今回の旅のお伴にした本。
この本は以前から売れ、売ってもいるのですが、今回の旅にとっておいた。
理由は様々あります。
私の出身が哲学科だということ。
走るきっかけが東日本大震災であること。
私のふるさととも言える宮城が甚大な被害を受けたこと。
宮城に旅するたびに自分という木をケアしている感覚があること。
私が実存思想(キルケゴール、ニーチェ)に強く引かれた意味。
その二人が共に牧師の子であったこと(ヘッセもそうです)。
既存の言葉が先回りして(当時の教会が主導していた世界観)、この固有の感情を備えた心身が無視されていた現状に対する憤り。
言葉と心身の不一致による悲劇が繰り返されていること(鬱病、過労死、人身事故、政治不信など)。
様々な私の課題の核にあったことを言語化してくれていた。
文学とマラソンは似ている。一歩ずつ着実に歩め、と諭してくれたのは、私の大学の先生。
今、ニーチェを読むと、新しい発見もあるのですが、それよりも自分という木を根っこから支えてくれた感じが強い。
枝葉を切り落としてくれた。大事に、あたたかく励ましてくれた。
ふるさとのように。先生のように。
学生時代からのつながりを確かに感じ、幹が太くなるのを助けてくれた。
そんなありがたい本でした。
いくつも紹介したくなりますが、190の文章から1つだけ。
163 求めるものはここにある
きみの立っている場所を深く掘り下げてみよ。泉はその足下にある。
ここではない何処か遠くの場所に、見知らぬ異国の土地に、自分の探しているもの、自分に最も合ったものを探そうとする若者のなんと多いことか。
実は、自分の視線が一度も向けられたことのない自分の足の下にこそ、汲めども尽きせぬ泉がある。求めるものが埋まっている。自分に与えられた多くの宝が眠っている。
ニーチェ著/白取春彦訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン/2015
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます