泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

銃・病原菌・鉄

2020-12-03 20:18:53 | 読書
 やっと読み終えました。
 大学の授業を受けているような感じでした。
 とても興味深く読み始めたのですが、あまりにも悠久な時間を扱っているので、眠くなったりもしながら。
 タイトルにあるように、なぜ、ヨーロッパ人は、銃・病原菌・鉄を持ち、新大陸(南北アメリカ大陸やアフリカ、アジア、オーストラリアなど)を植民地化できたのか、その究極の原因を、様々な根拠に基づいて論じています。
 ざっくりと言ってしまえば、それはそこに家畜化可能な動物と、食料となる植物の種類が多かったから。
 病原菌は、様々な動物から人に移る。
 豚や牛などをいち早く家畜化した人の集団は、病原菌に対する免疫を持っている。それだけで、彼らにとって新しい大陸に上陸したとき、免疫を持っていない先住民たちを何もせずに滅ぼすことができた。
 この指摘は驚きでした。学校の教科書では、ひたすら戦争で勝敗が決まったように書かれていた気がするのですが。
 銃も鉄も、いち早く食糧の生産を始め、定住化して、専門家たちを養う余裕ができて初めて生まれていた。
 そして、文字を含むそれらの発明は、交易を通じて広まっていった。
 しかし、その広まり方は、地域の気候や地形が大きく影響していた。
 ユーラシア大陸は東西に長い。したがって気候変動が少ない。移動を遮る密林なども少ない。交易は容易だった。
 アメリカとアフリカは南北に長い。そこを移動しようとすると、大きな気候の変化を避けられない。熱帯地方特有のマラリアなどもある。砂漠もある。育てられる植物や家畜がそもそも異なる。なのでバラバラで孤立して、ときに狩猟採集生活のまま(その方が地域に適応できる、オーストラリアなど)でもあった。
 著者は、だから人種の違いに優劣はないと説く。違いがあったのは、要するに環境。環境に適するように人々は進化してきたということ。
 郷に入れば郷に従え、と言います。人は、その環境に最適化していく能力を持っている。
 だからと言って、今の環境が最善ではないということ。環境に、人の優劣は決められない。
 想像したのは、古代の人たちの好奇心。遠くに小さな島が微かに見えたなら、どうしても行ってみたくなるものなのでしょうか?
 日本人を含む東南アジアの人々は、中国南部から台湾に渡り、大陸と島を船で行ったり来たりして航海術を身に付けた人々が祖先なのではと言われています。
 ハワイやグアム、ミクロネシアの人々もそう。救命道具などもなく、命がけで、それでも移動してきた人々のたくましさを思う。
 その土地で、その土地にあった暮らしをしていたのに、突如海外から病原菌を持ってこられる悲劇も思う。
 今、また新型のウィルスの感染が広がっています。
 イギリスで、来週からそのワクチンの接種が始まるとも聞きました。
 環境によって人は異なるようになるけれど、その違いは絶対的なものではない。
 新型のウィルスがあっという間に世界中に広まってしまう一方で、有益な情報もあっという間に拡散する。
 適応と個性化の間で、自分を見失ってしまうことも多く起こる。
 今の環境が絶対不変ではないことをこの本は教えてくれる。
 そこに、希望があります。

 ジャレド・ダイヤモンド 著/倉骨彰 訳/草思社文庫/2012
 
 

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