翡翠庵閑話

野鳥が好きな、閑人の独り言と日常の見聞録。少し遅れてUPする場合が多いですが、内容と日付は、合うようにしています。

茨城への旅

2024年06月20日 | 紀行、旅

 6月18日から20日まで、家内も私も初めての茨城への旅をしました。娘が結婚して、双方の親の住む所を訪ねることを口約束していたのですが、コロナ禍になってしまい延び延びになっていたのですが、やっと第1弾が実現しました。スケジュール等は娘婿のT君が立ててくれ、我々は水戸駅まで行けば後はおまかせの旅でした。

 出発の日、日本列島は荒れ模様で、西の方から線状降水帯が太平洋岸を移動してくるというあまりありがたくないお天気でした。ひょっとすると静岡あたりで追いつかれ、新幹線止まる?という良くない予想が脳裏をかすめ、少々強い雨の中を早めに出発しました。

 1本早い新幹線に乗れたので、東京駅には当初予定より30分以上早く着きました。お昼をスタバで簡単に済ませていると、電光掲示板が、新幹線運転見合わせーを流していました。予定どおりの列車に乗っていたら、今頃は三島か小田原あたりで停車させられ、到着はかなり遅れたのではと思うと早めに出る判断は良かった様です。

 東京からは常磐線です。私も家内も初めて乗ります。特急は30分毎に走っていますが、全部指定席。自由席になれている我々にとっては、時間に縛られ少々窮屈な感じがしました。でも時間のせいかガラガラの状態でした。座席未指定の指定券(空いてたら座れる)もあるようですが、ややこしいので正規の指定席を求めておきました。品川発ですが、駅構内に慣れている東京乗換にしました。

 そんなわけで途中写真を撮る余裕も無く、落ち着いたのは宿で夕食の席についてからでした。宿は那珂川の河口から少し上流、海門橋がよく見える高台にあり、赤い大きな橋が夕日でライトアップされたように見えました。(右上の 丸 は部屋の照明の写りこみ)

 上流側を見ると、陽が沈んだところでした。

 もう一度、橋を見ると陽が当たらなくなって、赤い色は無くなっていました。夕陽によるライトアップのようでした。

 橋について、帰宅後に調べたら、明治以降5代目の橋で(それ以前は、渡船しか無かった)3代目までは木造。4代目(昭和5年完成)はコンクリート製、しかし基礎に問題があり、作っているときから橋脚が沈下していて、完成後8年目(昭和13年6月)の大水で一晩で崩落。その後20年間は戦中戦後の混乱期で、再建は出来なかった様です。「海門橋 小山いと子:昭和8年発表」という小説が生まれているほど、数奇な運命の橋だったようです。5代目(鋼製ランガー橋 昭和34年完成)はしっかり地質調査もして出来ているので、そんな心配は無いでしょう。橋中央部は水面まで15mあり、漁船の往来を考慮したものだそうです。

 落ち着いて夕食の時間に入りましたが、5年振りの再会でおしゃべりに熱中し食事中の写真はほとんど無し。大きな岩牡蠣が印象的な一品でした。お品書には「茨城県産蒸し岩牡蠣ポン酢」とありました。

 食事もさることながら、両家の家族が揃うのは5年振りのことで、娘が自分のブログに、両親同士の話が尽きなかった!とこんな写真を添えて書いていました。

 (娘の顔にはマスキングしてなかったので、私が書き足しました)

 

 翌日は、向こうのご両親は都合で先に帰宅されましたが、我々は娘夫婦の案内で近隣を観光しました。

 先ず行ったのは、大洗海岸。海岸線の砂浜は狭く岩場が続きます。太平洋の波が穏やかなこの日も強く波立っていました。大洗の名前の由縁でしょうか。

 夏には早いので人出はありません。岩礁と波と砂浜が、長く続いている様です。岩の上には鳥居があり、この先の崖の上には神社があるようです。岸辺の建物は宿泊施設で、道路沿いにかなり建っておりシーズンには賑わうようです。岩礁の外はいきなり太平洋で、サーフィンのメッカでもあるようです。浜辺の緑はハマナスのようで、小さい白い花を付けていました。黄色いネットのような植物は正体不明です。

 ひたちなか市側の海岸。広い広場になっています。何かイベントの準備で架設のステージでも建てる準備をしている様でした。

 次に行ったのは「国営ひたち海浜公園」。広大な駐車場も今はガラガラ。シーズン中に端っこにしか駐車出来なかったとしたら、ゲートを入るまでにかなり歩くことになります。

 メインゲートを入って中を巡るトレインの乗り場は?と探すのも大変でした。

 乗り降り自由のトレイン。そのまま一周すると40分ほどかかるそうですから、かなり広い敷地です。最初に観覧車に乗りました。

 観覧車に乗って頂上に近づくに従って園内の様子がわかり、居ながらにして周遊した気分でした。

 観覧車が頂点に達した頃、春のネモフィラで有名な「みはらしの丘」の向こうに発電所が見えました。後日地図で確認すると、右は常陸那珂火力(石炭)、中の奥の方に東海第2原子力があるはずですが、確とは分かりませんでした。

 観覧車を降りて再度トレインに乗り、みはらしの丘に近づくとネモフィラからコキアに植え替えの最中でした。丘の麓で風景を眺めながらお弁当を食べられるようになっていました。

 香の谷でも途中下車。ラベンダーやローズマリーなどハーブ類が沢山植えられていました。近くにある、グラスハウスで太平洋を遠望しながら休憩しました。ここはガラス張りの軽食堂兼イベントスペースのようでした。

 この公園はとにかく広い!時々来て、色々な楽しみ方が出来そうです。近くに住んでいれば年間パスポートを買って、毎週来ても飽きないかもしれません。

 

 海浜公園を出て、那珂湊おさかな市場へ寄りました。もう午後遅いので、お客さんは一般消費者・観光客ばかりです。漁港直結の市場なのでスーパーで並んでるお魚とは違ってほとんど丸のままです。それにしても安い!近くに住んでいれば買って帰りたいくらいです。そろそろ閉店?のようで「半額で良いよ!」なんて声をかけていました。T君は腕に覚えがあるので、今晩用にお刺身用のブリの柵を求めていました。

 お魚市場を後にして、向こうのお宅へ向かいました。ここでも話が盛り上がり楽しい一夜を過ごさせてもらいました。

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