刻むように読みました。
ヘルマン・ヘッセは、夏目漱石と並んで、僕にとって、欠くことのできない、全集を揃えたいと思わせる、核心まで届く、尊敬する、それでいて親しむことのできる、大きな作家です。
手紙もまた、作家の仕事の一つなのだと知りました。またこの書評も、著者への手紙と言えるのかもしれません。
ヘッセの新たな活動に触れることができました。戦時中、捕虜に対して文庫本を木箱に詰めて贈っていた、ドイツ帝国によって、根も葉もない非難を浴び、収入の減る中で、自ら本を作り、売っていた、朗読もしていた、賞金を、罪のない貧しい人々に寄付していた、若い作家を、子供を、書評によって、手紙によって、支えていた、妻が病に倒れ、結婚すべきじゃなかったと悔やみ、離婚した、若い子と遊びもした、三度目の結婚で、生涯の伴侶を得た、自分では抱えきれない精神を、心理療法によって助けられていた、先輩詩人からの好意に、深く喜んだ・・・。そのどれもが、新しく知ったのですが、ヘッセならそうするよなあうんうん、と思えてしまいます。
それにしても、なんと厳しい時代を、彼は生き抜き、書き抜いたことでしょう!二つの世界大戦。ドイツに生まれ育ちながら、スイスに亡命しなくてはならなかった悲しみ。ヒトラーの醜悪さを、彼はとっくに見抜いていた。個人からしか生まれない詩を、こよなく愛していたのは、大衆の危うさを、流された無益な血を、見ていたから。鉄砲より詩の方が、何百倍も価値があるとわかっていたから。詩人の務めは、平和を広げること。それもまた、僕に刻まれました。
3万通を越える手紙たち。この本の前にも、『ヘッセからの手紙』という書簡集がありました。それはまだ手に入れてませんが、ぜひ読まないといけません。
生の心が、通い合った証が、そこにはあります。両親への激しい恨み、それでいて愛してくださいと願う切なさ。15のとき、「詩人になるか、でなければ何にもなりたくない」ために、神学校から脱走。すぐに見つかり、連れ戻され、でも心は荒れ狂い、自殺も試み、精神病院に入れられたこともあった。しかし、おじいちゃんが、「聞いたよ。天才旅行をしたんだって」と、ヘッセを受け止める。そこから、彼は変わっていく。理解してくれる人がいるということ。このままの自分でいいということ。その後、工夫もし、書店員もし、でも作家としての魂を育て続けた。彼もまた、一人ではそうなれなかった。多くの人たちに支えられていた。そして、支えられるようになった。
同時代の仲間との交流も、鮮やかに蘇ってきます。ユング、フロイト、カフカ、ロラン、マン、ジッド、ベンヤミン・・・。それだけでなく、「地の塩」と呼んでいた、心ある人々をこそ、彼は信頼していた。どんなに絶望の時代にあっても、耳を傾ける、また耳を傾けるべき人たちがいる。そういう人たちこそが、希望をつないできた。ヘッセもまた、その一人。僕もそうでありたい。
やっぱり詩は、いいですね。
詩のなかにもいろいろありますが、ヘッセの詩は、透明なだけに、よく心に届きます。一つ、ご紹介しましょう。
手紙
風が西から吹き寄せて
菩提樹がぎしぎしときしみ
月が枝のあいだに顔を出して
僕の部屋を覗き込んでいる
僕の恋人に
僕を捨てた恋人に
僕は長い手紙を書いた
月がその上に輝いている
月は手紙の上をすすみゆき
静かな輝きをふりそそぐ
僕の心は泣きぬれて
眠りと月と夜の祈りを忘れる
(『ヘルマン・ヘッセ全集16巻 全詩集』臨川書店/2007 より)
この詩は、1902年、彼が25才のときのものです。
う~ん、僕にも、そんなことが、ありましたね・・・。
というわけで、今年もどうぞよろしくお願いします。
できるだけ詩を、そして小説を、書き上げられるように、がんばります。
ヘルマン・ヘッセ著/ヘルマン・ヘッセ研究会編・訳/毎日新聞社/1998
ヘルマン・ヘッセは、夏目漱石と並んで、僕にとって、欠くことのできない、全集を揃えたいと思わせる、核心まで届く、尊敬する、それでいて親しむことのできる、大きな作家です。
手紙もまた、作家の仕事の一つなのだと知りました。またこの書評も、著者への手紙と言えるのかもしれません。
ヘッセの新たな活動に触れることができました。戦時中、捕虜に対して文庫本を木箱に詰めて贈っていた、ドイツ帝国によって、根も葉もない非難を浴び、収入の減る中で、自ら本を作り、売っていた、朗読もしていた、賞金を、罪のない貧しい人々に寄付していた、若い作家を、子供を、書評によって、手紙によって、支えていた、妻が病に倒れ、結婚すべきじゃなかったと悔やみ、離婚した、若い子と遊びもした、三度目の結婚で、生涯の伴侶を得た、自分では抱えきれない精神を、心理療法によって助けられていた、先輩詩人からの好意に、深く喜んだ・・・。そのどれもが、新しく知ったのですが、ヘッセならそうするよなあうんうん、と思えてしまいます。
それにしても、なんと厳しい時代を、彼は生き抜き、書き抜いたことでしょう!二つの世界大戦。ドイツに生まれ育ちながら、スイスに亡命しなくてはならなかった悲しみ。ヒトラーの醜悪さを、彼はとっくに見抜いていた。個人からしか生まれない詩を、こよなく愛していたのは、大衆の危うさを、流された無益な血を、見ていたから。鉄砲より詩の方が、何百倍も価値があるとわかっていたから。詩人の務めは、平和を広げること。それもまた、僕に刻まれました。
3万通を越える手紙たち。この本の前にも、『ヘッセからの手紙』という書簡集がありました。それはまだ手に入れてませんが、ぜひ読まないといけません。
生の心が、通い合った証が、そこにはあります。両親への激しい恨み、それでいて愛してくださいと願う切なさ。15のとき、「詩人になるか、でなければ何にもなりたくない」ために、神学校から脱走。すぐに見つかり、連れ戻され、でも心は荒れ狂い、自殺も試み、精神病院に入れられたこともあった。しかし、おじいちゃんが、「聞いたよ。天才旅行をしたんだって」と、ヘッセを受け止める。そこから、彼は変わっていく。理解してくれる人がいるということ。このままの自分でいいということ。その後、工夫もし、書店員もし、でも作家としての魂を育て続けた。彼もまた、一人ではそうなれなかった。多くの人たちに支えられていた。そして、支えられるようになった。
同時代の仲間との交流も、鮮やかに蘇ってきます。ユング、フロイト、カフカ、ロラン、マン、ジッド、ベンヤミン・・・。それだけでなく、「地の塩」と呼んでいた、心ある人々をこそ、彼は信頼していた。どんなに絶望の時代にあっても、耳を傾ける、また耳を傾けるべき人たちがいる。そういう人たちこそが、希望をつないできた。ヘッセもまた、その一人。僕もそうでありたい。
やっぱり詩は、いいですね。
詩のなかにもいろいろありますが、ヘッセの詩は、透明なだけに、よく心に届きます。一つ、ご紹介しましょう。
手紙
風が西から吹き寄せて
菩提樹がぎしぎしときしみ
月が枝のあいだに顔を出して
僕の部屋を覗き込んでいる
僕の恋人に
僕を捨てた恋人に
僕は長い手紙を書いた
月がその上に輝いている
月は手紙の上をすすみゆき
静かな輝きをふりそそぐ
僕の心は泣きぬれて
眠りと月と夜の祈りを忘れる
(『ヘルマン・ヘッセ全集16巻 全詩集』臨川書店/2007 より)
この詩は、1902年、彼が25才のときのものです。
う~ん、僕にも、そんなことが、ありましたね・・・。
というわけで、今年もどうぞよろしくお願いします。
できるだけ詩を、そして小説を、書き上げられるように、がんばります。
ヘルマン・ヘッセ著/ヘルマン・ヘッセ研究会編・訳/毎日新聞社/1998
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