泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

シャガール展

2007-11-21 22:06:41 | 
 さる人に教えてもらい、上野の森美術館まで行ってきました。ちなみに、会期は12月11日までです。
 シャガールの生の絵を観ることができる。そう思うと居ても立ってもいられなくなってしまう。
 あらゆる画家のなかで、一番好きなのがシャガール。豊かな色彩に、歌があり、夢があり、喜びも悲しみも、愛も祈りもあるから。
 斬新だったのは、シャガールの友人イジスの録った写真です。喫茶店でにっこりするシャガール、うつむいて散歩する後姿、創作の連続写真、大壁画に筆を入れている、孫が傍らで遊んでいたり。この世界に、彼は確かにいた。生きて、その手で描いた。様々な思いを込めて。それだけでなく、もちろん友人とおしゃべりしたり、妻に身を寄せて語りかけたり。それらを実感できたのが、なによりよかった。
 美術館で発行していた画集には、彼の詩が載っていた。買い求め、喫茶店で貪るように読んだ。そしてわかった。いかに深く、彼が痛んでいたかを。
 ユダヤ人の彼は、ユダヤ人であるがゆえに、迫害された。愛する祖国を失った。それだけでなく、人生の半ばで、これも愛する伴侶を失った。どちらも、彼は何度も呼びかけ、探し、なぜだと問う。強い思いが、絵に表れる。そして僕らをも打つ。そして回復させる。おそらく彼が最も救われたかったがために。
 僕の部屋には、そしてトイレの扉にも、昔のカレンダーの切り抜きが貼ってある。たとえそれがコピーであったとしても、そこにシャガールがいることに変わりはないので。大学出てからずっとそう。部屋にはいつも、なにかしら彼がいた。
 なぜだろう? 人を愛したかったのだ。彼から学びたかったのだ。異性を愛するということを。異性に限らず、愛するという具体を。
 その学びに終わりはない。始まったばかりだとも言える。
 あまり知られていないであろう彼の詩を、ひとつここに紹介して、明日への糧にしようと思います。

 わたしは人生に棲む

わたしの絵のなかに
わたしは恋人を隠した
わたしは人生に棲む
樹木が森に棲むように

わたしの声を聞くのは誰
わたしの顔に気づくのは誰
千年前の死者のように
月の光のなかに埋葬された顔に

母のくれた贈物
それは尚わたしのからだのなかで光り輝いている

口を開くのはよそう
わたしの心が救われるように
もう嘆き悲しまないために
暗闇のなかの一羽の鳥のように

わたしの絵のなかに
わたしは恋人を描いた
天使たちは恋人を見る
そして結婚の玉座に
向かわなかった婚約した娘たちを見る

一輪の花の香が
ロウソクをともす
青く明けゆく朝
わたしの誕生の日

わたしは自分の夢をいくつも隠した
雲の上に隠した
わたしの溜息が
鳥たちと一緒に飛ぶ

不動のわたし 歩行するわたし
わたしは崩れてゆく
世界からやってくる炎の前で
わたしの恋人はまき散らされた水
四散した水のようだ

わたしの背後にわたしの絵がやってくる

 シャガール展/上野の森美術館・産経新聞社より 一部変更しました

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1 コメント

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I was born (えったん)
2007-11-29 09:59:11
11/27付けの日記で、私のマイミクさんが、同じように
吉野弘 『I was born』をとりあげていました。
どうでもいいことですが、彼はこの吉野氏と同じように山形出身の方です。
私はこれらの偶然に(必然に)嬉しくなり、昨夜彼にも、菊田さんのブログを紹介しました。

ちなみに、この『I was born』は、かつて浜田省吾が自分のLP(当時はCDではなかった)のタイトルにこの名前付けたのを思いだしました。

いい詩とは万人を巻き込むようです。
いい詩は、万人を繋げるのかもしれませんね。

ロジャーズいわく、
「もっとも個人的なことは、もっとも普遍的なことである」

あ~あ、いつにも増してしつこい私めでした。
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