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この本を読み終えた証の感想を書くのに、1週間では足りなかった。
読み終えてすぐまた始めから読み直した。
そして10月6日発売の文芸誌「すばる」の11月号を買い、すばる文学賞受賞作を読み始めた。
それでやっと、この本の感想を書く気になった。
一言で言って、感謝しかありません。
私にとって、まさに「渡りに船」
走りながら、「そっか、そっか、そっかー」と口ずさみ、腑に落ちていく。
著者は、言わずも知れたベストセラー作家。私は未読だったので、すぐに手は出なかった。
でも、本屋でストックの整理をしなくてはならなくなり、発売当初から気になっていたこの本をやはり買って読もうと思った。
大正解だった。
何が一番腑に落ちたかと言えば、小説を産み出す工程。
私の今までのやり方を、一段と深め、強め、流れも人物もより確かさを増す。
それは何かと言えば、「想造」
小説の流れを、始めから最後まで、まず頭の中で完結させよ、というもの。
手がかりとして、登場人物のプロフィールと舞台を用意する。
ネットで、主に俳優の画像をきっかけにして、独自の名前をつけ、どんな人物なのかを記してプリントアウト。これを12枚。
舞台は3枚の写真で。これもネットを頼り、プリントアウト。
この人物像と舞台を壁に貼り、あとはひたすら「想造」する。
何より自分が熱中して楽しみ、自分の中で物語を醸成させる。物語がどうしても進まなくなるまで、一切書いてはならない。これがミソ。
私は、悪い意味で、言葉に頼りすぎていた。小説執筆中も、イメージや人物が湧いては書き留める。しかし、これでは止まってしまう。あるいは、もっと適切な情景や展開を閉じてしまう。気に入った言葉の言い回しに流れも淀む。
言葉を手放し、まずは物語に没入すること。
そうだった。カウンセリングでも、誰も原稿など読まずに熱中して話している。飲み屋でも、誰が原稿を頼りにしているだろう?
何度も何度も「想造」しているうちに、不要なものは忘れ、消える。必要なものはより明確になる。
言葉だけじゃなく、現実にも頼りすぎていた。
脳内の作業は、決して現実だけじゃない。夢も幻も入ってくる。それでいいのだった。
自分がなぜ、このようにつらつら書けるかと言えば、この本を読み、感化されたから。私と本が出会い、対話した内容を書き留めることができる。
日記を書けるのも、日々を生き、体験したから。詩もそう。稲光のような、一瞬のきらめきが、確かに自分に生じたから。
体験あればこそリアルに書ける。より具体的になる。
今まで、万年筆と原稿用紙を頼りに、小説は書きながら体験していた。書かないと先は分からなかった。書くことで安心すらしていた。
違った、いや、それでは不十分だった。よりダイナミックにドラマが進むのは、原稿用紙の上じゃない。文字の中じゃない。人の中だ。
人から人に伝わるのだ。人から人に伝わってきたのだ。言葉は、いつだって後。
まず、自分自身が、最高の物語を体験し尽くすこと。その中で、必ずオリジナルになっている。当初の壁に張り出した俳優たちも、独特の命を宿して生きて。
そして、すでにこの「想造」で、私の新しい物語は始まっています。
どんな出来になるのか。私も楽しみにしています。
フルマラソンを8回も完走している。暴風雨の中でさえも。だから大丈夫、最後まで行ける。
想像力こそが小説家の肝。そこに、自信もある。
この本には、「想造」以外にも、小説家として役立つ経験知が詰まっています。
すべては文学界を盛り上げるため。
現役で活躍している小説家たちは敵じゃない。味方だった。
松岡圭祐 著/新潮新書/2021
読み終えてすぐまた始めから読み直した。
そして10月6日発売の文芸誌「すばる」の11月号を買い、すばる文学賞受賞作を読み始めた。
それでやっと、この本の感想を書く気になった。
一言で言って、感謝しかありません。
私にとって、まさに「渡りに船」
走りながら、「そっか、そっか、そっかー」と口ずさみ、腑に落ちていく。
著者は、言わずも知れたベストセラー作家。私は未読だったので、すぐに手は出なかった。
でも、本屋でストックの整理をしなくてはならなくなり、発売当初から気になっていたこの本をやはり買って読もうと思った。
大正解だった。
何が一番腑に落ちたかと言えば、小説を産み出す工程。
私の今までのやり方を、一段と深め、強め、流れも人物もより確かさを増す。
それは何かと言えば、「想造」
小説の流れを、始めから最後まで、まず頭の中で完結させよ、というもの。
手がかりとして、登場人物のプロフィールと舞台を用意する。
ネットで、主に俳優の画像をきっかけにして、独自の名前をつけ、どんな人物なのかを記してプリントアウト。これを12枚。
舞台は3枚の写真で。これもネットを頼り、プリントアウト。
この人物像と舞台を壁に貼り、あとはひたすら「想造」する。
何より自分が熱中して楽しみ、自分の中で物語を醸成させる。物語がどうしても進まなくなるまで、一切書いてはならない。これがミソ。
私は、悪い意味で、言葉に頼りすぎていた。小説執筆中も、イメージや人物が湧いては書き留める。しかし、これでは止まってしまう。あるいは、もっと適切な情景や展開を閉じてしまう。気に入った言葉の言い回しに流れも淀む。
言葉を手放し、まずは物語に没入すること。
そうだった。カウンセリングでも、誰も原稿など読まずに熱中して話している。飲み屋でも、誰が原稿を頼りにしているだろう?
何度も何度も「想造」しているうちに、不要なものは忘れ、消える。必要なものはより明確になる。
言葉だけじゃなく、現実にも頼りすぎていた。
脳内の作業は、決して現実だけじゃない。夢も幻も入ってくる。それでいいのだった。
自分がなぜ、このようにつらつら書けるかと言えば、この本を読み、感化されたから。私と本が出会い、対話した内容を書き留めることができる。
日記を書けるのも、日々を生き、体験したから。詩もそう。稲光のような、一瞬のきらめきが、確かに自分に生じたから。
体験あればこそリアルに書ける。より具体的になる。
今まで、万年筆と原稿用紙を頼りに、小説は書きながら体験していた。書かないと先は分からなかった。書くことで安心すらしていた。
違った、いや、それでは不十分だった。よりダイナミックにドラマが進むのは、原稿用紙の上じゃない。文字の中じゃない。人の中だ。
人から人に伝わるのだ。人から人に伝わってきたのだ。言葉は、いつだって後。
まず、自分自身が、最高の物語を体験し尽くすこと。その中で、必ずオリジナルになっている。当初の壁に張り出した俳優たちも、独特の命を宿して生きて。
そして、すでにこの「想造」で、私の新しい物語は始まっています。
どんな出来になるのか。私も楽しみにしています。
フルマラソンを8回も完走している。暴風雨の中でさえも。だから大丈夫、最後まで行ける。
想像力こそが小説家の肝。そこに、自信もある。
この本には、「想造」以外にも、小説家として役立つ経験知が詰まっています。
すべては文学界を盛り上げるため。
現役で活躍している小説家たちは敵じゃない。味方だった。
松岡圭祐 著/新潮新書/2021
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