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3月末に仕上げた小説『涙の芽』は、ある受刑者が刑務所内での体験を経て、社会へ再接続していく過程を描いたものです。
友人、知人、またカウンセラーの先生にも、矯正施設で働く人がおり、また私自身の経験が、自ら犯した罪と向き合い、乗り越えていく過程でもあったから。
調布に通う途中、毎日府中刑務所を見つめ、想像をたくましくしてもいました。
さらに、社会的認知が、犯罪者を捕まえ、こらしめる(閉じ込める)ことで終わり、としているように感じられたから。
塀の中のことは、ほとんど知られていない。社会的に隔離し、みな見ないようにしている。それでいいのだ、という風潮が疑問で。
この本と出会った時、すでに小説は書き終わっていたけど、やはり関心はあり、読まずにいられませんでした。
客観的なデータが、考えるきっかけになるのではないでしょうか。
2012年の入所者のうち、再入所者の割合は58・5%。
2008年に出所し、以後5年間で刑務所に戻って来た人の割合を犯罪の種類別に見ると、
殺人=8.8%
強盗=21.5%
傷害・暴行=40・7%
窃盗=48.3%
強姦=18・5%
強制わいせつ=28・5%
放火=19.0%
覚醒剤=49.3%
さらに、2012年の刑法犯認知件数201万5347件のうち、窃盗は104万447件で51.6%。
よくニュースになる殺人は、1030件で0.05%。
何が言いたいのかと言えば、殺人犯に対する処遇と窃盗犯または薬物犯に対する処遇を同じにしても意味がないということ。
懲役が複数になればなるほど罪は重い。けど、10年刑務所で過ごしたからその人は「きれいになった」のか?
生活を管理され続けた人が、ぽんと社会に出されて適応できるのか。いや、長ければ長いほど適応するのは難しくなるのではないのか。
収容から更生へ。それが本書の意図であり、私の考えとも一致します。
具体的対応の例として、塀のない刑務所、大井造船作業場が紹介されています。私もこの本を読むまで、日本に開放処遇施設があるとは知らなかった。
犯罪被害者の方たちに、加害者の未来を考えよ、と言うのはあまりに酷です。閉じ込めておけばいい、隔離しとけばいい、その過去には触れないでおいて、と思うのは当然です。
ただ、窃盗や薬物依存の人たちをいつまでも収容しとけばいいと思う人は少ないのではないでしょうか。
刑期を終えて「きれいになった」はずの人たちの半数以上が、再び過ちを繰り返し、出なくていいはずの被害者を増やしています。
刑務所は、みんなの税金で運営されています。
誰もが裁判員裁判に参加する可能性があり、誰もが犯罪被害者になる可能性があります。
社会復帰促進センター(官と民が協力して運営する刑務所)や薬物依存離脱指導などの受刑者の問題に沿った改善指導も始まっています。
これからも、他人事ではなく私事として、あらゆる更生と関わって行きたいと思います。
刑務所の実態を知るために有益な本でした。
沢登文治著/集英社新書/2015
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