全日本選手権で最後の鈴鹿のレース、といっても年間2戦しかないので
2度目のレースとうことになるのだが・・・
その年のTZ250にはシフトチェンジアームの支点軸が抜けて2速以上が
使えなくなるトラブルが続発していた。
事前に支点軸に対策をする必要があると聞き早速、自分で分解して
支点軸を強引に引き抜き接着剤を塗布して再度、押し込む。
といった作業なのだが、素人作業がとんでもない結果になろうとは・・・
鈴鹿選手権の当日は、あいにくの空模様で予選の時には雨がかなり降っていた。
「嫌なコンデションだな・・・」と思いながら自分の予選の順番を待っていた。
そして予選スタート、一週目は少し余裕をもって走る。シケインから最終コーナー
そしてホームストレートを抜けて1コーナーめがけて飛び込んでいく。
2コーナーの立ち上がりで3速にシフトアップ・・・と・・・入らない!
3速にシフトアップができなくなっている。
シフトアームの支点軸が抜けたのだ。
素人作業がかえって裏目にでてしまった。
当然予選は通過ならず、その年の選手権は一度も決勝を走ることなく終わった。
ジュニアクラス最初のシーズンは何も結果を残せず終わってしまった。
次回は1987年度に舞台を移して書いていきます。
次回に続く
2度目のレースとうことになるのだが・・・
その年のTZ250にはシフトチェンジアームの支点軸が抜けて2速以上が
使えなくなるトラブルが続発していた。
事前に支点軸に対策をする必要があると聞き早速、自分で分解して
支点軸を強引に引き抜き接着剤を塗布して再度、押し込む。
といった作業なのだが、素人作業がとんでもない結果になろうとは・・・
鈴鹿選手権の当日は、あいにくの空模様で予選の時には雨がかなり降っていた。
「嫌なコンデションだな・・・」と思いながら自分の予選の順番を待っていた。
そして予選スタート、一週目は少し余裕をもって走る。シケインから最終コーナー
そしてホームストレートを抜けて1コーナーめがけて飛び込んでいく。
2コーナーの立ち上がりで3速にシフトアップ・・・と・・・入らない!
3速にシフトアップができなくなっている。
シフトアームの支点軸が抜けたのだ。
素人作業がかえって裏目にでてしまった。
当然予選は通過ならず、その年の選手権は一度も決勝を走ることなく終わった。
ジュニアクラス最初のシーズンは何も結果を残せず終わってしまった。
次回は1987年度に舞台を移して書いていきます。
次回に続く