数学の王道

数学研究会代表 数学プロ主任講師の本音

私の履歴書 No2

2019年07月09日 | 日記

スポ根マンガ「巨人の星」の星一徹のような親父だった。

そんな親父が唯一 優しかった(いや、普通)だったのはスキーに連れて行ってくれたことだ。

 

親父はスキーでは準指導員と言って (学校で言うなら先生 教頭先生)の資格を持っていた。

 

正月3日間は スキーに連れて行ってくれた。 

しかし、その指導はスパルタで、小学校の時は本当にスキーに行くのが嫌だった。


中学生になり、 スキーが上手くなっていくと、次第にスキーが面白くなっていった。

何よりも良かったのは、親父がスキーに関してうるさく言わなくなった事だ。


今思うに、親父の技術と僕の技術の差がなくなってきたので、

親父も教えることがなくなってきたからだった。


話を戻そう.


僕は中学の時 クラブ活動は卓球部だった。

当時、日本の卓球は強く、1学年に30人ぐらい部員がいた。

中学校の卓球台は4台しかなく、当然先輩が使っていた。

そのため、卓球部という名の「陸トレクラブ 」だった。


うさぎ跳びは,もちろん、1500m持久走

400 mダッシュ20本

腹筋50回 背筋50回 スクワット100回

しかも水は一切飲ませてもらえなかった。

よく脱水しなかった(笑)


卓球台で打てたのは、2年生の秋から3年生の郡大会までの1年間だけだった.。


しかし、このハードな陸トレのお陰で陸上競技大会が楽しみだった。

ライバルはサッカー部 バスケットボール部 野球部ぐらいだった。


リレーの選手にも選ばれ、陸上競技大会は本当に楽しかった。 


続きは次回書きます。 


 

 


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