国木田独歩。
「武蔵野」しか読んだことがなく、勝手に「おじいさん」のイメージでした。
しかし、まったく違った。というか知らなかった。
出版社の人に勧められて読んだのですが、今、この時代だからこそ、「運命」が響く。
そもそも、国木田独歩は若い。
「運命」が刊行されたのは独歩36歳の時、明治39年、1906年のこと。
同じ年に島崎藤村の「破壊」が発表されています。
独歩が亡くなるのはわずか2年後。結核でした。
結核に冒されていたのを知っていたのかどうかはわかりません。
短編小説の名手だった。短編になったのは、一人一人の人生を見つめたから。
一人一人の運命を描いたから。
1906年に刊行された当時の並び順と同じ配列で9つの短編が読めます。
暗い順から明るい順へ、と解説にあったけど、読んでいてもそんな印象を受けました。
最初の方は、本当にどうしようもないと思わせる状況が告白されます。
「オイディプス王」を思い出しました。ギリシア悲劇の最たるもの。
ただ語り手が本人というところが違う。居合わせた隣人に、だったり、酒を飲んだ上で日記に、だったり。
お酒もまたよく出てくる。それは、「運命」から一時的に逃れる手段として。
最近聞くようになった「親ガチャ」という言葉も浮かんだ。
それはいい意味では使われない。「毒親」に近いでしょうか。
軍人を相手に酒場を切り盛りし、足りない資金を教員の息子から盗む母親が出てくる。
結婚相手の母親が、かつて自分と父を捨てて他の男に走った母だったりもする。
1906年は、日本が日露戦争で前年に勝利した時代で、軍人がやたらと幅を利かせていた。
その後の展開を知らない当時の人たちにとって、どう生きればいいのか、は切実な課題だったと想像します。
それは今でも、いつでもそうなのかもしれません。
というのは、刊行から116年も経っているというのに、新鮮で共感できるから。
半ばには「悪魔」が出てくる。自分を否定する悪魔というか。
でも、その存在を、友人に手紙で打ち明けるところに希望があります。
寂しく厳しい少年時代に打ち解けた唯一の友が、大人になって偶然にも再会し、立派になっていて感激した喜びに溢れる話や、絶望から海に出て、入水しようとしていた男が、一人の老人と出会い、日の出の尊さを教えられ、のちに学校を作って人を育てることに生きがいを見出す話もある。
「出会い」によって人は生まれ、不幸にもなれば幸いにもなる。
読み終えて感じるのは、どんなに「運命」に翻弄され絶望していようとも、だからこそなのかもしれませんが、人を求め、人に語ろうとし、人と関わろうとする人の姿。そこに人を見出し、スッと息を吸い込んで、胸の内を言葉に託して出そうとする人の切実な姿。そこに、人が変わる(かもしれない)希望がある。
ここまで書くと、独歩より4歳年上だった夏目漱石の「こころ」を思い出します。
なぜ「こころ」の「先生」は、「私」に、あんなに長い手紙を書き送ったのでしょうか?
自分が死ぬのは「運命」であって避けられないとしても、こんな自分がいたことは知ってもらいたい。わかってほしい。そう願い、「私」ならば信じることができると「先生」は思った。最後の最後に、手紙という形でしか応じられないけれど、人を信じてみたい。その「こころ」。
「運命」に抗うもの。それを描き続けることもまた文学の仕事なのでしょう。
と書いたら、カミュの「ペスト」も思い出されてきます。「ペスト」もまた、ペストという運命に抗うにはどうすればいいんだという話だった。
文学は薬のようでもあり、副作用もしっかりとあるワクチンのようでもある。
「こころ」の温泉のようでもある。
まさに温故知新、でした。
国木田独歩 著/岩波文庫/2022
「武蔵野」しか読んだことがなく、勝手に「おじいさん」のイメージでした。
しかし、まったく違った。というか知らなかった。
出版社の人に勧められて読んだのですが、今、この時代だからこそ、「運命」が響く。
そもそも、国木田独歩は若い。
「運命」が刊行されたのは独歩36歳の時、明治39年、1906年のこと。
同じ年に島崎藤村の「破壊」が発表されています。
独歩が亡くなるのはわずか2年後。結核でした。
結核に冒されていたのを知っていたのかどうかはわかりません。
短編小説の名手だった。短編になったのは、一人一人の人生を見つめたから。
一人一人の運命を描いたから。
1906年に刊行された当時の並び順と同じ配列で9つの短編が読めます。
暗い順から明るい順へ、と解説にあったけど、読んでいてもそんな印象を受けました。
最初の方は、本当にどうしようもないと思わせる状況が告白されます。
「オイディプス王」を思い出しました。ギリシア悲劇の最たるもの。
ただ語り手が本人というところが違う。居合わせた隣人に、だったり、酒を飲んだ上で日記に、だったり。
お酒もまたよく出てくる。それは、「運命」から一時的に逃れる手段として。
最近聞くようになった「親ガチャ」という言葉も浮かんだ。
それはいい意味では使われない。「毒親」に近いでしょうか。
軍人を相手に酒場を切り盛りし、足りない資金を教員の息子から盗む母親が出てくる。
結婚相手の母親が、かつて自分と父を捨てて他の男に走った母だったりもする。
1906年は、日本が日露戦争で前年に勝利した時代で、軍人がやたらと幅を利かせていた。
その後の展開を知らない当時の人たちにとって、どう生きればいいのか、は切実な課題だったと想像します。
それは今でも、いつでもそうなのかもしれません。
というのは、刊行から116年も経っているというのに、新鮮で共感できるから。
半ばには「悪魔」が出てくる。自分を否定する悪魔というか。
でも、その存在を、友人に手紙で打ち明けるところに希望があります。
寂しく厳しい少年時代に打ち解けた唯一の友が、大人になって偶然にも再会し、立派になっていて感激した喜びに溢れる話や、絶望から海に出て、入水しようとしていた男が、一人の老人と出会い、日の出の尊さを教えられ、のちに学校を作って人を育てることに生きがいを見出す話もある。
「出会い」によって人は生まれ、不幸にもなれば幸いにもなる。
読み終えて感じるのは、どんなに「運命」に翻弄され絶望していようとも、だからこそなのかもしれませんが、人を求め、人に語ろうとし、人と関わろうとする人の姿。そこに人を見出し、スッと息を吸い込んで、胸の内を言葉に託して出そうとする人の切実な姿。そこに、人が変わる(かもしれない)希望がある。
ここまで書くと、独歩より4歳年上だった夏目漱石の「こころ」を思い出します。
なぜ「こころ」の「先生」は、「私」に、あんなに長い手紙を書き送ったのでしょうか?
自分が死ぬのは「運命」であって避けられないとしても、こんな自分がいたことは知ってもらいたい。わかってほしい。そう願い、「私」ならば信じることができると「先生」は思った。最後の最後に、手紙という形でしか応じられないけれど、人を信じてみたい。その「こころ」。
「運命」に抗うもの。それを描き続けることもまた文学の仕事なのでしょう。
と書いたら、カミュの「ペスト」も思い出されてきます。「ペスト」もまた、ペストという運命に抗うにはどうすればいいんだという話だった。
文学は薬のようでもあり、副作用もしっかりとあるワクチンのようでもある。
「こころ」の温泉のようでもある。
まさに温故知新、でした。
国木田独歩 著/岩波文庫/2022
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