泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

カレーライス

2021-04-19 20:28:32 | 読書
 教科書に採用されている短編を集めたもの。
 私は教室で重松清に出会わなかった。どこで出会ったのかはもう覚えていない。
 覚えているのは、高校で森鴎外の「舞姫」、大学入試センター試験でよしもとばななの「TUGUMI」。この2作品は後に自分で買って読んだ。
 中学時代は印象に残っていない。夏目漱石もいたのだろうか? ただ教室で休憩時間に、国語の教科書を読み耽っていて、誰か女子に「面白い?」と聞かれ、「うん」と答えたら「ふーん」って言われたことは覚えている。その時から、やっぱり、その気はあった。
 小学校では、とにかく「クラムボン」。宮沢賢治の「やまなし」に出てくる。朝の登校時間、一緒にいた子と「クラムボン」で笑い合っていた。
 今は、国語の勉強をすると、もれなく重松清がついてくるという。
 著者の写真に落書きをしたり、著者はもう死んだと思っていた子もいるそうです。
 どうしてそんなに教育の場で採用さるのでしょう?
 著者は、正解が求められる教材に多く採用されるのは恥だと言いつつ、多くの子たちと出会えることを喜んでもいる。
 私が思うに、想像力が促されるのかなあと思う。
 難しい言葉がないので、国語が苦手な子もとっつきやすいのかもしれません。
 今回の読書で感動したのは「ドロップスは神さまの涙」。
 一度読んで、すぐに最初からもう一度読んだ。
 重松さんの作品には、このもう一度味わいたい気持ちが生じる。「ゼツメツ少年」はまさにそうだった。
 保健室の怖いおばさん先生がいい味を出している。
 たっちゃんという体の弱い子も。
 教室で「意地悪」を受け、小学5年生の女の子が保健室を安全基地とするようになる。
 若い担任と女の子のズレもリアルで。
 保健室のヒデコ先生は、子供たちを守ったわけじゃない。
 ただしたいようにさせた。本人に決めさせた。でんと保健室に、自分としていた。
 余計なおせっかいをしないことに徹底している。
 その上で、お菓子は学校で禁じられているのに、白衣のポケットからドロップスの入った缶を忍ばせている。
 たっちゃんはドロップスを「おくすり」だと信じている。
 5年生の河村さんもドロップスをもらう。学校の中で、ドロップスの味だけが飛び抜けておいしい。
 たっちゃんは手術を受けるため、大きな病院の院内学校に転校。
 河村さんも、教室に戻る。
「にゃんこの目」では、心因性視力障害を扱っている。
「親友」にボーイフレンドができて、孤独感を募らせる女子に発症。
 いつでも一緒にいることが親友だと思っていた。
 その彼女が、「一緒にいなくても寂しくない相手のことを友達だと思う」と言う、いつも一人でいるクラスメートに言われる。
 さりげないけど大切な一場面。
 沁みてきます。

 重松清 著/新潮文庫/2020

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