4時間耐久レースに向けてTT3用マシンを購入したもののレギュレーションの変更で燃料タンクをFRP製のタンクから純正のタンクに変更せざるをえなかった。
同時にシートもノーマルタンクに合わせた物を購入して取り付けることになるのでマシンを購入したショップに取り寄せてもらった。
そのシートの製造メーカーは2輪用のFRP製品を製造販売するショップで後に私が、ジュニアクラスの4時間耐久レースにエントリーした際のチームオーナーでもあった。
そのショップは現在でも活動しており、最近では「仮面ライダーTHE FIRST」でサイクロン号のカウルを製作担当したことでも有名である。
マシンも仕上がり当面、出走するサーキットを鈴鹿と西日本サーキットにしぼり、先ず6月に行われる鈴鹿の200kmレースに併催されるノービスTT3クラスにエントリーしていた。
レース開催日まで鈴鹿サーキットで何度か練習走行をするのだが、当時は空前のレースブームだったこともあり練習走行も予約制になっていた。
その予約も取り難い状況で満足に練習もできず、レース当日がやってきた。
レース前日からトランポ(マシンを運ぶトランスポーター)にマシンや用具を一式積み込み、既に以前いたチームを離れていたので大阪に就職で出てきていた弟にヘルパーを頼んであったので弟にも同伴してもらいサーキットに泊り込んでいた。
当日は、先ず受付を済ませ次にマシンの車検を受けて車検が通るとあとは予選の順番がくるまで待機するのだが、決勝の出走台数は42台(多分)に対し予選出走台数は200台前後集まってくるので予選を通過するだけでも大変である。
チームの中にはノービスクラスでもワークス並みのチームも幾つかあり、実際まったくのプライベーターが決勝に残るには、よほど才能があるライダーでもなければ困難な時代だった。
もっとも才能のあるライダーは既に有力チームから声が掛かっていたと思うが・・・
その頃は私も自分の才能を少しは信じていたので練習さえしっかり出来れば・・・と思っていたわけで、その後の4年間をレースに費やしていた。
ただTT3クラスを勝つには、有力なチームに入るかよほどの才能がなければ無理と言っても過言ではなかった・・・が、その事実を受け入れられるには少し時間が掛かってしまった。
結果は、あえなく予選落ち・・・
次回に続く
同時にシートもノーマルタンクに合わせた物を購入して取り付けることになるのでマシンを購入したショップに取り寄せてもらった。
そのシートの製造メーカーは2輪用のFRP製品を製造販売するショップで後に私が、ジュニアクラスの4時間耐久レースにエントリーした際のチームオーナーでもあった。
そのショップは現在でも活動しており、最近では「仮面ライダーTHE FIRST」でサイクロン号のカウルを製作担当したことでも有名である。
マシンも仕上がり当面、出走するサーキットを鈴鹿と西日本サーキットにしぼり、先ず6月に行われる鈴鹿の200kmレースに併催されるノービスTT3クラスにエントリーしていた。
レース開催日まで鈴鹿サーキットで何度か練習走行をするのだが、当時は空前のレースブームだったこともあり練習走行も予約制になっていた。
その予約も取り難い状況で満足に練習もできず、レース当日がやってきた。
レース前日からトランポ(マシンを運ぶトランスポーター)にマシンや用具を一式積み込み、既に以前いたチームを離れていたので大阪に就職で出てきていた弟にヘルパーを頼んであったので弟にも同伴してもらいサーキットに泊り込んでいた。
当日は、先ず受付を済ませ次にマシンの車検を受けて車検が通るとあとは予選の順番がくるまで待機するのだが、決勝の出走台数は42台(多分)に対し予選出走台数は200台前後集まってくるので予選を通過するだけでも大変である。
チームの中にはノービスクラスでもワークス並みのチームも幾つかあり、実際まったくのプライベーターが決勝に残るには、よほど才能があるライダーでもなければ困難な時代だった。
もっとも才能のあるライダーは既に有力チームから声が掛かっていたと思うが・・・
その頃は私も自分の才能を少しは信じていたので練習さえしっかり出来れば・・・と思っていたわけで、その後の4年間をレースに費やしていた。
ただTT3クラスを勝つには、有力なチームに入るかよほどの才能がなければ無理と言っても過言ではなかった・・・が、その事実を受け入れられるには少し時間が掛かってしまった。
結果は、あえなく予選落ち・・・
次回に続く