサノヲは屁理屈を並べることができた。そして、「妣国、根之堅州国」に行きたいから泣いているのだと説明してきた。嘘つきの常習犯、確信犯ならではの冷静さである。海までは遠くて行きたくない、あるいは潮風や塩気が苦手だから行かない、それを正当化するために「妣国、根之堅州国」(注9)を持ち出している。涙が涸れんばかりの泣きじゃくりに感情はこもっておらず、最初から涙など出ていなかったと知れた。ナク(啼・泣・哭)という行為と、ナクという言葉の本来持つべき意味合いとが合致していない。延々と泣く演技をしていた。印象操作が巧みなマニピュレーターである(注10)。
言葉と事柄とが一致しないことを上代の人は極端に嫌った。言葉と事柄はイコールでなければならないと考えていた。筆者は巷間に言われるのとは少し違う意味で、それを言霊信仰と呼んでいる(注11)。あえて一致しない例は記に見える。
故、大毘古命(おほびこのみこと)、高志国(こしのくに)に罷り往く時に、腰裳(こしも)を服(き)たる少女(をとめ)、山代の幣羅坂(へらさか)に立ちて歌曰(うた)ひしく、
御真木入日子(みまきいりびこ)はや 御真木入日子はや 己(おの)が緒を 盗み弑(し)せむと 後(しり)つ戸よ い行(ゆ)き違(たが)ひ 前つ戸よ い行き違ひ 窺(うかか)はく 知らにと 御真木入日子はや(記22)
とうたひき。是に、大毘古命、怪(あや)しと思ひて、馬を返して其の少女に問ひて曰く、「汝(な)が謂へる言(こと)は何の言ぞ」といふ。爾に少女答へて曰く、「吾(あ)は言ふこと勿し。唯(ただ)歌詠(うた)ひつらくのみ」といひて、即ち其の所如(ゆくへ)も見えず忽ち失せぬ。(崇神記)
山代の幣羅坂に現れた少女は、「言」っていない、「歌詠」しているだけだと断っている。コトを言うとなると、言(こと)=事(こと)であるとする言霊信仰の時代においては、根拠から正しいことが求められる。彼女は、歌が勝手に口を突いて出てきただけで言葉ではない、だから歌詞の内容について責任は負えないと断っている。
人間は泣きながらこの世に生まれてくる。その後ずっと泣きっぱなしとなれば、それは誉津別王のように障害があるとみなされるものである。他方、スサノヲ側からすれば、騙すのが容易な世に生まれて三十年(?)がかりの泣き芝居を行っている。紀本文に、「且常以二哭泣一為レ行。」とあり、常日頃からのスサノヲの「行(わざ)」(technic)であるとしている。嘘つきの常習者は、嘘をつくことがいけないとの自覚を持たない。嘘をつく人とは平気で嘘をつく人である。「平気で」という形容詞がこれほど活躍する機会もなかなかない。ナク際に通常帯びるはずの“悲しい”という感情についてスサノヲは関知しない(注12)。時代を超えて理解できることであるが、無感情の人間に対し感情的になることはストレスばかり嵩じさせる。何が悪いのかと開き直られたら「大忿怒」するばかりで、「不レ可レ住二此国一」、「神夜良比爾夜良比賜也。」と粛々と処分を下すしかないであろう。これに続く天照大御神との「うけひ」の場面は、詐欺師に弁論の機会を与えるとどうなるのかという側面を持っている。
嘘泣き、作り泣きには、一度だけのナクという点でも許せないものがある。それを長年スサノヲは続けてきた。感情の伴わない行為が継続できるとは、感情の不感症状態が続いていること、人としての心の未発達を意味する。犯罪心理学では、そのように人間らしい心を持たず、残忍な犯罪を平気で犯すことについて、正常な人格の変異、パーソナリティ障害として扱う。社会的規範意識の欠如は、ある種の発達障害であり、K・シュナイダーの定義では、人間性欠落者(情性欠如者)という分類に入る。思想史の見地からすれば、藤田1998.の指摘する「人間の基本的徳性(友愛とか他人をかばう義侠心とか人や物との相互性とかいった徳性)を蹂躙するものは、それは人類世界の犯罪者(それは必ずしも法律違反と同じではありません)であって、「非行」や「不良」と一緒に出来ない筈です。」(437頁)と同等のことであろう。これは取り返しのつかないことで、“再教育”や“更生”といったことで変えられるものではない。この箇所では、そういう“心ない”者の典型として、スサノヲは描出されている(注13)。
以上、スサノヲが泣くことについて、なぜ泣くのか、と、どのように泣くのか、の二点について、両者が渾然一体となった言説であることを考察した。嘘泣き、作り泣きに尽きる。スサノヲのお芝居である。スサノヲというキャラクターは嘘つきの常習者で、それが悪いことであるという規範意識に欠けるモラルのない者である。記では次の段で、スサノヲが天上へ来ると聞いて、天照大御神は身構えている。
故是に、速須佐之男命の言(い)はく、「然らば、天照大御神に請(まを)して罷らむ」といひて、乃ち天に参ゐ上る時に、山川悉に動(とよ)み、国土(くにつち)皆震ひき。爾くして、天照大御神、聞き驚きて詔はく、「我がなせの命(みこと)の上り来る由は、必ず善き心ならじ。我が国を奪はむと欲へらくのみ」とのりたまひて、……(記上)
スサノヲが来る前から何もしていないのに警戒しているのは、嘘つきと悪評が立っており、信用が置けないと思っているからであろう。平気で嘘をつくことに振り回された話がいわゆる「うけひ」の話である。さらに話の続きとしてスサノヲは出雲国へ行くことになるが、それが地誌としてのイヅモではない点(注14)も、“嘘”の話の展開なのだから“嘘”の話、“作り”話であると了解される。言葉のあやをあやと受け止めるだけの知恵(注15)が無文字文化の知恵であった。
(注)
(注1)主な先行研究をあげておく。
さて書紀には此神有勇悍以安忍、且常以哭泣為行故、令国内人民多以夭折、また此此神性悪、常好哭恚、国民多死、青山為枯などあるを、此記には人民を害ひ賜ふことを云ぬは、山海河までを云へば、人民を始め、万此物を殤害ひ賜ふことは、自こもれるにや、抑此神の啼給ふに因て、山海河の枯乾るは、如何なる理にかあらむ、【泣けば、涙の出る故に、其涙のかたへ吸取られて、山海河の潤沢は、涸るにやあらむ、さて潤沢の涸るれば、万物は枯傷はるゝなり、】(本居宣長・古事記伝、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920805/173、漢字の旧字体は改めた。)
宣長の推測のやうに、草木の水分や河海の水が、激しく泣く涙の水となるために、草木は枯死し河海は乾されたとみる方が[スサノヲが火山を表すといった議論よりも]穏やかではあるまいか。(この際、涙となつて流れた大量の水はどうなつたかといふやうな形式的な論議は超越している。)(倉野1974.338頁)
「青山は枯山の如く泣き枯らす」という比喩は、荒ぶる神であるスサノヲの否定的号泣のすごさを一はけで表現しえている点がある。「河海は悉に泣き乾しき」も、その大いなる泣きっぷりを現(ママ)わすにふさわしく、「記伝」は、「其涙のかたへ吸取られて、山海河の潤沢は、涸るにやあらむ」といっている。スサノヲは宇宙の秩序を破り、不毛と旱魃をもたらす神と見うけられる。果して、その号泣に応ずるかのように世は悪霊に充ち充ちてくる。なおカラヤマいう語は、東大寺諷誦文稿にも、「安ニ坐可柔軟ノ王(ママ、玉カ) 胸ハ、我等ニ由テゾ干山ニ成タマヒタル」と見える。(西郷2005.24頁)
涙のほうに水分がとられて、青山は枯木の山になり、河海の水もなくなってしまうこと。嵐神としての荒ぶる性格を表現する。山津波・洪水の表象。(西宮1979.44頁)
泣き方のすさまじさの形容であるが、紀には青山を枯山となすことだけを記し河海の記述はない(紀本文「故令二国内人民、多以夭折一。復使青山変レ枯」、一書第二「青山為レ枯」)。これは紀一書(第八段)第五にはスサノヲ自身が、同第四には彼の子イタケルが、それぞれ樹木の種子を播いて青山とする記述があることから、ここでは枯山を青山にする威力を裏がえしに述べたものかとする説(守屋俊彦)があり、山野・樹木を掌る神が仕事を怠って泣き続けたので枯山になったとみることもできよう。河海の水を乾すというのは、泣きすぎて涙も涸れる形容というのが定説だが、これも河川海洋の管理を神が怠って水を涸らしたとみることができる。(思想体系本古事記328~329頁)
[「心前(こころさき)」の]ココロ=サキは、心臓(ココロ)の下端のあたり。みぞおちのこと。鬚がそこまで達するまで、というのは成人したことをいう。泣きわめいたという幼児性と、成人性を示す鬚と、そのアンバランスが須佐之男命の問題をよく表している。……[「其(そ)の泣(な)く状(かたち)」は、]海原を割り当てられたことと関係する表現。水にかかわるのだが、須佐之男命の泣きわめくことは、その水の秩序を滅茶苦茶にしてしまう。膨大なエネルギーをもつ存在であることがそこにはよく表されている。(新編全集本古事記54頁)
……古事記のスサノヲはなぜ泣いていたのか。生まれた時に泣いているのは、人間の赤ん坊と同じであろう。「八拳須」の状態までそれが続くのはやはり異常である。彼は異常であった。欲求が充たされていなかったからである。(山田2001.129頁)
哭きわめいて 哭くという行為は、無秩序な世界を象徴する。スサノヲは、そうした横溢して抑制できない無秩序な力を秘めた存在である。(三浦2002.35頁)
……スサノヲは、自らの「啼伊佐知」の理由、還元すれば自らを泣かしめている神の意志を理解してはいないものと思われる。(松本2001.261頁)
涙が木にふりかかって枯れる表現が『捜神記』にある。河海が干上がるのは涙のために水分が取られる比喩。(中村2009.38頁)
スサノヲはイザナキから海原を統括するように命じられた。海原のもの神を祀るオホワタツミが……、山や川、海原の水を整序するように命じられていたのである。だがスサノヲは泣いてばかりいて、もの神を祀る祭祀者として為すべきことを為さず海原を統括しなかった。その欠如が続いたので青青と樹木が茂った山が枯山になり川や海原の水も涸れ乾いたのである。
ここをもちて悪しき神の音狭蝿なすみな満ち、万の物の妖ことごとく発りき。
青青と樹木が茂った山が枯山になり川や海原の水が涸れ乾くとともに、海原の多くのもの神が蝿のような不気味な音をあげてざわめき溢れ、もの神による災厄が一斉に生起したという。……
アマテラスが天の石屋に籠ったときこの災厄に酷似した出来事が生起した。
……天照大御神見畏み、天の石屋の戸を開きて、刺しこもり坐しき。しかして高天原みな暗く、葦原中国ことごとく闇し。これによりて常夜往きき。ここに、万の神の声は狭蝿なす満ち、万の妖ことごとく発りき。
二つの行文には「悪しき神」→「万のの神」、「万の物の妖」→「万の妖」などの小異が見られる。小異は、祀られていない数多くのもの神は「悪しき神」とよばれること、また「万の物の妖(わざはひ)」とは数多くのもの神によってもたらされる災厄であることを語っている。……葦原中国や海原、高天原はスサノヲの号泣やアマテラスの石屋籠りなどによってもの神の祀りが実修されず、整序が欠如するならばそのまま原初に回帰する可能性をもつ時空なのである。(佐藤2011.94~97頁)
『古事記』・『日本書紀』においては、スサノヲ神を悪神として根国に追放する理由を作成するために、スサノヲ神が「泣く」ことになったのだ。……「泣く」という行為は、言語を使用する文化とは対極的なところに位置する野蛮な(文化以前の)ものであり、スサノヲ神はそれを体現するものとしてアマテラスに対峙させられているともいえる。つまり、天皇家の祖神たるアマテラス大神の絶対的な正統性・優位性を際立たせるために、『古事記』・『日本書紀』のスサノヲ神は泣かねばならなかったのだ 。(及川2009.232頁)
(注2)泣いた結果どうなったかからなぜ泣くのかを類推することは、分析的思考によるものである。話(噺・咄・譚)として聞いている人は遡って謎解きをしようとする思考を持たない。発せられては消えていく音声を頼りに想像の翼を広げている。スサノヲが大人になっても泣き続けていたという設定を聞いて、すぐにそういう輩はいると理解されなければ、話の続きを聞こうとする人はいない。
(注3)紀の分治状況は、本文では、「日の神(大日孁貴(おほひるめのむち)、天照大神)」に対しては、「……曰はく、『自づから当に早(すみやか)に天に送りて、授くるに天上(あめ)の事を以てすべし』とのたまふ。」、「月の神(月読尊)」に対しては、「以て日に配(なら)べて治(し)らすべし。」とある。素戔嗚尊はシラスことが要請されていない。大系本の表は便宜的なものである。
(注4)記紀の説話は無文字社会のなかで育まれ、文字を介してではなく発話によって伝承されていたと考えられる。したがって、記紀の漢文風の原文をいかに訓むかという課題は、記紀の説話の意味を捉えるうえで何よりも大切である。「治」をシラスと訓まなければ真の理解に達することはない。三貴士にそれぞれ「知らせ」と命じたのを受けて、「故、各随二依賜之命一所レ知看之中」、スサノヲばかり「不レ治二所レ命之国」と説明している。用字が「知」から「治」に変化しているからと新編全集本古事記などはヲサムと訓んでいる。本居宣長・古事記伝は、「不治は、乎佐米受弖と訓むも悪からねど、なほ斯良佐受氐と訓べし、」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920805/172、漢字の旧字体は改めた。)とし、アメノシタシロシメスという定まった古言があるからとしている。用字の転換は訓みの転換の問題としてではなく、「詞」を「逮レ心」(記序)そうとした試みであろう。中国において目指された、漢字の一字=一義=一音との原則とは異なり、外来の文字を移入・移植したヤマトコトバは、その時点で一字一訓でない。逆にそのことから生れてくるからくりを、太安万侶は楽しみながら録しているように思われる。
(注5)関根1969.参照。
(注6)拙稿「「八雲立つ 出雲八重垣」について」参照。
(注7)一書第一に「故、汝は、以て極めて遠き根国を馭(しら)すべし」とあるが、国語学的に異なる位相の異伝になっているものと思われる。
(注8)拙稿「垂仁天皇の御子、本牟智和気王(誉津別命)の言語障害の説話」参照。
(注9)西條2011.に、「古事記では「根の堅州国」となっている。「堅州国」が文字通りに、堅い中州と見るのは形容矛盾だ。川の中州はほどよく柔らかい。ここは、あえてイメージを結ばない文字遣いを選んで、根の国が、片隅の国であることを隠そうとしたふしがある。根の国は、もともと、根源の国として世界の中心を占めていた。それが、本来の形がそこなわれ、隅っこに追いやられた片隅の国になっている。」(79頁)とある。カタスクニを片隅国(カタスミクニ)の言い換えと考えることは本居宣長・古事記伝以来行われている。杵築大社のことを「天日隅宮(あめのひすみのみや)」(神代紀第九段一書第二)、また「天日栖宮(あめのひすのみや)」(出雲風土記・楯縫郡)というのと同じであろうというのである。しかし、日が天の隅っこに行って沈むとこら辺を日が鳥の巣に帰るようなところと見て取ることはできるが、カタスミクニという言い方が他に行われていない以上無理な解釈ではないか。形容矛盾を楽しむ風情は記紀の説話に多々見られることとも矛盾しない。無文字文化の人々の言語活動は、文字を持った我々のそれとは自ずと異なる。
州を堅くする土木工事の結果として、田圃の畦(畔)(あぜ、くろ)は成っている。水田稲作農耕を食糧調達の基盤にすえた縄文晩期ないし弥生時代以来、常識であったであろう。川側、田側、いずれにも水がある状態は、州(す)である。アマテラスが天の石屋(いはや)に籠ってしまう原因となったスサノヲのいたずらに、「営田(つくりた)のあを離ち、其の溝を埋み」とある「あ(畦)」である。世界観を語っているのではなく、個別具体的な場所を言っている。
(注10)人間の行為一般について、その演技性の観点から捉え返した古典的な研究に、ゴッフマン1974.が挙げられる。
(注11)拙稿「上代語「言霊」と言霊信仰の真意について」参照。
(注12)神話学に基づいた論説では、悲しい、つらい、寂しい、苦しい、痛いといった感情や情動を前提とせず、泣くことと感情とは無関係なこととして語られている。起っている現象はすべて無機質な記号と読まれるべく、泣くことに儀礼性ばかりを問うている。泣くことを抽象化し、死者の魂を呼び戻したり、神霊を依り憑かせたりする呪術的な行動であることが第一義とするのである。
古事記のスサノヲ以外のナク全例は、悲しい、つらい、寂しい、苦しい、痛い、といった感情の発露したものであった。幼子は本能的に泣く、障害者は異常なものとの解釈の上に泣く、成人健常者は悲しいといった感情から泣く。しかし、スサノヲのそれは、嘘泣き、作り泣きであった。スサノヲには、人間存在にあるものと信じられている「内部」というものがない。結果、道徳を蹂躙する。神話学に基づく古事記解釈では、導き出される最終的な“合理的”解釈として、出雲系シャーマニズムは大和系の正統派に敗北したというフィクションを描くことでイデオロギーに基づいた国家神話となっている主張している。現代の「神話」である。
今日の社会学では、感情は素朴に実在するとはされず、相互行為の独特の形式であるとする。北澤2012.に、「「感じている状態」は何らかのかたちで表明されない限り,社会的には存在しないとしかいいようがないのではないか.つまり感情とは,私が感じていることではなく,感じたことの表明(言葉だけでなく表情や振る舞いなども含めた行為)であり,それは可能性としては絶えず他者の評価に晒される性格のものである.」(7頁)とある。ところが、「私たちは「悔し泣き」と「うれし泣き」を見極めることができる.あるいは,「あの人は嘘泣きをしている」と確信できる場合がある.しかし,なぜ確信できるか,あるいは映画館などで,なぜ特定の場面で多くの観客が泣くことがあるのか(できるのか).このような素朴ともいえる質問に答えることは,実は意外なほど難しく,ここには社会的行為に特有の困難が存在している.」(8~9頁)として、エスノメソドロジーによって日常的相互行為の記述を目指している。同書では、乳児が泣くこと、幼児が泣くこと、障害児が泣くことを観察、比較し、幼児の泣き声は発話ターンとされて大人との間で“会話”が成立しているという興味深い事例を提供している。いかにして人は言葉を獲得していくか、言葉による分節化とはどのような衝撃なのか、そして、感情(心)とは何か、というさらなる問いへ導くものである。
霊長類において、赤ちゃんが人間のように大きな声で泣くのは人間だけであるという。外敵に見つかって危険だからである。鳥類の場合は巣が樹上などにあってある程度守られ、餌をねだる方が優先される。知能レベルがもっとも人間に近いとされるチンパンジーでも、子はフィンパーと呼ばれる口をとがらせて「フーッ」というか細い声を発する程度、逆に子を亡くした母親は、動かなくなった子をしばらく抱き続けることが多く、なかにはミイラになるまで背負い続けた例も報告されているが、悲しくて涙を浮かべて泣くことにはならない。悲しいから泣くということは、現生人類に近づいてはじめて起こったようである。言葉と感情とは絡み合いながら発生していると考えるべきであろう。
スサノヲとイザナキとのやりとりでは、イザナキは問答無用と切り捨てている。言葉というものが赤ん坊の泣くことから派生したものであるとの根本的認識から、泣くことが人間に特有の文化的な営みであり、あだや疎かにできないものを粗末にしたことへの憤っていることを表した文言であるのかもしれない。
寺川2009.は、古代文学研究の陥穽について述べ、さらに紀でのスサノヲの人物(神格?)評価の用語、「勇悍」、「安忍」、「無道」について、紀の他の用例や春秋左氏伝、論語などにある使い方から考察している。
近年は作品論の立場ともかかわって、書いてあることと書いてないことの差を最大限に評価する研究態度が一般的なように思われる。対象にかかわる描写の意味を汲むよりは、編者の端的な評価的表現を重視する態度である。これは禁欲的であり、読みとしては重要なことであるが、行間を読まない態度ともいえる。もし行間、あるいは対象に関する表現全体の意味を重視して読むと、このばあい、記は編者の評価的表現を示さなくても読者が自ずと須佐之男命は「無道」であるとの評価を下すと考えて、その行為を描いていると解しえる。こう読むと、記と紀の須佐之男命の描き方はさして変わらないことになる。こうした読みは作品論的立場からの正しい須佐之男命像を崩すものなのであろうか。作品の読みの態度として、書かれていることだけをたどって読めば足るとする読み方が常に適切であるとは考えられないのである。(178~179頁)
「勇……悍……」は少なくとも道徳的に否定的評価をあらわすだけの語ではない。気力・体力にかかわる性能の強いことを表す語といえる。……「安忍」の安は楽しむ、忍は残忍で、民に対して残忍なことを平気でする意である。儒教的には徳治に相対する意味を表す語で、道徳的に否定的評価を表す語になる。……「無道」は『論語』に、……「道」は儒教の徳目にもとづく正しい政治的なすじみちの意味とみられるから、「無道」は儒教的道徳に外れた政治……や行い……の意味とみてよい。紀……の「無道」の意味は……『論語』の無道と同じく儒教的徳目に背いた政治の意味に近いが、そのことを踏まえた上で、異なる二つの方向で用いられている。一は、『論語』の用例にみられなかった例であるが、統治者にたいして反逆心を有する者……、二は『論語』にみられた民に臨む為政者として資格に欠ける、儒教的徳治から外れた政治を行う者……への評価として用いられている。」(179~182頁)。
紀はスサノヲを道徳的に困った者だと捉えている。思いやりや同情、憐憫、哀れみ、共感、羞恥心などの人間らしい心を欠いた者、一言で言えば、情性欠如者、道徳の欠落者こそ、スサノヲの“為人(ひととなり)”に相応する。
(注13)大人が泣くという行為が及ぼす意味合いについては、社会史的なアプローチから時代的な変化があると考えられている。近親者を亡くした人が喪において泣くことも、時代によって社会的な制約があると指摘されている。そこでは、泣くことが感情によって生ずるという当たり前のことが当たり前とされなくなっている時代に対し、皮肉を込めて語られることが多い。飛鳥時代を含めた前近代の人たちにとって、例えば喪において泣くこと、悲しむことは、当たり前のことであったろう。それが近代に至り、泣くこと、悲しむことはいけないこととされてしまった。出口2014.参照。その前提で神話学も構想されているのであろう。神話学が近現代の産物であることは、そのリアリティの無さに頓に現れている。記紀万葉に表されている言明とは相容れない。
(注14)拙稿「記紀万葉における「出雲」とは何か」参照。
(注15)西郷1967.に、「どこの国にも古代の物語には、詐術でひっかけて相手をやっつけるという類の話がすこぶる多い。……だまして勝つということが人間の智慧のはじまりであり、かつてはそういう智慧の体現者こそ英雄であった。そしてここには、人間の主題が動物や怪物とのたたかいにおかれていた時代の姿がつたえられているといえるだろう」(75~76頁)とある。「智慧(知恵)」という言葉は、幼子に知恵がついてきた、悪知恵が働く食わせ者である、など多義的に用いられる。本稿に見たスサノヲの泣きのテクニックの話は、嘘つきを主題とするものであり、ひっかけようとするスサノヲの側は良ろしくない側として描出されている。スサノヲは「だまして勝つ」ことはできていないし、動物や怪物と戦っているのでもない。言葉使いの面白味を伝えていて、「智慧」は言語活動によっている。記紀の説話には念の入った頓智話が繰り広げられている。その時その時の丁々発止のやりとりがあるばかりで、一話一話を a paradoxical comic stage dialogue と捉えて理解すべきものである。
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※本稿は、2015年12月稿を2021年7月に大幅に改稿したものである。
(English Summary)
Regarding Susanöwo's crying, in Kojiki, the question of why he was crying has been avoided. Instead of answering the question directly, it has been thought that his crying constitutes the story. However, Japanese people in ancient times should have heard the story and accepted it easily, so they should be passing it on to the next person and the next generation. There was a close relationship between why he cried and how he cried, and they would have thought that there was certainly a troubled person like him. In this article, we will approach the essence of the story by understanding the joke about Yamato Kotoba "sirasu".
スサノヲ(須佐之男命、素戔嗚尊(すさのをのみこと))は、イザナキ(伊耶那岐命、伊弉諾尊(いざなきのみこと))の禊ぎによって生まれた。そして、親の命令に従わずに泣いてばかりいた。
次に建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)に詔(の)りたまはく、「汝(いまし)命(みこと)は海原(うなはら)を知(し)らせ」と事依さしき。故、各(おのもおのも)依さし賜ひし命の随(まにま)に知らし看(め)す中に、速須佐之男命、命(よ)させし国を治(し)らさずて、八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)に至るまで啼きいさちき。其の泣く状(さま)は、青山は枯山(からやま)如(な)す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。是を以て、悪しき神の音(こゑ)狭蝿(さばへ)如す皆満ち、万(よろづ)の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)る。故、伊耶那岐の大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何由以(なにとかも)、汝(いまし)は事依させし国を治(し)らさずて哭きいさちる」とのりたまふ。爾くして、答へ白さく、「僕(やつかれ)は、妣(はは)の国、根之堅洲国(ねのかたすくに)に罷らむと欲ふが故に哭く」とまをす。爾くして、伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿怒(いか)りて詔りたまはく、「然らば、汝は此の国に住むべくあらず」とのりたまふ。乃ち、神やらひにやらひ賜ひき。故、其の伊耶那岐の大神は、淡海(あふみ)の多賀(たが)に坐すぞ。(記上)
次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生みまつります。一書に云はく、神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)、速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)といふ。此の神、勇(いさみ)悍(たけ)くして安忍(いぶり)なること有り。且(また)常に哭き泣(いさ)つるを以て行(わざ)とす。故、国内(くにのうち)の人民(ひとくさ)をして、多(さは)に以て夭折(あからさまにし)なしむ。復使(また)、青山を枯(からやま)に変(な)す。故、其の父母(かぞいろは)の二(ふたはしら)の神、素戔嗚尊に勅(ことよさ)したまはく、「汝(いまし)、甚だ無道(あづきな)し。以て宇宙(あめのした)に君臨(きみ)たるべからず。固(まこと)に当に遠く根国(ねのくに)に適(い)ね」とのたまひて、遂に逐(やら)ひき。(神代紀第五段本文)
スサノヲがなぜ泣くのかについてはこれまでにも様々に議論されてきた。例えば、水林2001.は、「純粋無垢な少年が母を思うて、ずっと泣き続けた」(414頁)、西郷1967.は、「根の国の罪の荒ぶる化身であった」(66頁)から、佐藤2011.は、「〈神の子〉でありながら自身に依り憑いてくるもの神を対照的に捉えられずにいることがスサノヲの繊細で無垢な意識を詰屈させ、詰屈のいきつくところが号泣だった」(91頁)などとある。結論ありき説が横行している(注1)。
先行研究は錯綜をきわめつつ、大きな理屈によって納得を勝ち取ろうと試みられている。スサノヲの存在自体を問題とする捉え方があるが、それでは何のために話として登場しているか問われることになる。どういう役割を担って余りある話なのか、的確な解が求められる。そして、記紀の話にスサノヲが泣くことについて、なぜ泣くのか、と、どのように泣くのか、の二点が絡み合いながら話が構成されていると考えられる。この両者を別箇にしか扱えていないあいだは、この逸話は理解されていないものといえる(注2)。
記の三貴子分治の話に、イザナキは、アマテラスには高天原(たかまのはら)を、ツクヨミには夜之食国(よるのをすくに)を、スサノヲには海原(うなはら)を「知らせ」と「事依し」ている。紀では各書によって少しずつ違いがある。大系本日本書紀は表に整理する(注3)。
(大系本日本書紀49頁を横書きに変換)
紀一書第一では、「故、下して根国を治らしむ。」とある。一書第十一には、「……曰はく、『……素戔嗚尊は、滄海之原(あをうなはら)を御(し)らすべし』とのたまふ。」とある。一書第六では、「……曰はく、『……素戔嗚尊は、以て天下(あめのした)を治(し)らすべし』とのたまふ。是の時に、素戔嗚尊、年已に長(お)いたり。復(また)八握鬚髯(やつかひげ)生ひたり。然れども天下を治らさずして、常に啼き泣(いさ)ち恚恨(ふつく)む。故、伊奘諾尊問ひて曰はく、『汝(いまし)は何の故にか恒に如此(かく)啼く』とのたまふ。対へて曰(まを)したまはく、『吾(やつかれ)は母(いろはのみこと)に根国に従はむと欲ひて、只に泣かくのみ」とまをしたまふ。伊奘諾尊悪(にく)みて曰はく、「情(こころ)の任(まにま)に行(い)ね』とのたまひて、乃ち逐(やらひや)りき。」とある。この一書第六は、記同様に泣きが入った記述になっている。
「治らす(御らす)」が問題である(注4)。シラスは、「領(し)る」に上代特有の尊敬の助動詞が付いた形である。白川1995.に、「「領る」ことは尊貴の人のなすところであるから、「令知」という敬語的な形の語がある。」(405頁)とある。「領る」は「知る」と同根の言葉である。同じく、「「知」は神に約したことであり、そのことが行為の基本にあるので、ことを主宰し、管掌し、支配する意となる。……知事・知県はその用法である。「知る」ことが「領る」ことであり、「知らす」ことであるという国語の語義は、まさに知の字義の展開と対応するものである。……領は「うしはく」ともよむ。……「うしはく」は直接的な支配を意味し、「しる」はより高次の統治のしかたをいう語である。「領」にその両訓がある。……「知る」から「領る」となったのか、「領る」から「知る」となったのか、その両説に分かれているが、漢字の字義においても、知・領にいずれも「知る」意があり、また支配する意がある。……神意を承けてこれを「領き」知ることを、領という。その神意に本づいて、これを施行することが「領す」ということの実体であった。ゆえに領はまた支配を意味する。知は神前に誓い、その誓約に基づいてこれを施行することであるから、知と領とはその方法は異なるが、神意によってことを行なう意味において同じである。」(405頁)とある。国語、漢語とが対応している言葉である。知らなければ統治などできないし、全体的に所有するように理解することが知ることである。
スサノヲはシラスクニ(治国)をせずにネノカタスクニ(根之堅洲国)へ行くことを望んでいる。シラスという言葉には、時代劇に見るお白州がある。まさに川の中州のように小石敷きである。罪人が引っ立てられて裁きを言い渡される場である。スサノヲは自らが裁かれる身の上であることをすでに知っていて、シラスクニには居たくないと考えている。また、シラスにはシラス干しの意がある。イワシ類、イカナゴ、アユの稚魚を含め、それを生や釜揚げしたものをシラスと言う。スサノヲは食べ物に好き嫌いがあったらしく、シラスは嫌いであったようである。
左:白州(川の中州)シラス、右:釜上げシラス(イワシの稚魚)
小魚のシラスという呼び名がいつからあったか不明である。古代から海産の小魚を都で大量消費していたとは考えにくい。イワシの丸干しの類は正倉院文書にも安価な食べ物として支給された記録がある。一方、アユの稚魚のことはヒヲと呼ばれ、シラスとしても食されていたようである。本朝食鑑に、「氷魚〈訓は比乎(ひを)〉 釈名、白子(シラス)〈近俗〉、……」とある。新撰字鏡に、「鱦 上字食陵反、比乎(ひを)」、和名抄に「𩵖 考声切韻に云はく、𩵖〈音は小、今案ふるに、俗に氷魚と云ふは是れ也、初学記、冬事の対に氷魚に霜鶴の文有りと雖も、而るに其の義を尋ぬるは非也とかむがふ〉は白く小さき魚の名也、鮊魚(しろを)に似て長さ一二寸の者也といふ。」、万3839番歌に「我が背子が 犢鼻(たふさき)にする つぶれ石の 吉野の山に 氷魚(ひを)そ懸れる〈懸有、反して佐家礼流(さけれる〉と云ふ〉」、正倉院文書宝字六年に「一、先日佐官大夫仰遣氷魚、依不所取、不得買進上、若不此他物求進上哉、……」、延喜式・内膳司式に「山城国、近江国氷魚網代各一処、其の氷魚九月に始めて十二月三十日迄貢ぐ。」とある。川に網を仕掛けておけば容易に大量捕獲でき、都へも供給されていたのであろう(注5)。
氷魚はヒヲ(ヒは甲類)である。ヲは魚(いを、うを)の意である。甲類のヒは日(ひ、ヒは甲類)に同じ音である。日魚のことをスサノヲは嫌っている。スサノヲはモグラをモデルに造形されている(注6)。モグラは日光を嫌う。だからシラスを嫌った。川の州の白州も水に浸かりやすく窒息してしまうから嫌い、小高いところ、堅い地面のところに巣を作る習性がある。シラスクニは苦手でカタスクニが得意なことは、アマテラスの石屋隠りを経た後に記述されている。「是に八百万の神、共に議(はか)りて、速須佐之男命に千位置戸(ちくらおきと)を負ほせ、亦、鬢(ひげ)と手足の爪を切り、祓へしめて、神やらひやらひき。」(記上)とある。刑罰の方法に鬢のひげと手足の爪の切除が行われている。モグラはぬかるんだ泥に苦しみ堅い地を好む。モグラのヒゲの様に的確な「鬢」字が用いられている。
無文字文化の口語の知恵、頓智であり、その機知こそが人々の深い思索の糧であった。それはまさに、収穫された食糧でありつつ、それを種としてさらなる収穫へとつないでいくもので、頓智という知恵に見られる円環的展開に相似している。無文字文化の特性である頓智とは、言語活動の永久機関である。
スサノヲはシラスことをせず、そのときの態度は、記に、「八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)に至るまで啼きいさちき。」、紀本文に、「且(また)常に哭き泣(いさ)つるを以て行(わざ)とす。」、一書第六には、「常に啼き泣(いさ)ち恚恨(ふつく)む。」とある。イサチル、イサツルとは、激しく泣くことであるが、イサという語は、拒絶する際に知らない知らないといってこばむことを表す。万葉集の用字に、「不知」の字をもってイサと訓む例として、感動詞「イサ〔不知〕」(万2710)、動詞「いさよふ〔不知代経・不知世経・不知夜歴・不知夜経〕」(万264・1008・1071・1084)、固有名詞「いさやがは〔不知哉川・不知也河〕」(万487・2710)がある。つまり、治らさないときに泣いて嫌だと拒む仕方が、知らない知らないの一点張りであった。知らないから領らないということである。そのうえで、ただ単に母がいる「根国」へ行きたいから泣いていると答えている。ならば勝手にしろということで追放されている。
すなわち、解任されて追放されたとか、統治の対象が「天下」から「根国」へと変ったということではない(注7)。すべてはシラス問題なのであり、スサノヲは知らない知らないと泣いてばかりで、「海原」(記)、「滄海原」(紀一書第十一)、「天下」(紀一書第六)のことを知ろうとしなかったとわかる。イザナキに命じられた治らすべき場所が問題なのではなく、知らない知らないという泣き方が主題としてあげられている。口語体ならではのやりとりが展開されている。
記の「海原」を「知ら」すことや、紀一書第十一の「滄海之原」を「御らす」ことは、実態として確かではない。一書第十一に話の展開はない。それでも海とはどういうものか、海は広くて大きいものだと知ることがシラス(治・御・領)ことの出発点であることに違いはない。それに対して、「速須佐之男命、不レ治二所レ命之国一而」とあるから、「海原」について知ろうとしなかった。見ればわかるのだが見なかった。海辺へ出ることをしなかった。海に向き合わずとも塩分を含む涙を目にしていて代用できると駄々をこねている。結果、湖畔での問答になり、イザナキは最終的に淡海(近江)の多賀に坐すことになっている。うまくできた話である。琵琶湖近くに鎮座しているのはスサノヲが海にまで足を延ばさなかったことを表している。そして、多賀(たが)という音は、「違(たが)ふ」という語の語幹に同じである。話が食い違っていると言いたい。ただ、ここにいう話の違背は、実はもっと根深いところにあるのであろう。涙の訳を知る必要がある。
スサノヲの涙の訳
「青山如二枯山一泣枯、河海者悉泣乾。」と「其泣状」を表している。思想大系本古事記に、「泣き方のすさまじさの形容である」(328頁)とされている。泣く様子は、青々とした山なら枯れ山になるように泣き枯らすもので、河や海ならすっかり泣き乾し切るようであった、というものである。いわゆる、涙が涸れるほどに泣く、という泣きの程度を表している。こういった表現は上代に特有の諧謔を伴っている。涙が枯れたら泣いていないように見える。目の充血も時間がたてば収まる。そして、「是以、悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」となっている。「是以」とあるから、涙が涸れるほどに泣いた結果として悪いことが生じている。「爾」と接続しているのであれば、「不レ治二所レ命之国一而……啼伊佐知伎也。」ことが良くないことだから、悪いことが起こったと考えられてふつうなのであるが、悪いことが起こったのは、泣く状が涙が涸れるほどだった(=「是」)から(=「以」)であると述べられている。泣く状が異常なことが状況悪化の原因とされている。
ナクという語は、古典語基礎事典に、「①主に「泣く」と書く。人が悲哀・苦痛・怒り・感動などの感情により、涙を流し声をあげて訴える。……②主に「鳴く」と書く。鳥・虫・獣などが声を出す。」(876頁、この項、西郷喜久子)とある。①の義は記に、「泣」・「哭」・「啼」の例は、「泣」が20例、「哭」が18例、「啼」が1例、歌謡のなかに6例が確認される。②の義の鳥獣のナク(「鳴」)は除外している。新撰字鏡に、「噭 古弔反、咷也、佐介不(さけぶ)、又奈久(なく)」などとある。泣いたことによって相手から怒られているケースは、スサノヲのナク(「泣」3例、「哭」4例、「啼」1例)に限られている。スサノヲ以外の例を挙げる。
乃匍二-匐御枕方一、匍二-匐御足方一而、哭時、於二御涙一所レ成神、……名泣沢女神。(記上、イザナキがイザナミが亡くしている。)
……老夫与二老女一二人在而、童女[櫛名田比売]置レ中而泣。……亦問二汝哭由者何一。答下白言、我之女者、自レ本在二八稚女一。是高志之八俣遠呂智、毎レ年来喫、今其可レ来時故泣。(記上、クシナダヒメがヤマタノヲロチに襲われることを怖れている。)
故其菟、……痛苦泣伏者、最後之来大穴牟遅神、見二其菟一言二何由汝泣伏一。菟答言……因レ此泣患者、……(記上、イナバノシロウサギが怪我した傷口に塩が沁みて痛んでいる。)
爾其[大穴牟遅神]御祖命哭患而、参二‐上于一レ天、……爾亦其御祖命、哭乍求者、……(記上、ミオヤノミコトがオホアナムヂを亡くしている。)
於レ是其妻須世理毘売者、持二喪具一而哭来、其父大神者、思二已死訖一、出二-立其野一。(記上、スセリビメが夫を亡くしたと思っている。)
……比気登理能 和賀比気伊那婆 那迦士登波(泣かじとは) 那波伊布登母 夜麻登能 比登母登須須岐 宇那加夫斯 那賀那加佐麻久(汝(な)が泣かさまく) 阿佐阿米能 疑理邇多々牟叙 ……(記上、記4歌謡、一人になると寂しくて泣くであろうという心情を表している。)
故、天若日子之妻、下照比売之哭声、与レ風響到レ天。於レ是在レ天、天若日子之父、天津国玉神、及其妻子聞而、降来哭悲、乃於其処作二喪屋一而、……雉為二哭女一、如レ此行定而、日八日夜八夜遊也。此時、阿遅志貴高日子根神到而、弔二天若日子之喪一時、 ……皆哭云、我子者不レ死有祁理。我君者、不レ死坐祁理云、取二‐懸手足一而哭悲也。(記上、シタデルヒメがアメワカヒコを亡くして悲しみ、葬儀に「哭女」がおり、参列したアジシキタカヒコネの容貌が似ていたので生きていたと勘違いして感動している。)
於レ是其弟、泣患居二海辺一之時、塩椎神来問曰、何虚空津日高之泣患所由。答言、我与レ兄易レ鉤而、失二其鉤一。是乞二其鉤一故、雖レ償二多鉤一不レ受、云二猶欲一レ得二其本鉤一。故泣患之。(記上、ホヲリノミコトが失くした鉤(ち)を見つけられずに途方に暮れている。)
爾其后以二紐小刀一、為レ刺二其天皇之御頸一、三度挙而、不レ忍二哀情一、不レ能二刺レ頸一而、泣涙落三-溢於二御面一。乃天皇驚起、問二其后一曰、……泣涙落、沾レ於二御面一、……(垂仁記、后が実兄から依頼を受けた夫・垂仁天皇の殺人を躊躇い、心の葛藤と緊張状態に置かれている。)
……[多遅摩毛理]献二-置天皇之御陵戸一而、二其木実一、叫哭以白、常世国之登岐士玖能迦玖能木実持参上侍、遂叫哭死也。(垂仁記、垂仁天皇を亡くして狂乱状態になっている。)
……因レ此思惟、猶所レ思二‐看吾既死一焉。患泣罷時、倭比売命賜二草那芸剣一、亦賜二御囊一而、詔下若有二急事一、解中茲囊口上。(景行記、ヤマトタケルが熊襲・出雲征伐後にさらに東方十二道征討を命じられて任務が過酷すぎると嘆いている。)
於レ是、坐レ倭后等及御子等、諸下到而、作二御陵一、即匍二-匐廻其地之那豆岐田一而、哭為レ歌曰、……於レ是化二八尋白智鳥一、翔レ天而、向レ浜飛行。爾其后及御子等、於二其小竹之苅杙一、雖二足䠊破一、忘二其痛一以哭追。(景行記、ヤマトタケルが亡くなり、遺族が葬送儀礼の末、白ち鳥となって飛ぶのを我を忘れて追いかけている。)
於レ是、大雀命与レ宇遅能和紀郎子一二柱、各譲二天下一之間、海人貢二大贄一。爾兄辞令レ貢レ於レ弟、弟辞令レ貢レ於レ兄、相譲之間、既経二多日一。如レ此相譲非二一二時一。故、海人既疲二往還一而泣也。故諺曰下海人乎、因二己物一而泣上也。(応神記、位を譲り合うために、海人が大贄運びの往還に疲れ果てている。)
如レ此令レ詛、置三於二烟上一。是以其兄[秋山之下氷壮夫]、八年之間、于萎病枯。故其兄患泣、請二其御祖者一、即令レ返二其詛戸一。(応神記、アキヤマノシタヒオトコが呪詛を受けて憔悴している。)
……和賀登布伊毛袁 斯多那岐爾(下泣きに) 和賀那久都麻袁(我が泣く妻を) 許存許曾婆 夜須久波陀布礼(允恭記、記78歌謡、密通した同母妹の心情を表している。)
阿麻陀牟 加流乃袁登売 伊多那加婆(甚(いた)泣かば) 比登斯理奴倍志 波佐能夜麻能 波斗能 斯多那岐爾那久(下泣きに泣く)(允恭記、同上。)
……爾赤猪子之泣涙、悉湿二其所レ服之丹摺袖一。(雄略記、婚約後果されずに放置され年老いて歌のやりとりをした時に感極まっている。)
爾即小楯連聞驚而、自レ床堕転而、追二-出其室人等一、其二柱王子坐二左右膝上一泣悲而、集二人民一作二仮宮一、坐二-置其仮宮一而、貢二-上駅使一。(清寧記、二王の艱難辛苦に耐えて身を隠していたのを見つけて感極まっている。)
歌謡には、「夜麻志呂能 都々紀能美夜邇 母能麻袁須 阿賀勢能岐美波 那美多具麻志母(涙(なみた)ぐましも)」(仁徳記、記62歌謡)の例もある。奏上しようとしては会えずに雨に打たれて衣の色まで変わってしまった兄のことを言っている。
以上のナク(泣・哭・啼)の例は至ってふつうである。死別の悲しみ、襲われることの恐怖、傷の痛み、死んだ者が生きていたかとの感激、絶望感、心の葛藤、死を受け止めきれない錯乱状態、疲労と徒労感、神経衰弱、積年の思いの発露、つらかっただろうとの感情移入から泣いている。歌謡の場合には、相手の心情を察して歌うことをしている。悲しい、つらい、寂しい、苦しい、痛い、といった精神状態に誘発されたものである。ナクということは、原初的にはそういうものとして、それが当たり前のこととして捉えられていたであろう。
年を長じても子どものように泣いていた例は垂仁紀に見える。誉津別皇子(ほむつわけのみこ)のことである。天皇は群卿に諮問している。「誉津別王(ほむつわけのみこ)は、是(これ)生年(うまれのとし)既に三十(みそとせ)、八掬髯鬚(やつかひげ)むすまでに、猶し泣(いさ)つること児(わかご)の如し。常に言(まことと)はざること、何由ぞ。」(垂仁紀二十三年九月)とある。「言(まことと)ふ」(「真事(まこと)とふ」(垂仁記))とは、ふつうに言葉を話すことである。三十歳になってヒゲがもじゃもじゃになっても幼子のように泣いて知らない知らないを続けており、ふつうに話すことがないのはなぜなのか、と問うている。その際に、スサノヲのときのように、「悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」(記上)といった事態は出来していない。古代にナクこと自体が忌み嫌われていたわけではない。 垂仁天皇は、誉津別王のヒゲ&イサツル&言語障害、に関して尋ねている(注8)。一方、スサノヲの場合、ヒゲ&ナキイサツル、までは同様であるが、言語障害があったわけではない。「僕者、欲レ罷二妣国根之堅洲国一故哭。」ときちんと答えている。泣いてばかりで知らない知らないを繰り返されたら、言葉が話せないからと困ってしまうのが筋である。ところが、聞いてみたところ、言い訳なのか本心なのか、言葉としてきちんと答えている。自分は幼子だから泣くのだと言うために、「妣(はは)」という言葉まで用い、自己意識の確立していることを露顕させている。説文に、「妣 歿母也、女に从ひ比声」とある。これがイザナミのことを指すか議論があるが、そのニュアンスを込めたスサノヲの発話であろう。いずれにせよ、甘ったれた様を表している。会話が成立しないと仮定していたところ、十分な発語が行われた。これが大問題である。
スサノヲの「泣き」は嘘泣き、作り泣きであった。嘘泣き、作り泣きをして、まるで発達障害でもあるかのように装ったスサノヲに対して、イザナキは「大忿怒」して、「神夜良比爾夜良比賜也」ということになった。ナクことにかけては、イザナキのほうがよく知っているはずである。イザ(去来)+ナキ(泣)と名に負っている。辛いことがあったらさあ泣くぞ、と身構えているほどに熟知している。同じように辛い気持ちがあると思っていたらそうではなかった。すっかり騙されていたのである。「其泣状者、青山如二枯山一泣枯、河海者悉泣乾。」とあったのに、涙の涸れるほどの号泣はすべてお芝居であった。最初から涙腺に涙はなかったのである。だから、この文章に、「是以、悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」と後続している。
社会問題としての嘘泣き
人を欺くことを意図して嘘をつくことは、社会に害悪を及ぼす。現代に同じである。信用の集積で世の中は構成される。嘘をつかれると社会を存立させている根幹たる信用が置けなくなる。嘘つきが横行、蔓延したら、いちいち確認しなければならず、その作業に追われて社会は機能していかない。今日的な課題に特殊詐欺がある。事件はほとんど嘘の電話に始まる。息子を騙る人物からお金を用意してほしいと懇願される。まんまと引っかかってしまうのは、嘘、ふり、騙り、ハッタリが、会話(音声言語)においてとり行われるからである。劇場型と呼ばれるタイプもあるが、スサノヲは一人芝居をしている。記録に残らない形にするのは、犯人が知られないための思惑であると同時に、発話という生々しさが人間の本質に迫っているからでもある。言葉を話すこと、それが人間の条件である。
無文字社会であった古代において、嘘はさらに質が悪いものであっただろう。文字がないと証文が取れない。嘘をつかれたらつかれっぱなしである。一対一で嘘をつかれた時、告発できても立証は難しい。今日でもそのために、メモや録音、ドライブレコーダー、防犯カメラなど記録を残しておくようにアドバイスされる。この記録というものが無文字時代に皆無である。できることは神頼みである。神さまとしても扱いに困り、嘘つきは永久追放、「神やらひにやらふ」ばかりである。世界の無秩序化について、「悪神之音如二狭蝿一皆満、万物之妖悉発。」と表現している。嘘、ふり、騙り、ハッタリに由来している。世界が無秩序化する危険性は、安定を乱すことを試みる狂信的で破滅的な過激派組織よりも、構成員の道徳の不在にこそ潜んでいる。
スサノヲは涙も涸れんばかりに泣きじゃくっているように見えた。どういうわけか悪いこと、妖が起こってきた。変だなあと思い、イザナキはスサノヲに聞いてみた。するとスサノヲは屁理屈を並べることができた。そして、「妣国、根之堅州国」に行きたいから泣いているのだと説明してきた。嘘つきの常習犯、確信犯ならではの冷静さである。海までは遠くて行きたくない、あるいは潮風や塩気が苦手だから行かない、それを正当化するために「妣国、根之堅州国」(注9)を持ち出している。涙が涸れんばかりの泣きじゃくりに感情はこもっておらず、最初から涙など出ていなかったと知れた。ナク(啼・泣・哭)という行為と、ナクという言葉の本来持つべき意味合いとが合致していない。延々と泣く演技をしていた。印象操作が巧みなマニピュレーターである(注10)。
言葉と事柄とが一致しないことを上代の人は極端に嫌った。言葉と事柄はイコールでなければならないと考えていた。筆者は巷間に言われるのとは少し違う意味で、それを言霊信仰と呼んでいる(注11)。あえて一致しない例は記に見える。
故、大毘古命(おほびこのみこと)、高志国(こしのくに)に罷り往く時に、腰裳(こしも)を服(き)たる少女(をとめ)、山代の幣羅坂(へらさか)に立ちて歌曰(うた)ひしく、
御真木入日子(みまきいりびこ)はや 御真木入日子はや 己(おの)が緒を 盗み弑(し)せむと 後(しり)つ戸よ い行(ゆ)き違(たが)ひ 前つ戸よ い行き違ひ 窺(うかか)はく 知らにと 御真木入日子はや(記22)
とうたひき。是に、大毘古命、怪(あや)しと思ひて、馬を返して其の少女に問ひて曰く、「汝(な)が謂へる言(こと)は何の言ぞ」といふ。爾に少女答へて曰く、「吾(あ)は言ふこと勿し。唯(ただ)歌詠(うた)ひつらくのみ」といひて、即ち其の所如(ゆくへ)も見えず忽ち失せぬ。(崇神記)
山代の幣羅坂に現れた少女は、「言」っていない、「歌詠」しているだけだと断っている。コトを言うとなると、言(こと)=事(こと)であるとする言霊信仰の時代においては、根拠から正しいことが求められる。彼女は、歌が勝手に口を突いて出てきただけで言葉ではない、だから歌詞の内容について責任は負えないと断っている。
人間は泣きながらこの世に生まれてくる。その後ずっと泣きっぱなしとなれば、それは誉津別王のように障害があるとみなされるものである。他方、スサノヲ側からすれば、騙すのが容易な世に生まれて三十年(?)がかりの泣き芝居を行っている。紀本文に、「且常以二哭泣一為レ行。」とあり、常日頃からのスサノヲの「行(わざ)」(technic)であるとしている。嘘つきの常習者は、嘘をつくことがいけないとの自覚を持たない。嘘をつく人とは平気で嘘をつく人である。「平気で」という形容詞がこれほど活躍する機会もなかなかない。ナク際に通常帯びるはずの“悲しい”という感情についてスサノヲは関知しない(注12)。時代を超えて理解できることであるが、無感情の人間に対し感情的になることはストレスばかり嵩じさせる。何が悪いのかと開き直られたら「大忿怒」するばかりで、「不レ可レ住二此国一」、「神夜良比爾夜良比賜也。」と粛々と処分を下すしかないであろう。これに続く天照大御神との「うけひ」の場面は、詐欺師に弁論の機会を与えるとどうなるのかという側面を持っている。
嘘泣き、作り泣きには、一度だけのナクという点でも許せないものがある。それを長年スサノヲは続けてきた。感情の伴わない行為が継続できるとは、感情の不感症状態が続いていること、人としての心の未発達を意味する。犯罪心理学では、そのように人間らしい心を持たず、残忍な犯罪を平気で犯すことについて、正常な人格の変異、パーソナリティ障害として扱う。社会的規範意識の欠如は、ある種の発達障害であり、K・シュナイダーの定義では、人間性欠落者(情性欠如者)という分類に入る。思想史の見地からすれば、藤田1998.の指摘する「人間の基本的徳性(友愛とか他人をかばう義侠心とか人や物との相互性とかいった徳性)を蹂躙するものは、それは人類世界の犯罪者(それは必ずしも法律違反と同じではありません)であって、「非行」や「不良」と一緒に出来ない筈です。」(437頁)と同等のことであろう。これは取り返しのつかないことで、“再教育”や“更生”といったことで変えられるものではない。この箇所では、そういう“心ない”者の典型として、スサノヲは描出されている(注13)。
以上、スサノヲが泣くことについて、なぜ泣くのか、と、どのように泣くのか、の二点について、両者が渾然一体となった言説であることを考察した。嘘泣き、作り泣きに尽きる。スサノヲのお芝居である。スサノヲというキャラクターは嘘つきの常習者で、それが悪いことであるという規範意識に欠けるモラルのない者である。記では次の段で、スサノヲが天上へ来ると聞いて、天照大御神は身構えている。
故是に、速須佐之男命の言(い)はく、「然らば、天照大御神に請(まを)して罷らむ」といひて、乃ち天に参ゐ上る時に、山川悉に動(とよ)み、国土(くにつち)皆震ひき。爾くして、天照大御神、聞き驚きて詔はく、「我がなせの命(みこと)の上り来る由は、必ず善き心ならじ。我が国を奪はむと欲へらくのみ」とのりたまひて、……(記上)
スサノヲが来る前から何もしていないのに警戒しているのは、嘘つきと悪評が立っており、信用が置けないと思っているからであろう。平気で嘘をつくことに振り回された話がいわゆる「うけひ」の話である。さらに話の続きとしてスサノヲは出雲国へ行くことになるが、それが地誌としてのイヅモではない点(注14)も、“嘘”の話の展開なのだから“嘘”の話、“作り”話であると了解される。言葉のあやをあやと受け止めるだけの知恵(注15)が無文字文化の知恵であった。
(注)
(注1)主な先行研究をあげておく。
さて書紀には此神有勇悍以安忍、且常以哭泣為行故、令国内人民多以夭折、また此此神性悪、常好哭恚、国民多死、青山為枯などあるを、此記には人民を害ひ賜ふことを云ぬは、山海河までを云へば、人民を始め、万此物を殤害ひ賜ふことは、自こもれるにや、抑此神の啼給ふに因て、山海河の枯乾るは、如何なる理にかあらむ、【泣けば、涙の出る故に、其涙のかたへ吸取られて、山海河の潤沢は、涸るにやあらむ、さて潤沢の涸るれば、万物は枯傷はるゝなり、】(本居宣長・古事記伝、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920805/173、漢字の旧字体は改めた。)
宣長の推測のやうに、草木の水分や河海の水が、激しく泣く涙の水となるために、草木は枯死し河海は乾されたとみる方が[スサノヲが火山を表すといった議論よりも]穏やかではあるまいか。(この際、涙となつて流れた大量の水はどうなつたかといふやうな形式的な論議は超越している。)(倉野1974.338頁)
「青山は枯山の如く泣き枯らす」という比喩は、荒ぶる神であるスサノヲの否定的号泣のすごさを一はけで表現しえている点がある。「河海は悉に泣き乾しき」も、その大いなる泣きっぷりを現(ママ)わすにふさわしく、「記伝」は、「其涙のかたへ吸取られて、山海河の潤沢は、涸るにやあらむ」といっている。スサノヲは宇宙の秩序を破り、不毛と旱魃をもたらす神と見うけられる。果して、その号泣に応ずるかのように世は悪霊に充ち充ちてくる。なおカラヤマいう語は、東大寺諷誦文稿にも、「安ニ坐可柔軟ノ王(ママ、玉カ) 胸ハ、我等ニ由テゾ干山ニ成タマヒタル」と見える。(西郷2005.24頁)
涙のほうに水分がとられて、青山は枯木の山になり、河海の水もなくなってしまうこと。嵐神としての荒ぶる性格を表現する。山津波・洪水の表象。(西宮1979.44頁)
泣き方のすさまじさの形容であるが、紀には青山を枯山となすことだけを記し河海の記述はない(紀本文「故令二国内人民、多以夭折一。復使青山変レ枯」、一書第二「青山為レ枯」)。これは紀一書(第八段)第五にはスサノヲ自身が、同第四には彼の子イタケルが、それぞれ樹木の種子を播いて青山とする記述があることから、ここでは枯山を青山にする威力を裏がえしに述べたものかとする説(守屋俊彦)があり、山野・樹木を掌る神が仕事を怠って泣き続けたので枯山になったとみることもできよう。河海の水を乾すというのは、泣きすぎて涙も涸れる形容というのが定説だが、これも河川海洋の管理を神が怠って水を涸らしたとみることができる。(思想体系本古事記328~329頁)
[「心前(こころさき)」の]ココロ=サキは、心臓(ココロ)の下端のあたり。みぞおちのこと。鬚がそこまで達するまで、というのは成人したことをいう。泣きわめいたという幼児性と、成人性を示す鬚と、そのアンバランスが須佐之男命の問題をよく表している。……[「其(そ)の泣(な)く状(かたち)」は、]海原を割り当てられたことと関係する表現。水にかかわるのだが、須佐之男命の泣きわめくことは、その水の秩序を滅茶苦茶にしてしまう。膨大なエネルギーをもつ存在であることがそこにはよく表されている。(新編全集本古事記54頁)
……古事記のスサノヲはなぜ泣いていたのか。生まれた時に泣いているのは、人間の赤ん坊と同じであろう。「八拳須」の状態までそれが続くのはやはり異常である。彼は異常であった。欲求が充たされていなかったからである。(山田2001.129頁)
哭きわめいて 哭くという行為は、無秩序な世界を象徴する。スサノヲは、そうした横溢して抑制できない無秩序な力を秘めた存在である。(三浦2002.35頁)
……スサノヲは、自らの「啼伊佐知」の理由、還元すれば自らを泣かしめている神の意志を理解してはいないものと思われる。(松本2001.261頁)
涙が木にふりかかって枯れる表現が『捜神記』にある。河海が干上がるのは涙のために水分が取られる比喩。(中村2009.38頁)
スサノヲはイザナキから海原を統括するように命じられた。海原のもの神を祀るオホワタツミが……、山や川、海原の水を整序するように命じられていたのである。だがスサノヲは泣いてばかりいて、もの神を祀る祭祀者として為すべきことを為さず海原を統括しなかった。その欠如が続いたので青青と樹木が茂った山が枯山になり川や海原の水も涸れ乾いたのである。
ここをもちて悪しき神の音狭蝿なすみな満ち、万の物の妖ことごとく発りき。
青青と樹木が茂った山が枯山になり川や海原の水が涸れ乾くとともに、海原の多くのもの神が蝿のような不気味な音をあげてざわめき溢れ、もの神による災厄が一斉に生起したという。……
アマテラスが天の石屋に籠ったときこの災厄に酷似した出来事が生起した。
……天照大御神見畏み、天の石屋の戸を開きて、刺しこもり坐しき。しかして高天原みな暗く、葦原中国ことごとく闇し。これによりて常夜往きき。ここに、万の神の声は狭蝿なす満ち、万の妖ことごとく発りき。
二つの行文には「悪しき神」→「万のの神」、「万の物の妖」→「万の妖」などの小異が見られる。小異は、祀られていない数多くのもの神は「悪しき神」とよばれること、また「万の物の妖(わざはひ)」とは数多くのもの神によってもたらされる災厄であることを語っている。……葦原中国や海原、高天原はスサノヲの号泣やアマテラスの石屋籠りなどによってもの神の祀りが実修されず、整序が欠如するならばそのまま原初に回帰する可能性をもつ時空なのである。(佐藤2011.94~97頁)
『古事記』・『日本書紀』においては、スサノヲ神を悪神として根国に追放する理由を作成するために、スサノヲ神が「泣く」ことになったのだ。……「泣く」という行為は、言語を使用する文化とは対極的なところに位置する野蛮な(文化以前の)ものであり、スサノヲ神はそれを体現するものとしてアマテラスに対峙させられているともいえる。つまり、天皇家の祖神たるアマテラス大神の絶対的な正統性・優位性を際立たせるために、『古事記』・『日本書紀』のスサノヲ神は泣かねばならなかったのだ 。(及川2009.232頁)
(注2)泣いた結果どうなったかからなぜ泣くのかを類推することは、分析的思考によるものである。話(噺・咄・譚)として聞いている人は遡って謎解きをしようとする思考を持たない。発せられては消えていく音声を頼りに想像の翼を広げている。スサノヲが大人になっても泣き続けていたという設定を聞いて、すぐにそういう輩はいると理解されなければ、話の続きを聞こうとする人はいない。
(注3)紀の分治状況は、本文では、「日の神(大日孁貴(おほひるめのむち)、天照大神)」に対しては、「……曰はく、『自づから当に早(すみやか)に天に送りて、授くるに天上(あめ)の事を以てすべし』とのたまふ。」、「月の神(月読尊)」に対しては、「以て日に配(なら)べて治(し)らすべし。」とある。素戔嗚尊はシラスことが要請されていない。大系本の表は便宜的なものである。
(注4)記紀の説話は無文字社会のなかで育まれ、文字を介してではなく発話によって伝承されていたと考えられる。したがって、記紀の漢文風の原文をいかに訓むかという課題は、記紀の説話の意味を捉えるうえで何よりも大切である。「治」をシラスと訓まなければ真の理解に達することはない。三貴士にそれぞれ「知らせ」と命じたのを受けて、「故、各随二依賜之命一所レ知看之中」、スサノヲばかり「不レ治二所レ命之国」と説明している。用字が「知」から「治」に変化しているからと新編全集本古事記などはヲサムと訓んでいる。本居宣長・古事記伝は、「不治は、乎佐米受弖と訓むも悪からねど、なほ斯良佐受氐と訓べし、」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920805/172、漢字の旧字体は改めた。)とし、アメノシタシロシメスという定まった古言があるからとしている。用字の転換は訓みの転換の問題としてではなく、「詞」を「逮レ心」(記序)そうとした試みであろう。中国において目指された、漢字の一字=一義=一音との原則とは異なり、外来の文字を移入・移植したヤマトコトバは、その時点で一字一訓でない。逆にそのことから生れてくるからくりを、太安万侶は楽しみながら録しているように思われる。
(注5)関根1969.参照。
(注6)拙稿「「八雲立つ 出雲八重垣」について」参照。
(注7)一書第一に「故、汝は、以て極めて遠き根国を馭(しら)すべし」とあるが、国語学的に異なる位相の異伝になっているものと思われる。
(注8)拙稿「垂仁天皇の御子、本牟智和気王(誉津別命)の言語障害の説話」参照。
(注9)西條2011.に、「古事記では「根の堅州国」となっている。「堅州国」が文字通りに、堅い中州と見るのは形容矛盾だ。川の中州はほどよく柔らかい。ここは、あえてイメージを結ばない文字遣いを選んで、根の国が、片隅の国であることを隠そうとしたふしがある。根の国は、もともと、根源の国として世界の中心を占めていた。それが、本来の形がそこなわれ、隅っこに追いやられた片隅の国になっている。」(79頁)とある。カタスクニを片隅国(カタスミクニ)の言い換えと考えることは本居宣長・古事記伝以来行われている。杵築大社のことを「天日隅宮(あめのひすみのみや)」(神代紀第九段一書第二)、また「天日栖宮(あめのひすのみや)」(出雲風土記・楯縫郡)というのと同じであろうというのである。しかし、日が天の隅っこに行って沈むとこら辺を日が鳥の巣に帰るようなところと見て取ることはできるが、カタスミクニという言い方が他に行われていない以上無理な解釈ではないか。形容矛盾を楽しむ風情は記紀の説話に多々見られることとも矛盾しない。無文字文化の人々の言語活動は、文字を持った我々のそれとは自ずと異なる。
州を堅くする土木工事の結果として、田圃の畦(畔)(あぜ、くろ)は成っている。水田稲作農耕を食糧調達の基盤にすえた縄文晩期ないし弥生時代以来、常識であったであろう。川側、田側、いずれにも水がある状態は、州(す)である。アマテラスが天の石屋(いはや)に籠ってしまう原因となったスサノヲのいたずらに、「営田(つくりた)のあを離ち、其の溝を埋み」とある「あ(畦)」である。世界観を語っているのではなく、個別具体的な場所を言っている。
(注10)人間の行為一般について、その演技性の観点から捉え返した古典的な研究に、ゴッフマン1974.が挙げられる。
(注11)拙稿「上代語「言霊」と言霊信仰の真意について」参照。
(注12)神話学に基づいた論説では、悲しい、つらい、寂しい、苦しい、痛いといった感情や情動を前提とせず、泣くことと感情とは無関係なこととして語られている。起っている現象はすべて無機質な記号と読まれるべく、泣くことに儀礼性ばかりを問うている。泣くことを抽象化し、死者の魂を呼び戻したり、神霊を依り憑かせたりする呪術的な行動であることが第一義とするのである。
古事記のスサノヲ以外のナク全例は、悲しい、つらい、寂しい、苦しい、痛い、といった感情の発露したものであった。幼子は本能的に泣く、障害者は異常なものとの解釈の上に泣く、成人健常者は悲しいといった感情から泣く。しかし、スサノヲのそれは、嘘泣き、作り泣きであった。スサノヲには、人間存在にあるものと信じられている「内部」というものがない。結果、道徳を蹂躙する。神話学に基づく古事記解釈では、導き出される最終的な“合理的”解釈として、出雲系シャーマニズムは大和系の正統派に敗北したというフィクションを描くことでイデオロギーに基づいた国家神話となっている主張している。現代の「神話」である。
今日の社会学では、感情は素朴に実在するとはされず、相互行為の独特の形式であるとする。北澤2012.に、「「感じている状態」は何らかのかたちで表明されない限り,社会的には存在しないとしかいいようがないのではないか.つまり感情とは,私が感じていることではなく,感じたことの表明(言葉だけでなく表情や振る舞いなども含めた行為)であり,それは可能性としては絶えず他者の評価に晒される性格のものである.」(7頁)とある。ところが、「私たちは「悔し泣き」と「うれし泣き」を見極めることができる.あるいは,「あの人は嘘泣きをしている」と確信できる場合がある.しかし,なぜ確信できるか,あるいは映画館などで,なぜ特定の場面で多くの観客が泣くことがあるのか(できるのか).このような素朴ともいえる質問に答えることは,実は意外なほど難しく,ここには社会的行為に特有の困難が存在している.」(8~9頁)として、エスノメソドロジーによって日常的相互行為の記述を目指している。同書では、乳児が泣くこと、幼児が泣くこと、障害児が泣くことを観察、比較し、幼児の泣き声は発話ターンとされて大人との間で“会話”が成立しているという興味深い事例を提供している。いかにして人は言葉を獲得していくか、言葉による分節化とはどのような衝撃なのか、そして、感情(心)とは何か、というさらなる問いへ導くものである。
霊長類において、赤ちゃんが人間のように大きな声で泣くのは人間だけであるという。外敵に見つかって危険だからである。鳥類の場合は巣が樹上などにあってある程度守られ、餌をねだる方が優先される。知能レベルがもっとも人間に近いとされるチンパンジーでも、子はフィンパーと呼ばれる口をとがらせて「フーッ」というか細い声を発する程度、逆に子を亡くした母親は、動かなくなった子をしばらく抱き続けることが多く、なかにはミイラになるまで背負い続けた例も報告されているが、悲しくて涙を浮かべて泣くことにはならない。悲しいから泣くということは、現生人類に近づいてはじめて起こったようである。言葉と感情とは絡み合いながら発生していると考えるべきであろう。
スサノヲとイザナキとのやりとりでは、イザナキは問答無用と切り捨てている。言葉というものが赤ん坊の泣くことから派生したものであるとの根本的認識から、泣くことが人間に特有の文化的な営みであり、あだや疎かにできないものを粗末にしたことへの憤っていることを表した文言であるのかもしれない。
寺川2009.は、古代文学研究の陥穽について述べ、さらに紀でのスサノヲの人物(神格?)評価の用語、「勇悍」、「安忍」、「無道」について、紀の他の用例や春秋左氏伝、論語などにある使い方から考察している。
近年は作品論の立場ともかかわって、書いてあることと書いてないことの差を最大限に評価する研究態度が一般的なように思われる。対象にかかわる描写の意味を汲むよりは、編者の端的な評価的表現を重視する態度である。これは禁欲的であり、読みとしては重要なことであるが、行間を読まない態度ともいえる。もし行間、あるいは対象に関する表現全体の意味を重視して読むと、このばあい、記は編者の評価的表現を示さなくても読者が自ずと須佐之男命は「無道」であるとの評価を下すと考えて、その行為を描いていると解しえる。こう読むと、記と紀の須佐之男命の描き方はさして変わらないことになる。こうした読みは作品論的立場からの正しい須佐之男命像を崩すものなのであろうか。作品の読みの態度として、書かれていることだけをたどって読めば足るとする読み方が常に適切であるとは考えられないのである。(178~179頁)
「勇……悍……」は少なくとも道徳的に否定的評価をあらわすだけの語ではない。気力・体力にかかわる性能の強いことを表す語といえる。……「安忍」の安は楽しむ、忍は残忍で、民に対して残忍なことを平気でする意である。儒教的には徳治に相対する意味を表す語で、道徳的に否定的評価を表す語になる。……「無道」は『論語』に、……「道」は儒教の徳目にもとづく正しい政治的なすじみちの意味とみられるから、「無道」は儒教的道徳に外れた政治……や行い……の意味とみてよい。紀……の「無道」の意味は……『論語』の無道と同じく儒教的徳目に背いた政治の意味に近いが、そのことを踏まえた上で、異なる二つの方向で用いられている。一は、『論語』の用例にみられなかった例であるが、統治者にたいして反逆心を有する者……、二は『論語』にみられた民に臨む為政者として資格に欠ける、儒教的徳治から外れた政治を行う者……への評価として用いられている。」(179~182頁)。
紀はスサノヲを道徳的に困った者だと捉えている。思いやりや同情、憐憫、哀れみ、共感、羞恥心などの人間らしい心を欠いた者、一言で言えば、情性欠如者、道徳の欠落者こそ、スサノヲの“為人(ひととなり)”に相応する。
(注13)大人が泣くという行為が及ぼす意味合いについては、社会史的なアプローチから時代的な変化があると考えられている。近親者を亡くした人が喪において泣くことも、時代によって社会的な制約があると指摘されている。そこでは、泣くことが感情によって生ずるという当たり前のことが当たり前とされなくなっている時代に対し、皮肉を込めて語られることが多い。飛鳥時代を含めた前近代の人たちにとって、例えば喪において泣くこと、悲しむことは、当たり前のことであったろう。それが近代に至り、泣くこと、悲しむことはいけないこととされてしまった。出口2014.参照。その前提で神話学も構想されているのであろう。神話学が近現代の産物であることは、そのリアリティの無さに頓に現れている。記紀万葉に表されている言明とは相容れない。
(注14)拙稿「記紀万葉における「出雲」とは何か」参照。
(注15)西郷1967.に、「どこの国にも古代の物語には、詐術でひっかけて相手をやっつけるという類の話がすこぶる多い。……だまして勝つということが人間の智慧のはじまりであり、かつてはそういう智慧の体現者こそ英雄であった。そしてここには、人間の主題が動物や怪物とのたたかいにおかれていた時代の姿がつたえられているといえるだろう」(75~76頁)とある。「智慧(知恵)」という言葉は、幼子に知恵がついてきた、悪知恵が働く食わせ者である、など多義的に用いられる。本稿に見たスサノヲの泣きのテクニックの話は、嘘つきを主題とするものであり、ひっかけようとするスサノヲの側は良ろしくない側として描出されている。スサノヲは「だまして勝つ」ことはできていないし、動物や怪物と戦っているのでもない。言葉使いの面白味を伝えていて、「智慧」は言語活動によっている。記紀の説話には念の入った頓智話が繰り広げられている。その時その時の丁々発止のやりとりがあるばかりで、一話一話を a paradoxical comic stage dialogue と捉えて理解すべきものである。
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※本稿は、2015年12月稿を2021年7月に大幅に改稿したものである。
(English Summary)
Regarding Susanöwo's crying, in Kojiki, the question of why he was crying has been avoided. Instead of answering the question directly, it has been thought that his crying constitutes the story. However, Japanese people in ancient times should have heard the story and accepted it easily, so they should be passing it on to the next person and the next generation. There was a close relationship between why he cried and how he cried, and they would have thought that there was certainly a troubled person like him. In this article, we will approach the essence of the story by understanding the joke about Yamato Kotoba "sirasu".